体罰考(1) 異常なことと、考えなければならないこと (1/11)
今から10年ほど前に、小学生の自殺が「流行」したことがありました。毎日のように小学生の自殺が報道され、「自殺など報道するから、それをまねる小学生が出るのだ」との批判もでたぐらいでした。
その時、私は「社会現象とは、ある分布の中での特別な状態を示すと全体像がわかるから」という解説をしたことがあります。少し難しいので解説をします.
たとえば「世の中がすさんでいるか」とか「小学生は幸福か」ということを調べようとすると、一つは、小学生全体にアンケートを出して調査するという方法があります。でも、理想的なように見えてあまり成功しません.
もう一つは、小学生全体では無く、特殊に不幸な例(たとえば自殺)を調べて、それが増えれば小学生の幸福度が下がっていると判断する方法です。この方法は「小学生の幸福度に関する「分布」が変わらない限り、特殊な例から平均的な動きを知ることができる」という原理に基づいているので、学問的にも間違ってはいません。
「スポーツが盛んか」と言うことはオリンピックのメダルの数である程度はわかりますが、その時に、特殊な補助金制度などができると、これもまた素直に比例しているかどうかはわかりません。
いずれにしても、直接全体を調査するのと、一部の特別な例を見るのと二つの方法がありますが、いずれも「本来は特殊な例を無くそうとしているのでは無く、全体を良くすれば自然に特殊な例も無くなっていく」という考えが健全なのです.
全体を良くする方法として私が推薦しているのは「芋ずる方式」で、「特殊な悪い人」を罰するのはほどほどにして起き、「特殊に良い人」を目立つようにすると、全体が「良い方に引きずられる」」と言うことです。
2013年が明けてすぐ、問題になった高校2年生の体罰と自殺の問題について、現在の日本では問題となった先生のバッシングが盛んですが、特殊な例ですから、それを通じて現代の日本のスポーツの教育問題の変化を考え、むしろ「芋ずる式の議論」をする方が良いと思います.
時間があればシリーズでこの問題を考えていきたいと思っています.
(平成25年1月11日)
--------ここから音声内容--------
高等学校の二年生ですね、スポーツクラブで体罰を受けて自殺したと報道されているものですが、これについては重要な中身を含んでおりますので、このブログで出来れば、シリーズ物でですね、少し考えていきたいと思いますが、第一回は、異常な事と、考えなければならない事ということで、少し基礎的なところからスタートしたいと思いますが。
今から10年ほどぐらい前ですね、小学生の自殺がいわば流行した事があるんですね。毎日の様に小学生の自殺が報道されまして、こんなに酷いのかと。なんで小学生が自殺するのか、というぐらいにですね自殺が多かったですね。まあ、これが社会の問題だとか、教育の問題だとかで議論されましたが、いまではみなさん忘れてしまってですね、小学生が自殺するという事も話題にならなくなりました。
そのころ、自殺などの報道をするから、それを真似る小学生が出るんだと、いうような批判も出たぐらいでしたね。で、ここで報道と我々の社会的な生活とを考えなければいけないんですが、実はちょっと難しい事になるんで、出来るだけやさしく説明したいと思いますが。
ある社会現象というのはですね、その分布があるんですね。例えば背の高さでもそうですが、背の低い人もいれば、高い人もいる。平均はどのくらいかといえば例えば170センチであると、こんなようなですねことがあるわけですね。日本人の身長の分布。アメリカ人の身長の分布というのがありますね。そうしますと分布の形が同じであれば、背の低い人が増えると平均値は少し低くなるんですね。分布の形が同じだったらですね。
ですから、ある分布を仮定しますと特殊な例がわかれば全体がわかるということになります。これはですね、数学的な原理って言ってもいいし、物理的な原理って言ってもいいし、また社会学的な原理って言ってもいいと思います。
例えば、世の中がすさんでるか?とか、小学生は幸福か?という事を調べる時に2つの方法があるわけですね。小学生は幸福かということを調べる時に、その一つの方法は、小学生全体にアンケートをだして、あなたは幸福ですか?と聞く方法があります。これは小学生全体の幸福度ですから正しい様に思うんですけど、感じがわかりますよね、あまり成功しないわけですよ普通は。
で、もう一つの方法はですね、小学生全体の幸福度を見るんだけれども、小学生の中で特殊に不幸な例、例えば自殺ですね、それを調べて、自殺が増えれば小学生の幸福度が下がっていると判断する方法ですね。これはですね、分布さえ変わらなければいいわけですね。さっきあの、身長の例をだしましたけれども、160センチの人が10人、170センチの人が30人、180センチの人が10人と、こういうですね、これを分布って言うんですけれども、分布が同じであれば、160センチの人が増えると、ちょっと全体として身長が低くなったかなという推定ができますね。
