特に今日はこれといったことはないんですが、
たまたま数字の数え方を調べていました。
よく小学校の頃に、友達と言い合いになると、少しでも自分を大きく見せるために、
お前の何億倍も俺はスゴイ!何兆倍もさらにスゴイ、何京倍も・・・
と言い合って最後には無量大数(むりょうたいすう:10の72乗)という単位で終わるわけですが。
宇宙の年齢と言われている150億才を秒になおしても、約432垓(ガイ)秒なんで、
無量大数という呼び方があっても、
通常では使うこともないぐらい超巨大数なんですが、
これ以上の単位はないと思っていましたが、
まだまだ上の数の呼び方があるみたいなんですね。
なんと無量大数の上は・・・
洛叉(らくしゃ)
以外と普通。
と思ったら、まだあります。
倶胝(くてい)
これで終わり?
と思ったらまだあります。
阿ゆ多(あゆた)
那由他(なゆた)
頻波羅(びんばら)
矜羯羅(こんがら)
阿伽羅(あから)
最勝(さいしょう)
摩婆羅(まばら)
阿婆羅(あばら)
多婆羅(たばら)
界分(かいぶん)
・
・ たくさんあって
・
阿麼怛羅(あまたら)
勃麼怛羅(ぼまたら)
伽麼怛羅(がまたら)
那麼怛羅(なまたら)
奚麼怛羅(けいまたら)
べい麼怛羅(べいまたら)
鉢羅麼怛羅(はらまたら)
尸婆麼怛羅(しばまたら)
終わり?
まだあります。
・
・ いろいろあって
・
不可思転(ふかしてん)
不可量(ふかりょう)
不可量転(ふかりょうてん)
不可説(ふかせつ)
不可説転(ふかせつてん)
不可説不可説(ふかせつふかせつ)
そして最後の呼び方は
不可説不可説転(ふかせつふかせつてん:10の37澗 (かん)乗)
乗数でしか表現できないぐらいのすごい数ですね。
世界を見ると、まだこれより大きい数字の呼び方がありました。
1googolprex=1不可説不可説転の270那由多乗
検索エンジン大手のグーグルはこれを間違って申請した名前と言われています。
先生・・・もうわけ分かりません!!
適当に数えたら無量大数以上の数の呼び方は約120個ありました。
他にも、読み方は分かるけどいったいどんな数字が分からないものがあります。
それは
「劫」(ごう)です。考え方が二つあり
・芥子劫
40里四方の大きい升に芥子粒(けしつぶ)を満たし、100年に1粒ずつ取り出していって、全部なくなった時点で「一劫」
・盤石劫
40里四方の大きい石を置き、天女が100年に1度舞い降りてその羽衣で拭いていき、石が擦り切れて無くなった時点で「一劫」
もうなんなんでしょうね?
数字というよりなんだか分けが分かりません。
もうデカイ数字過ぎて、無限すぎてもう0なんじゃないの?と思うぐらいです。
ここで不思議に思うんです。
使いもしない、なんでこんな巨大な数の読み方を考える必要があるのか?
想像できることは存在するという話ですが、
こんな巨大な数を想像できるということは、存在しているわけで、
どこに存在しているんだと思うと、おかしくなってきますよね。
どういうことで、こんな巨大な数が存在しているのか?
無限というものの認識に必要なのか?
そもそも無限なんて認識できるのか?
小ささにもかなりの呼び方があり、
これも意味がわからないぐらい小さなものまであります。
どういうことなのか?
人間の体を構成している素粒子の数を数えても
恐らく 1不可説不可説転 までは行かないと思います。
不思議ですよねー。
考えたら、恐ろしく小さな数えることもできない、
個数の素粒子が集まって、目に見えるものが存在してるのですが、
有限なものに見えるのに、目の前にあるものは、
すでに無限個に近い物が集まって存在している。
なんだか不思議な感じがします。
そべてに無限が組み込まれているような。
なんでそんな構造なんだろう。
巨大数を考えていると、小さな単位も同じぐらいあるので、どちらもほぼ無限にあり、
宇宙には有限というものが存在しないようにも思えてきます。
でも目に見える物はちゃんと数えることができる有限。
でも無限で構成されている・・・
なんなんだ、わけが分からなくなってきた。
この数の呼び方は仏教での呼び方だそうです。
でも、なんだかこの宇宙のモデルは量子力学に似ていますね。
最新の科学がやっと昔の宗教の教えに追いついた?
やっぱりこれが真実なのかな。
ちなみに、一番小さな数の呼び方は
涅槃寂靜(ねはんじゃくじょう:10のマイナス24乗)です。