戦艦大和の艦長の胆力 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

戦艦大和の艦長の胆力 (11/3)




織の力が個人の力量を超えた時、個人はどのような言動にでるだろうか? 現在の日本が直面しているもっとも大きな問題は「組織の大きさと個人の力量」のアンバランスであると考えられる。



ある1人の人間の社会的ポジションというのは必ずしも合理的には決まらない。典型的な例は「優れた先代を継いだバカ殿」である。このような問題が生じたとき、組織を壊さずに、しかもバカ殿を退位させないで、どのようにして国を運営するべきか、確かホッブス(イギリスの思想家)か誰かの書籍で読んだことがある。



封建制度では良くある話なので、国家としては十分に検討しておかなければならないが、この書籍を読んだときにはずいぶん馬鹿らしい議論をしなければならないのだなと思った。しかし、現在の日本はこの問題が深刻なのである。



社会的によく言われるのは「たたき上げのオヤジに比較したひ弱な二世」で、二世政治家、二世社長などが多くいる。日本の国会を見るとまるで封建制度のように選挙区ごとに世襲した二世が当選し、国会に出てくる。オヤジの時代の平均的な胆力から言えば、かなり落ちるので国会の審議がまともにいくはずもない。



「二世には二世の辛さがある」とある中小企業の二世社長が言った。「オヤジと違う事をやれば言われる、かといってオヤジの通りにやっていると言われる、冒険して失敗したら言われる。オヤジは自由にやっていた。でも俺は自由ではない」



二世であること、そのこと自体が本人の力を減殺するので、ますます悪い方向に進む。現代社会のアンバランスは二世だけではない。会社は巨大化し、よほどの力がないと経営陣はつとまらない。でも、役員の中には当然、ごますりで出世していく人もいる。教育関係でもそうで、えてして人格の高い先生は出世で居ず(できず)、世俗的な力、出世欲などが強い人が校長になったり、教育委員会の委員になる。



なぜ、このようなことが起こるのかというと、「蛸壺(たこつぼ)社会」で(あ)ることも一因となっている。選挙区も会社も学校も、そとから見るとよくわからない。かつて社会が単純だったときには、街頭演説を聴けば候補者の人柄も政策もわかった。心の中と外はそれほど乖離していなかったし、悪は悪だった。でも、最近は物事が複雑になり、三百代言が通用するようになって、何とでも言えるようになった。


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「温暖化で南極の氷が融けている」と日本中が言う。でもデータは人工衛星のデータしかなく、それは明らかに増えていて誰でもネットで見ることができる(上の図がそれで、誰でも見ることができるのに、日本人の大半が逆だと思っている)。なぜ、このような事が起こるのかというと温暖化という物自体が複雑であることと、社会も複雑で温暖化でどのぐらい巨額なお金が動いているのかもわからない。



能力が不足しているのに、ある組織の指導者になると、日々起こることを正確に判断することができない。回りの様子を見てその場その場で繕いながら進む。この時に使う言葉に「真摯に」、「受け止めて」、「忸怩たる」、「力の限り」、「約束は守る」、「温度差」、「絆」などであり、言葉が綺麗で内容がない単語に魅力をかんじる。



そして第二の現象が「虚偽」である。これは一つ一つの事を自らの頭脳で判断していないので、やがて矛盾を露呈する。それを塗布するのが「虚偽」である。たとえば今の首相が選挙の時には「絶対に増税しない」と街頭で演説し、首相になると「増税に命をかける」と発言するのがその典型例だ。



本人は能力がないから、選挙の時には本当に増税はダメと思っている。ところが財務省の官僚に日本の財政を聞くと、途端に意見を変える。変えるというより最初から何もないのだから、変えても居ないのかもしれない。温暖化のウソもこれに似ていてNHKをはじめとした数々のヤラセ報道は、「わかっていない」という側面と「利権になる」というのとがあり、つまりは「欲呆け現象」である。



もう一つ、社会の透明度を上げるのに困難なことがある。それは組織の老朽化(滓(カス)の蓄積、エントロピーの増大)である。人間は自然の一部なので、人間の行動は自然の摂理に従う。慣性の法則、エントロピーの増大の原理などの支配下にある。だから、旧来から続いている組織、NHK、東大などが腐敗するのは当然で、腐敗を防ぐためには、いったん解体して再出発しなければならないが、NHKにも東大にも西郷隆盛、勝海舟は居ない。



1年2パーセント原理による社会の変化と旧来のシステムの断層が広がっても、それを打ち破るエネルギーはよほど優れた人が居ない限り、組織の中にはない。簡単な解決策は戦争でコテンパンに負けることだ。第2次世界大戦で負けた日本とドイツが繁栄し、勝ったイギリスが衰退したのはこのことを示している。しかし、戦争をしてワザと負けるというのは非現実的だ。



