原発、未来世代に刃を向けるのか | さるうさぎのブログ

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原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

 

 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111018/223290/

 

加藤尚武氏、安全性工学への疑問を語る

「私はこれからどう生きていったらいいのか、真剣に考えています」
 「子どものために、次の世代のために、私たちは何ができるのでしょうか」

 取材の中で会う人々から、思いがけず哲学的な問いが発せられることがある。それは珍しくなく、震災後に人々が生き方を模索していることを痛感させられる。生きる中で発せられる、命や環境についての問いが、心の中から湧き出しているのだ。

 

 原発による放射能汚染と「原子力ムラ」、福島のお母さんたちの活動や行動、そして次の世代。今、フクシマで起きていることについて、環境倫理学、生命倫理学、応用倫理学の第一人者で、来月には新著『災害論 安全性工学への疑問 』(世界思想社、11月10日発行)を上梓する哲学者の加藤尚武氏にぶつけてみた。

 

 加藤氏は原子力委員会専門委員、日本哲学会委員長などを歴任、新著では「原子力発電のコスト」「『原子力ムラ』の存在」「原発事故とリスク・コミュニケーション」など原発の安全と技術、復興までを述べている。

 

原発事故の予見不可能の抗弁は認めない


今回の原発事故については、東電や国は、「予見できない地震や津波で想定外の事態であった」と言う。加藤氏は『災害論』で、原子力工学の学者のなかに H.W.ルイスの「確率論的安全評価(PSA)」、「低い確率で大きな損害=高い確率で小さな損害」という等式を語る人がいることと、「安全のコストをな るべく低く抑えようとして『安全対策のやりすぎ』を何度も批判する」というルイスの考えの危険性を指摘している。

 

 「原発は、もし失敗したら、とんでもない大きな被害が起きることが設計段階から分かっている。だから、原発の場合には、予見不可能の抗弁は認められな い。『これは予見できなかった』という言い逃れは認めないという建前を作ってから、原発を始めている。だから、マグニチュード9だろうが10だろうが、地 震が起きたら原発をどうするか、ということを考えないといけない」

 

 「今回の原発事故は、予想もつかないほどの天文学的な額のお金を使わなければ予防できなかった事態なのか、それとも常識的な範囲内で予算を取っていれば大丈夫だったのか。私は、常識的なお金を使って安全対策を取っていれば、あれほどの事故は起きなかったと思う」

 

 安全へのコスト抑制と、「安全対策はやりすぎ」と批判することについて、厳しく批判している。

 

「反対派を排除」構造的な欠陥

 

 今回の事故では改めて、東電や国と、国民の間での「情報の非対称性」が浮き彫りになった。東電や国が圧倒的に大量の情報を持っており、国民が独自に検証 できる材料が少ない。そのために、国民の適切な判断を鈍らせている面もある。この圧倒的な「情報の非対称性」の前で、真実の追求は可能なのだろうか。

 

 「『災害論 安全性工学への疑問 』にも書いたが、今まで原発事故が起きるたびに、情報隠しや事故隠しが起き、それが何十年と続いている」

 

 「もともと日本においては、原子力発電に対する反対意見は非常に強かったわけで、その時に原発事故の情報を流すと、反対派が勢いづいてしまって、原子力 の開発にとって都合の悪い社会情勢が作られる。だからなるべく悪い情報は出さないという事故隠しの基盤が作られたと思う」

 

 「反対派の勢いを強めないために、なるべく情報は外に出さないと言う体質が、日本の原子力行政、あるいは原子力管理に沁みついてしまった」。

 


さらにこうした「原子力ムラ」に沁みついた情報隠しと、都合の悪い問題を排除する動きについて「日本の原子力推進の体制的な欠陥」と厳しく批判する。

 

 「私は日本学術会議で核廃棄物の処理の委員をやっていたが、工学部系の先生方はたぶん100%原子力推進派だろう。そこでは原子力発電そのものをやるか やらないかという議論はせず、廃棄物の処理問題だけを議論するということになっていた。だから私のような者が中に入っていたんだと思う」

 

 「もしも原子力を推進するかしないかという議論になれば、推進派だけが集まって『どうしようか』と話し合うことになるのではないかと思う。反対派を排除 して大きな溝を作る結果になるというのは、日本の原子力推進のいわば体質的な欠陥のようなもの。でもそれは、日本だけではなく、アメリカでも、フランスで もドイツでも同じで、原発の賛成派と反対派の溝は大きいと思う」。

 

間違っていることを言ってもらえない体質

 

 考えの違う人を入れないということは、具体的に原子力の分野にどのような影響を与えているのだろうか。

 

 「普通なら、ロケット業界でこういう馬鹿な間違いを起こせば、『直しなさい』『そうでしたか』となる。ところが原子力では、関係のない人や、同じ考えで はない人を排除するわけだから、設計が間違っていることを言ってもらえない体質がある。こういう『原子力ムラ』の体質を変えていけるなら、変えていくべき だし、変えられなければやめてしまうべき」

 

 「ただ、日本の巨大技術は、原子力発電をやめれば全部安全かというと、まだまだ大きな技術上の危険に対する対処が必要だ。巨大技術と安全性について、長期的な目標をどこに置くかによって、体制作りが違ってくるのではないかと思う」。

 

 異なる考えを排除することによって、より状況を悪化させている現実。違う考え、立場の人を排除せず、ともに議論していく土台作りそのものが喫緊の課題になっていると言えるだろう。

