大丈夫なんじゃない?が一番危ない | さるうさぎのブログ

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原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

3月に「放射能は危ないですよ、みんな逃げてください」といっても、日本はほぼ無視していたのが、東電や政府の隠蔽工作がばれ、新聞のコラムや雑誌にいろんな批判や、放射能の危険性について書かれるようになり、6月11日には日本全国でいっせいに反原発デモが行われ、さるうさぎは「やっと日本人も多数の人が現実に眼を向けてくれるようになった」と喜んでいました。
ところがです!
なんとまだ、「放射能? 大丈夫なんじゃない」と、放射能を心配する声を非情に却下する世間一般の人が多くいるらしくて、怒りを通り越して幻滅に近いものを感じました。

放射能について人それぞれさまざまな意見があるのは認めます。さるうさぎも、もし間違った事を書いていたら、訂正して欲しいから批判は喜んで聞きます。
だから
「放射能が安全」と言う人がその根拠を説明してくれたら、喜んで聞きます。だってさるうさぎだって本当は安心したいんだから。
そしてそれが納得のいくものであれば世間に広めようと思います。
でも、でもですよ。
納得のいく説明をしてくれる人がいません。
「安全」という人はたいてい「レントゲン」「東京=ニューヨークの飛行」での被ばく量と一時間あたりの放射線量を比べ、一時間おきにレントゲンを受けている人もいなければ、一時間ごとに東京からニューヨークへ飛んでいる人もいない現実をさておいて、「だから安全」と言います。
唯一の科学的説明らしきものが、「100ミリ以下の被ばくで放射能と病気の関係について医学的証明がない」というもの。
でも「証明がない」=「安全」はいくらなんでも乱暴すぎます。「証明がない」というのは、今の人間の英知では証明できないと言う事であって、放射能を浴びてその後病気になった人はいない、という意味では全くないのです。
例え多くの人が被ばくで病気になったとしても、関連性が科学的に証明されなければ証明にはならないのです。
言い換えれば、
「100ミリ以下の被ばくで放射能と病気の関係について医学的証明がない」
は、
「「100ミリ以下の被ばくで放射能の健康面から見た安全性について医学的証明がない」
ともいえます。

「安全」の対極が「危険」です。
「放射能は危険」という人も確かにいて、それが極端になると、危険だから日本のものは一切触れたくない、放射能のないところへ行きたい、となります。
それも非現実的です。
ひじょーにざんねんなことに、放射能ゼロのところはありません。原爆・核実験などで人類は放射能を撒き散らしてきましたから。
でも絶望的になることはないのです。問題は「量」。
危険なのかを見極める判断として、数値に詳しくなっておく必要があります。数学は大嫌いな人、大嫌いだった人は、「数値」というと引いてしまうかもしれませんが、これは避けて通れません。
でもこれは数学でもないのです。算数です。小学校の四則計算で十分です。
地域の放射線量が0.1マイクロシーベルト/時
こう聞いたら、みなさんはどんな反応をしますか?危険ですか?安全ですか?

人工放射線の基準が年1ミリと言われています。
0.1マイクロ×24時間×365日=876マイクロシーベルト/年で、1000マイクロシーベルト=1ミリシーベルトを下回りますから、基準を下回って安全と考えますか?

でもこれは、一年間呼吸も飲食もしなかった場合の被ばく量です。
武田先生によると、被ばくのある地域では、外部被ばく:内部被ばく=1:1で考えねばならないらしいので、
外部を単純に2倍した値が外部・内部被ばく総量になります。
だから
0.1マイクロ×24時間×365日×2=1752マイクロシーベルト/年、基準の一ミリシーベルトを超えます。

一ミリを超えたらただちに危険と言うわけではないので、あわてないでください。
さるうさぎの言いたいのは、数字オンチの人でも、
一時間当たり0.1マイクロと聞いたら、黄色信号が点滅していると考えていいということです。それより下なら警戒を解き、上ならもっと注意しなければいけません。0.6以上なら、本当なら逃げたほうがよいし、どうしても住むなら覚悟してそこに住む事になります。

もしお住いの地域が0.1マイクロかそれ以上の場合、そしてどうしてもそこで生活していかなければならない場合、外部被ばくは避けられないので、内部を減らす努力が必要です。

食料をなるべく被ばくの少ないものを選ぶなど、努力をしていけば、全体の被ばく量は基準の一ミリを下回るはずです。

体にいいものをたべる、これってやはり基本ですね。

話を戻して、

放射能の話をしていて、「大丈夫なんじゃない?」と言う人が一番危ないとタイトルに書きました。
それは、「なんじゃない?」と言うことにより、「安全」「危険」のどちらも主張せず、発言に対する責任から逃れているからです。
こういう表現を使う場合、言っている本人は安全なのかどうかわかっていない可能性が高いと思われます。
「テレビが言っているから」「毎日なにも変わっていないし」くらいの根拠ではないでしょうか?
また、人間誰しも、「危険」という言葉よりは「安全」という言葉を聞いて安心したいものです。
安全だか危険だか、だれがみてもはっきりとしているものでない限り、「安全」といって、安心して生活していきたい、というのはだれもが希望することではないでしょうか。
その希望が「大丈夫なんじゃない?」という言葉ににじみ出ている気がします。

だから、こういうことを言う人は
「わけがわからないけど、とにかく安心したいから、放射能は危険などと言うことについてい話したくない」
「政府は国民を見捨てるはずがない」
「テレビは良心的なはずだから、危険なものを安全というはずがない」

などなどと、自分で考える事をしないで判断を周りにゆだね、それをそのまま自分の受け売りにして回りにも伝えようとしている、それこそ自覚もなく「放射能被害に悩んでいる人」をさらに苦しめている人といえます。

だから、そういう人にはご用心。