第二には武士階級を作ることだろう。かつては戦艦大和、切腹改易を覚悟した城であり、今は原子力発電所、財務省、NHK、東大、小学校がこれに当たる。卓越した知識、力、そして胆力と覚悟をもった武士階級がいれば、内部が不透明でも「正しく」運営される。



かつて封建時代のイギリスが「バカ殿が居るときにどうするか」を真面目に議論したように、きれい事ではなく、今の日本も「ひ弱で力のない指導者をもって、日本の将来を守るには」という議論が居ると思う。次の選挙に出馬してくるほとんどの候補者は「ひ弱で力が無く、お金目当てで出る」という人だからだ。


(平成24年11月3日)




--------ここから音声内容--------




組織の力が個人の力量を超えたときにですね、個人はどのような行動とか言葉を発するのでしょうか。私はですね、現在の日本についていろいろな事を考えておられる方が多いんですが、日本が直面している最も大きな問題はですね、『組織の大きさと個人の力量のアンバランスではないか』と言う風に考えてる訳ですね。





ある一人の人間がですね、社会的ポジションに就く訳ですが、それはなかなかですね、合理的に決まってはいないんです。『優れた先代を継いだバカ殿』というですね、有名な話がある訳ですね。これはイギリスの確かホッブスかなんかそこらへんのですね、人の本を読んだ時に、真面目になって「優れた殿様の後にバカな殿が就いたときに臣下はどうするべきか」と言うような事が議論されておりまして、それを読んだ時はなんかバカなこと言ってるな、と言うようなですね、印象しか持たなかったのでありますが、まさに現在の日本と言うのはですね、それを議論しなければならない段階に来たのではないかと思われる節もある訳ですね。このようなことは封建制度では良くありますから国家としては十分に検討しておかなければならない訳でありますが、また再びその必要性が生じてきたとも考えられる訳です。





社会的な例を一つだけ取り上げてみますと、『叩き上げの親父に比較したひ弱な二世社長』と言うのがある訳ですが、社長ばかりではなくて政治家もいますし、社長もいると。日本の国会を見ますとですね、時々国会議員が本音を言うことがあるんですね。「俺の国」と言うことなんですね。つまり国会議員をしばらくやってますとね、なんかお殿様と同じ様な気分になるんでしょうね。そのお殿様の支配地を世襲した二世が当選してきて国会に出てくる訳ですよ。





もちろん、平均的にはですよ…中には優れた人もいますが、平均的には親父の平均力よりか低いでしょうから、だって競走を勝ってきた人と、競走をしない人ですからね、これはまあ違いがある。国会の審議がまともに行かないのも当然であります。しかし「二世には二世の辛さがあるんですよ」と言うことを一度、中小企業の二世社長にお聞きしたことがあります。





親父と違うことをやれば何か言われ、かと言って親父通りにやっているとまたなんか言われる。冒険して失敗したらまた言われる。俺の親父は「浮き沈みがあったんだ」と。「時にどん底になって家族で我慢したこともあった」と。だけども「私にはそれは許されないんだ」と言うことをですね、しみじみと言っておられました。二世には二世の難しさがあります。つまり二世であること自体がですね、元々その二世の人も力が弱いとか強いとかいう以外に、二世であるという事自体で力が少し減って行きますもんですから、ますます悪い方向に進む訳ですね。





もう一つ現代社会のアンバランスを生じる原因がですね、二世では無くて『会社が巨大化』した。従って余程の力が無いと経営陣が務まらないという、そういう事もある訳ですね。会社が大きくて何がどうやって行われているかよく分からない、と言う訳ですね。もちろん役員の中にはゴマ摺りで出世する人もいる訳です。これも人間社会だからしょうがないですね。私も相当大きな会社におりましたが、私はこう言う風に思いましたね。力のある人は会社が小さく見えてるんですね。ところが力が無い人は会社が無限大に見えているんです。





ちょっと例えが悪いんですけどもありのまま言いますとね、会社に腰かけで入って来た女の社員ですね、女子社員はですね、会社がどれくらい広いかも分かってないんですよ。会社が何をやっているかも、もしかすると分かってない場合もあるんですね。ところが非常に能力のある、ちょっとこれも言葉が悪いんですけども、エリート社員の場合ですね、会社の大体隅々まで把握していて会社が小さく見えるという事がお話をしていて分かりました。