 

リスクゼロを選ぶお母さんは合理的

 

 幼い子どもがいる家庭の中には、県外に自主避難をしたり、子どもへの放射性物質の影響を心配して食べ物や飲み物に気を配ったりしている人もいる。それに 対して、「現在の放射線量は低い。心配しすぎ」と指摘する人もいる。認識が両極端に分かれ、それによって人々の交流やコミュニティが分断されている。

 

 避難に関して言えば、加藤氏も原発事故直後、原子力をやった経験のある物理関係の教授から『お孫さんがいるならば疎開した方がいい』というメールが届き、自分の孫を連れて一時避難したという。

 

 「事故後、より事態が深刻になれば、子どもを集団で疎開させなければならない事態もあり得たが、その準備ができていたのかどうか。集団疎開になると、疎 開した後の対応というやっかいな問題もある。戦時中の集団疎開を経験した人の中には『そんな辛い思いは二度としたくない』と言う人がいるかもしれない」

 

 「私はどちらが合理的かと言うと、子どもの被ばくを心配するお母さんの方が合理的だと思う。『専門家が安全だと言うのだから安全。お母さんたちが神経質 な対策を取るのは、ばかげている』と言う人がいるが、本当にそうだろうか。専門家は、チェルノブイリのデータに基づいて『この程度なら、はっきりとした甲 状腺障害は現れない』と言っているだけなのであって、40年、50年後の発がん性と結びつかないことまでは証明できていない」



 「子どもの時に放射線を受けた子どもと、全然受けていない子どもの間に違いがないなら、お母さんの心配はいらないことになる。だが、違いがあるなら、『放射線は受けたくない』と思うのは合理的。当然、リスク・ゼロを選ぶ。この態度を批判するのは間違っていると私は思う」

 

 「ただ、お母さんたちも、自分の子どもたちだけが安全であればいいというのではなく、いろんな視野から考える必要がある。例えば、日本の子どもたちが安全な水を飲むために水を確保したら、アフリカの子どもたちが1000万人も死ぬという可能性もあるわけだから」

 

利害が対立する「今」と「未来」世代

 

 今後の被ばく予防について、どんな点に注意して見ていくべきだろうか。

 

 「長期的な問題は、時間が経つと因果関係が分からなくなってしまうことが多い。特に、子どもに対する影響は、きちんと見続けていかないといけない」

 

 自然環境に与えた影響も大きい。

 

 「廃棄物の処理問題は重要。使用済み核燃料の廃棄物処分場が日本では1つもできていないし、世界中でもちゃんとできたところは1つもない。処理方法は結 局、穴を掘って埋めるという地層処理が一番安全だという結論に到達した。しかし『お宅の土地に掘らせてください』と言えば、世界中どこでも嫌がる。こう いった事故が起きて、今後50年ぐらいは、OKと言うところは出てこないのではないか」

 

 「廃棄物を埋めた場合、最初の1000年は厳重な管理が必要になる。最終的に放射性廃棄物が自然状態と同じレベルに達するのに10万年かかるが、その 10万年までの間の人々は、原子力については何の利益も受けていなくて、危険物と隣り合わせで生きるということを余儀なくされる。実際の被害額をお金で換 算したとして、10万年先まで見ると、いったい、いくらマイナスを次の世代に残しているのか、まだその計算はできていない。次の世代のマイナス効果という のは、今までの安全性と同じぐらいのスケールで問題になるのではないのかと思う」。

 

 今の子どもたちは、原発が建設され、稼働を始めた時期に生まれておらず、原発からの恩恵がほとんどない世代と言える。むしろ、今回の事故によって放射線 の被ばく問題に直面するなど、デメリットばかりを受ける世代になってしまった。こうした次世代への私たちの責任と、次世代の被害を回避する方法についても 聞いてみた。

 

利害を対立させないためにどうすれば

 

 「つまり、原子力事故のように、直接生態系を汚染して、環境を破壊することは、次の世代に対する攻撃であり、犯罪であるということになる。廃棄物の累積は次の世代の利益を損なうことで、次の世代の生存を著しく困難にさせる」

 

 「廃棄物の累積のほかにも、生態系の変化の問題がある。例えば森林の砂漠化。先進国で植林が進んでいても、世界全体では恐ろしい速さで砂漠化している。 こうした生態圏の破壊、資源の枯渇も未来世代の命を縮める行為だ。実は、今の世代と未来の世代は利害が対立していて、今の世代が繁栄すればするほど、未来 の世代が生き残る可能性が小さくなるということが実際に起こっている。利害を対立させないためにはどうすればいいか。未来世代の被害を少なくすることを第 一に、今の世代が生活方法を改めるしかない」

 

 未来世代の人々の生活を考える想像力と、その先の行動力。

 

 加藤氏は東日本大震災からの復興の過程で、日本人が守ってきた倫理観を守り育てる必要性を訴える。「その倫理の根本原因は『困っている人は無条件で助ける』ということである」(『災害論』)と。

 

 東日本大震災では、子どもや妊婦、障がい者や高齢者などの現状や意見が政策に反映されず、避難所や原発災害で様々な困難を負っている現実がある。その困 難を、まだ見ぬ未来の子どもたちに対しても負わせることになるかもしれない。加藤氏の言葉が、今に生きる私たちの大きな命題のように重く響いてきた。