ですからこの場合もそうですが、小学生全体の分布が変わらないかぎり、自殺とかですね、そうやって特殊な例を見る事によって、平均的な動きを知る事ができるということですね。これはあの、新聞がよく採る手ですね。例えばオリンピックのメダルの数、オリンピックのメダルの数なんか特殊な人が取るんですからね。オリンピックでメダルを取るなんていったら、よっぽど運動神経がいいとか、筋肉が鍛えられていなければいけませんから、そんなの数えても仕方が無いじゃないかという見方と、それからその国のスポーツが盛んかどうかということはメダルの数でわかるという意味もあるわけですね。ただまあ、この時に人為的なもの、例えばオリンピックで金メダルを取らせようと思ってものすごく政府がお金をだすとか、そういうことをするとですね、ちょっと比例してるかどうかわからないということになりますね。
いずれにしましても、直接全体を調査するのと、一部な特別な例を見るのと2つの方法がありますが、この時に気をつけなきゃならないのはですね、本来は特殊な例を無くそうとしているのではないという事なんですね。小学生の自殺をなくする、ということも大切なんですが、もちろん、今回のような高校生なら高校生の自殺を無くするということも大切なんですが、それよりかもっと大切なのはですね、全体が良くなれば、自然にそういった特殊な例も無くなっていくと考えるのが正しいわけですね。
というのは、社会は荒れていきますと、自殺とか増えていきますし、強盗も増えていきます。社会が健全になっていくと優秀な人も出てきますね。ですから、我々がしなければならないことはですね、全体を良くするっていうことですからね。その時に2つの方法がありまして、一つは悪い人を罰するという方法ですね。これはよくいわゆる知識人とか、女の人なんか結構そうなんですけど、悪い人は罰しなさい、悪い人は罰しなさい、というのがあるんですね。
これはあのいろいろ難しい問題を生じるんですね。悪い人を罰しますと、また悪い人が出てくると言われる通りですね、10人いれば2人は良くない。その2人を排除しますと、その残りの8人から2人が出てくるっていう、そういうですね、いわゆる人間の癖もあるわけです。
私が推薦してるのは「芋づる方式」って昔から言ってるんですけれども、特殊に悪い人を罰するのはほどほどにして、特殊にいい人を目立つ様にすると、全体がいい方にずるずると引きずられる。というのが私の言ってる芋づる式なんですよ。で、この芋づる式っていうのはなかなか良くてですね。悪い人を罰しなくていいわけですよ、まあ、ある程度は罰するんですよ、法律上とかそういうのは仕方ないですからね。でもそういうのはほどほどにしておいてですね、どうもいい人を目立つ様にすると全体で良い方に引きずられるというわけですね。
2013年明けまして、すぐですね高校二年生の体罰と自殺の問題を毎日の様にやっとりまして、私は報道とか大阪市長の話しを聞いてるとバッシングが盛んですね。バッシングするということは本当に無くなるんだろうかと思いますね。むしろですね現在のスポーツ教育の問題っていうのはいっぱいあるわけですね。それを考える。そしてバッシング無く、非常に皆さんが生き生きとやっているスポーツっていうのもあるんですね。そっちの方をどんどん紹介していく。
例えば、微に入り細に入り、誰がどうしたこうしたと、調査したらこうだったと、自殺した高校生の周りの人のことをやるんではなくて、それはまあ簡単に報道してですね、そのあと、実はそうじゃないところもありますよと。例えばわたしよく知りませんが、ラグビーで有名な東福岡ですね、あそこなんかは今年四連覇を逃しましたけれども、全国高校3連覇というものすごい偉業を達しているところですね。ここの指導方針はたぶん体罰とかあんまりないんじゃないかと思いますが、まあ、生徒の自主性で強くなった学校ですね。
ですから、そういうものを積極的に紹介していけばですね、だんだんですね、あそうか、スポーツを強くするっていうのは2つ方法がある。一つは殴って強くする。一つは自分たちにやらせて強くなる。どっちが明るいのっていったら、どうも東福岡方式のラグビーのほうが明るいとしたらですね。えー、要するに根性を叩き直して強くするのか、高校生本人の自覚を待って強くするのか。
ですから、自主性がいいかどうかっていうのもわからないんです。難しい問題なんですね。簡単に、これをお読みになっている方で、「いやそんなの決まってるよ」、「東福岡の方がいいに決まってるよ」と言うかもしれませんが、しかしこれは非常に難しいんですね。ですからあまり早急に判断をしない方がいいんじゃないかという風に思うんですね。これは難しいんですよ。わたしこのシリーズの中で実は体罰はちょっといいんじゃないかっていうことも話します。
ここではまずは基礎としてですね、現在報道されているのは全体の特殊な例であるということですね。特殊な例を議論するのはいい事なんだけれども、特殊な例を議論してその人たちをバッシングするっていう方向にいってしまうとですね、何の為に議論したのかわからなくなるということを、体罰の最初のはなしとして、私はとりあげました。
(文字起こし by まさんちゅ)