チェルノブイリの子供達から福島の子供達へ(1/2) | さるうさぎのブログ

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原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

以下はPublik-Forumというドイツのキリスト教系週刊誌(4月22日号)からの記事からの抜粋です。
どうか福島の、日本の子供たちをこんな目にあわせないでください。

「わたしたちが死んだ後でもわたしたちのことを思い出して」

Doris Weber

1986年4月26日午前1時24分、8歳のコスチャにはいつもと変わらぬ夜で、ベットで眠っていた。その後コスチャが、そしてコスチャの国が全く変わってしまうことを、そのときはだれも知らなかった。世界がチェルノブイリの惨事を知った日も、コスチャは他の子供達と一緒に森で遊んでいた。ソ連の健康省の指示U2617は、「事故に関する連絡全ては秘密裏に行うように」というものだった。
後になってコスチャは言う。「何も知らなかったからこわくはなかった。放射能についてもしらなかった。誰も教えてくれなかったから。外に行って遊んでいた。そしたら突然みんなが病気になり死んでいった。」
コスチャの故郷、白ロシア(現在のベラルーシ)には原子炉がひとつもなかったが、220万人(うち子供50万人)が放射能に汚染された。風がチェルノブイリから国境を越え、放射能を運んだ。雨で放射能が森、川、湖、野原、畑に降り注いだ。人々は死が家や庭や体に住み着いたと気付いたが、そのときはもうおそかった。だれも事前に教えてくれなかった。・・・
それから10年もしないうちに、私はNadeshdaという放射能の汚染を受けた子供達のための施設を訪れ、そこの少年・少女たちと知り合った。オレッシア、レナ、サーシャ、コスチャ、ナターシャ、タニャ、リンダなどはそこで汚染されていない空気を吸い、汚染されていない食べ物が与えられる。そこで私はマーシャに聞いた。「みんなはチェルノブイリの話をするの?」「いいえ。他の心配事があるから。無職だったり、家がなかったり、食べ物がなかったり。チェルノブイリはそうした問題のひとつにすぎない。」家に帰ればそこは高濃度の放射能で汚染されたデッドゾーンだ。
大きなテーブルに座ると、みなは話し始めた。 オレッシア:「事故の後から心臓の調子が悪いの。心臓や頭が痛い。ときどき学校で鼻血も出る。心臓のせいでときどき病院に行く。」 レナ:「友達がチェルノブイリの後肺がんになった。ドイツで治療を受けている・・・。」 
Nadeshdaは1992年にドイツ・ベラルーシが共同で計画して建てられた。今日まで一年のうち2ヶ月間、160人の子供達が定期的に放射能からの休養にきている。
フランクフルトのジャーナリスト、ノーベルト・シュライバーは1990年にミンスクを訪れ、チェルノブイリの調査を始めた。・・・シュライバーは言う。「今までは『チェルノブイリの命』という協会で活動してきた。今、私達は『福島の命』という組織を結成しなければならない」
チェルノブイリの命協会は、ミンスクの病院を調べた。シュライバーは語る。「ガンの罹患率が激増している。妊娠の場合、その半分は正常ではない。早産率も増えた。チェルノブイリの影響がゆっくりと表面化している。成長障害、糖尿病、両性具有の子供、・・・ある病院では3歳から4歳の子供が、すでに10代の体に成長し、女の子の体にペニスが、男の子の体に乳房がついていた。」

・・・(シュライバー)「チェルノブイリは、放射能汚染に終わりがないことを教えてくれる。」・・・「原発事故が起こったとき4歳以下だったゴメル付近の子供は、3人に一人が甲状腺ガンにかかり、今後も病気が増えることが見込まれている。その数はこの地域だけで5万人以上。男性に多いのは肺がん、胃がん、皮膚がん、前立腺ガン。女性は乳がん、子宮ガン、胃がん、皮膚がん。1998年から2005年の間に、乳がんにかかる女性の数は毎年倍増している。しかも若い女性に多い。白血病はさらに深刻だ。爆心地付近に比べ、50%も多い。子供だけでなく大人にも多い。子供の脳腫瘍は6倍に増えた。これが私達が汚染地域で知りえたことだ。」