こう言った差が生じますので、やはりどうしてもですね、力のない人つったらちょっと表現が悪いんですが、まぁ~そういう人が不適切な場所に就くとそうなりますね。教育関係でもそうで、現在の教育環境が大きく間違っているというか崩れている訳ですが、子どもにほんとに迷惑をかけている訳ですが、その一つの原因が、やっぱり人格が高くてほんとに校長先生とか教育委員会の委員になるような先生は出世できないんですね。世俗的な力とか出世欲、勲章をもらいたいとか、そういう思いの強い人が…まぁ~我慢ができると言いますかね…それはまぁ~大したもんで我慢しますからね、そういう意味で教育界が曲がる訳です。





なぜこのようなことが起こるのか。つまりその人がはっきり分かればいい訳ですね。ところが分からない。分からない訳ですね。なぜ分からないのかと言うと『タコつぼ社会』になってるからなんですね。非常に専門性が高くなりまして、私なんかまぁ科学者ですしね。専攻が物理と言っても化け学(化学)も生物も知っておりますから別段科学の事を言っても構わない訳ですね。





ところがなんか原子力の事を言うと…私なんか原子力の学会賞貰ってるくらいですが、それでも「武田は原子力の専門家では無い」なんて言われるんですね。これはなにかって言うと、非常に狭いところだけ、というような社会になりまして、それ以外はやらない。例えば原子力に関したら原子力発電の人は原子力発電だけ、燃料の人は燃料だけ、計測の人は計測だけ、と言うような事を言い始めた訳ですね。そうしますと『タコつぼ社会』で他は全く分からない。





選挙区であっても、会社であっても、学校であっても外から見たら良く分からない。かつては非常に透明でしたからね、単純でしたから。それから人間の心の中と外が比較的はっきりしてましたし。悪い事は悪い事だったんですね。ところが最近ね~やっぱり一番こう目立つのがですね、『三百代言』が通用するって事ですね。『三百代言』っつーのは言い訳、と言うか性質の悪い言い訳みたいなものに使うんですね。





最近では1年1ミリ問題がありましたし、それからかつては南極の氷が溶けるとかですね、リサイクルしたら環境が良くなる、とかみんな『三百代言』ですが・・・こう言った『三百代言』が通用する、つまり『三百代言』の方が社会で正義と言われるという、そういう時代になった訳ですね。





1コだけ例をあげておきましょうか。温暖化で南極の氷が溶けていると日本中が言ってますが、ここに示したデータは、世界で一つしかない人工衛星から採った南極からの氷のデータで、ちゃんと増えている訳ですね。これは誰でもがネットで実は見(ら)れるんですよ。これが特定の人に占有されているんだったらば別ですね。





これは昔そうだったんですね。情報をコントロールして世の中を動かすというのがありました。今はそれができないんですが、このデータが普通の人が普通に見(ら)れるにも関わらず、日本中の人のほとんどが「温暖化すると南極の氷が減る、もう既に溶けている」という風に、『正反対の事を思っている』というのが不思議ですね~。これは『三百代言』なんですね。『三百代言』が流通する事によってこの・・・世の中の人の認識が非常に大きくズレてくる訳ですね。





もちろん能力が不足してると、ある組織の指導者になった場合、日々起こる事を正確に把握する事ができない訳ですね。そうしますとどうするかっつーと見てますとですね、その場その場限りでみんなの都合の良いものを摂る訳ですね。繕いながら行くんですよ。そういう時の言葉もまた決まってるんですね。「真摯に受け止めまして」、「私は忸怩(じくじ)たる思いで」、「力の限り頑張ります」、「約束は守ります」、「温度差があります」、「絆」なんつーのがそうですね。言葉が綺麗で内容が無いというのが、ま、『地球に優しい』なんつーのがそうでしたね。こういったものはですね『三百代言』に使われる言葉であります。





もう一つの現象がですね、『虚偽』でありますね。これはどうして『虚偽』ができるかっていうと、これも理屈があるんですね。『虚偽』が生じるのはやっぱり『力』が無いからで、『力』が無いとですね、矛盾が露呈してくるんですよ。その場その場でやってますからね。そうすると『虚偽』をせざるを得ないです。





これの典型的なのが今の首相ですね。選挙の時には「絶対に増税しない」と街頭で演説し、首相になると「増税に命をかける」という発言をするんです。これはですね、本人が能力が無いからしょうがないんですね。選挙の時には本当に増税が駄目だと思っているんですよ。ところが財務省の官僚に一度ぐらいレクチャーを受けますと「おっ!日本の財政ってこうなってるのか。じゃ~増税しなきゃ」、これはですね、意見を変えているかどうか分かんないんですよ。最初から何も無いんですね。今も何も無いんです。財務省の官僚から聞いたから増税しただけで、他の人から聞けばまた全然別になると。ま~、こ~んな感じですね。





