今回は反省文です。
今までの福島原発・放射能汚染について、武田邦彦先生のブログを元に書いていた部分がかなりあり、それは誤りであったことを書きます。
でもそれは今までの放射能についてのわたしの考えを変えるものではありません。ただ少し武田先生の意見ばかりに目を向け、もっといろんな意見をすくいあげなかったところを反省します。
今日Kさんから、「つくられた環境問題」という本を借りました。2009年6月に出版された本で、著者は日下公人と武田邦彦です。そこの193ページ目で武田先生はこう発言しています。
「・・・ただし原子力については、一般の人たちに、まだまだアレルギーがあるんですね。だから、私も原子力については慎重に書いています。原子力について、最初から「原子力は安全だ」と、本当のことを書くと、頭から拒否している人には、素直に頭に入らないからです。
ほんとうのことを言えば、原子力はエネルギーの中でもっとも安全です。私は実績主義ですが、50年間、原子炉を動かしてきたという実績から言えることです。原子力は何の危険性もない。いまは、それを言っても無駄だから言わないだけの事です。
それで、これからの問題は、多くの人たちがそのことを認知するのにどういうプロセスが必要か、ということです。あと百年間も原子炉を動かしていったら、自然と安全だということがわかります。」
今先生が主張していることとまるっきり反対の印象を受けました。
そしてまず、一種裏切られたような気持ちになりました。
それから改めて「武田邦彦」という人物について調べました。
正直、CO2やダイオキシンなど、今までしてきた彼の主張のほとんどに賛同できません。
原子力については、おそらく3月11日以降、彼の主張が変わったと思われます。
そういう意味では、「首尾一貫していない」とみられても仕方がないのかもしれません。
でも、3月11日以降武田先生が主張してくださったことで、「放射能についてあやしい」と思っていても、それを言い出せない人たちを支援してくれたことは確かです。少なくとも私の周りの日本の友人から聞く話は、「放射能のついた野菜を食べることに批判めいた話を電車でしていたら、隣の人からすごい目つきでみられた」「放射能の話をしたら、あなたみたいな人が風評被害をあおる、と避難された」「放射能の危険、こわさについて話そうとしても、耳を貸してくれない」などなど、ただ話をするのさえはばかられるような異様な雰囲気の日本の姿がみえてきます。
そんな自分の考えを誰かに相談したくても出来ない人たちに場を提供してくれたのは、評価されるべき事だと思います。
ですから、わたしは武田先生の、いえ、だれでも「全て」を信じるとか、「全て」を疑うことが最も危険だと思います。人間はパーフェクトではないのです。だからどんな意見でもうのみにしないで、ひとつひとつ自分の頭で考えて納得してから行動するようにしていきたいです。
ですので、彼の意見はあくまで「参考意見」としてとりあげ、武田色に染まらないように書いていきます。
さしあたっては、ちょうど今日チェルノブイリ25年でいろんな記事がヨーロッパで出ているので、そこからみていこうっかな?と思っています。
地元オーストリアにあまり偏り過ぎないようにもしたいのですが、言葉の壁で英語・ドイツ語しか調べられません。仕方ないです。