《農家さんの手記》今の思い~皆さんへ伝えたい事 | 家畜おたすけ隊

家畜おたすけ隊

家畜を助けたい有志たちの、営利を目的としないボランティア組織です。2012年8月9日に(社)ふるさとと心を守る友の会になりました。




 今の思い~自己紹介

3.11現在第二種兼業農家で両親と共に複合経営(畜産■頭、水稲240a、■■■■■■■■)で農業を営んでいた。定年まで■年、退職後のビジョンを描きながら農業経営を行っていた。消費者に安全安心できる農畜産物を届けたい一心で情熱をもって作業をしてきた。

 震災・原発事故

3.11の東日本大震災により原発事故が発生し3.12の午前6:50に行政の防災無線により 避難指示が発令され着の身着のまま避難した。■■、福島、新潟、東京、横浜、現在■■■へ避難。事故当時は2日~3日で家に戻れると思っていたが、テレビ等の報道で長期間帰れないとの事。牛を置き去りにしてきた事が気になり3.13に家に戻り数日間分の餌を与え再度避難。

 東京に避難していた際、牛の事が頭からはなれず(3.26)13日ぶりに帰宅。牛はかろうじて生きていました。もう餌は無く水も停電で出ない状況であり痩せ細った牛(13)を目の前にして愕然としました。なかには柵に首がはまり動けない状態の牛も居ました。このままでは全ての牛が餓死してしまうと思い畜舎の入り口を解放する決断をし、泣く泣く東京へ戻りました。

4.22には警戒区域が設定され、それも罰則付きで。

その後福島県は5.24、20㎞圏内の牛を安楽死(殺処分)させる事を決めた。「何故、殺さなければならないのか? なぜ救う方向を考えないのか、科学的根拠はあるのか」国 県に対し怒りと絶望感だけがこみ上げてきました。いったいうちの牛がどんな悪いことをしたの? 家族同然の牛たち、人間と同じ命がある。

 これからどうするのか

そんな時、家畜おたすけ隊からの一本の電話「家畜を安楽死をせずにたすける方向で」

と言う話でした。初めは半信半疑、国と県が決めた事を本当にくつがえされるのか? しかし■■■■■■■の会員と話を進め国・県・町等への陳情など活動を始めました。しかし政府には思いがなかなか伝わらない。「殺さず、せめて試験研究として寿命(せいぜい15年位)を全うさせたい。」今では新しい命も数多く生まれている状況。20㎞圏内は依然厳しい状況が続いている中、母牛は子牛を生み、懸命に生きおうとしている。母牛は人になれているので、子牛も一緒に無邪気に寄ってきます。「餌も与えられないのに」今でも牛達は、人間に助けてもらえると思っている。飼い主として心から申し訳ない気持ちでいっぱいです。 一日も早く対応をお願いしたい。

 皆さんに伝えたい事

今も重い苦しみが続いている状況。原発事故は人災。「安楽死はいいかげんやめてもらいたい」法定伝染病ではない。国から5.12に安楽死の指示がなされて以降、■■町では 昨年■■月下旬 から同意をえた■■頭の牛が処分された。同意をしていない農家には未だ 何の連絡もない状態。農家の意向と家畜おたすけ隊の今までの行動を評価してもらい生き残っている命を一早く助けてもらいたい。そして農地を原発事故前の土地にもどしてもらいたい。農業者が農畜産物を生産する喜びを返してもらいたい。農業の火を消さないでほしい。

原発事故には負けない。それ以上に政府の安楽死対応に負けない。