それからもう一つはNHKなんかの温暖化の『ウソ報道』、『ヤラセ報道』ですね、これはもしかしたら分かっていない、というのと利権になるというのと二つの組み合わせですから、ま~言ってみれば『欲ボケ現象』かも知れませんね。ですから、ま~この嘘が、こういった『虚偽』が出てくるというのは、元々意見が無い人、『NO意見』の人と『欲ボケ現象』の二つでしょうね。





で、この問題、非常に難しい問題を背景に抱えておりまして、それは組織の老朽化であります。これはカスの蓄積と言ってもいいし、エントロピーの増大と言っても良いんですね。人間は自然の一部なので人間の行動は自然の摂理に従います。例えば慣性の法則、これは『ガリレオ放談』でやりました。世の中の慣性の法則、それからエントロピーの増大の支配がなりますから、NHKとか東大なんかは腐敗するのは当然でですね、この腐敗を防ぐにはどうしたら良いかっつーと『解体する』ってことですね。





だけどもNHKにも東大にも今、『西郷隆盛』、『勝海舟』いなんですね。ですから自ら『解体する』っつー事は恐らくしないでしょう。私がこの前、西郷隆盛、勝海舟の会談の事をちょっと書きましたが、『1年2パーセントの原理による社会の変化』と『旧来システムの断層』が広がってですね、行く訳ですよ。260年の徳川幕府の歪みが出てる訳ですね。これを打ち破るエネルギーっていうのがですね、これは西郷隆盛クラスじゃ無いとダメなんですね。これは組織の中には無い訳です。





これが現実に出たのが、第二次世界大戦で負けた日本とドイツが繁栄し、勝ったイギリスが衰退したと。だから簡単な解決策は戦争をわざとしてわざと負ける、と。これはですね、確かにそうなんですけども、つまり現状をガラッと変えると。ある時NHKが「今日から解散します」と言う風に朝の7時のニュースで言って、そのあと放送がピタッと止まるというですね、これがま~そうですね。これは『NHKが攻められた陥落した』という状態ですね。そうするとNHKは良い放送局として生まれ変わるんです。東大もそうですね。「もう東大は止めた」と言って再スタートしたら多分良くなるでしょう。





もう一つは武士階級を作るというのがありますね。かつて戦艦大和を操縦する、もしくは切腹や改易を覚悟して城を守る。これは現在で言えば原子力発電所、財務省、NHK、東大、そして小学校なんかがこれに当たります。卓越した力と知識、胆力と覚悟を持った武士階級がいればですね、内容が不透明でも正しく運営されます。





このように、これは一つの断面、現在の組織と人物のアンバランスに関する一つの断面を今日は書いてみましたが、かつて封建時代のイギリスが、『バカ殿がいる時にどうするか』とまじめに議論した様に、現在の日本はもう既に綺麗事を議論する時代では無いと思いますね。ひ弱で力のない指導者持って、日本の将来を守るためには日本人はどうしたら良いかとという議論をどうしても必要になって来たかな、と。





次の選挙に出馬して来る政党や候補者というのを見ますとね、何をするっていう事が無いんですよ。先ほど言いました様に『ひ弱な欲ボケ議員』が候補者なんですね。ま~ちょっと酷い言葉なんですが。だから多分「真摯に」とか「受け止めて」とか「忸怩(じくじ)たる」とか「力の限り」とか「約束を守る」とか多分言いますね。それは何を言っているのかと言うと、別に内容は無いんですね。議員になりたいだけなんです。つまり『欲ボケ現象』なんですかね。『欲だけあるけど頭はボケてる』っていう(笑)…これちょっと言葉が悪いですね。もう少し言葉の良い言葉を探してみますけども、ま、端的に悪い言葉を使えばそうだと言う事ですね。しかしそれは現実です。私たちが作った社会、日本ですからね。





これはもうしょうがないので、この際それを認めてですね、どうしたらそういう『ひ弱な欲ボケ議員が増える』、もしくは『ひ弱な欲ボケ教育委員会が増える』、『ひ弱で欲ボケ報道が増える』という事に対して、私たちはどういう風にしたら良いか?と言う事を少し議論をしなきゃいけない、とこの様に思う訳です。


※三百代言(さんびゃくだいげん)…詭弁きべんを弄ろうすること。また、その人。また、弁護士をののしっていう語。明治時代の初期に、資格のない代言人(弁護士)をののしった語からいう。「三百」は銭三百文の意で、わずかな金額、価値の低いことを表す。「代言」は代言人で弁護士の旧称。



※改易(かいえき)…現任者を解職して新たな者を任ずること。中世以降、刑罰の一種と見なされるようになり、守護職・地頭職などの「職」の解任と所領の没収をいった。江戸時代には武士の所領や家禄・屋敷を没収し、士籍から除くことをいう。蟄居(ちっきょ)より重く切腹よりは軽い。


(文字起こし by つよぽん)