教育論 私なりの理解(3) 教育論 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

教育論 私なりの理解(3) 教育論 (10/22)




戸塚宏先生の講演の3回目のまとめです.これで一応のまとめを終わります.



1)不登校、引きこもり、家庭内暴力があるのは現実である、


2)しかし、人間はそれらを克服して幸福に生きることが大切である、


3)幼児教育に失敗しても回復はできる


4)体を動かすこと・実践が回復のポイント


5)教育を体験し、現実に人を育てたことの無い人は教育は分からない、


6)未来が明るいことが生きる力


7)人間には「進歩」が必要・・・明日は今日より明るい



福沢諭吉、西周、デューイ、菅原道真、紫式部など広い知識と深い考え

「和をもって尊しとなす」は前に「礼」があり「礼は之和を以て貴しと為す」が正しいなど古今東西の文献を引きながらのお話であった。


(平成24年10月22日)




--------ここから音声内容--------




まぁ具体的な教育論ってのは、これが一番大切なんではありますが…まぁあまり具体的なことは差し障ることもあるんだと思いますが…あまり触れる時間も無かったかもしれません。現実にしかし…不登校の子供達、引きこもりの子達、家庭内暴力てのがずいぶんある訳ですね。それで非常に困っている…まぁもちろんお母さんもそうですし、本人も困ってるわけですね。





しかし、先生の固い決意はですね…信念は…「人間はそれらを克服して…幸福に生きることができるし、また大切である」という信念がおありで、それでここまでチャレンジしてこられたんでしょうね。「幼児のときの教育に失敗して…まぁもし、そういう欠陥ができても、それは回復できるんだ」と、そう思ってくれる先生がいないとですね…子供は立派にならないんですよ。そのためには「体を動かすこと。実践が回復のポイントである」と…いう事ですね。





え~私もですね、まぁずいぶん戸塚先生に比べれば楽な教育ではありましたが、しかし私も実は、ある程度宗教の勉強したりなんかしたのものですね…自分の目の前を傷ついた若者が通り過ぎるわけですが、それに手が届かないという、もどかしさを教育をしながら感じてたわけですね。「どうしたら、その悩んでいる若者に手を伸ばすことができるか」ということは、本当にこう…歯痒いし難しいんですね。





本人もまたそれを分かっていて、打ち破ろうとしますが、やっぱり人間の心ってのは非常に複雑なので、見かけ上、ぐれたり反抗したり、引きこもったり、暴力を振るったりするんですね。人間が成長していくってことは本当に難しいことで、それは綺麗事でも、文科省の指導でもなんでもないんですね。ちょっとしたことが、そうことになったりする訳です。





それに対して、なんとか「ちゃんとした人間になるんだ、絶対できるんだ」という信念をもった人が、苦労しながら教育をしていくという事がですね、まぁ…人を一人ずつ救っていく元なんですね。これは本当に…こう…教育をした人でないと分からない。と私も思いますし、まぁ戸塚先生の体から、そういう雰囲気が出ておりました。





彼もいろいろ…裁判とか…苦しい思いをしましたが…マスコミが戸塚先生を揶揄するような事もずいぶん多かったんだそうでありますが、彼としては「教育をしてない人に、何が分かるか」という、そういう残念な思いの中で、長い間苦労されてきたんじゃないかなぁという風に思いますね。まぁ裁判の結果なんかは私は良く知りませんが、非常に残念な事が多かったという風に感じられました。





しかし、そんなことを乗り越えても、次々と子供達は成長していきます。その子供達が生きていく力は、未来が明るいことですね。これを、先生はいろんな言い方で言われておりますが、たとえば「人間には、進歩がいるんだ」と。「明日は今日より明るいって事が必要なんだ。それによって人間は生きていく事ができ、まともな人間になるんだ」と、こういう風にお考えですね。





私も実は「2%の原理」というのを言っておりますが、大体人間は例えばですね…お母さんが台所で皿を洗う…と。昨日まで洗ってるよりか良い方法が見つかって、スムースにお皿が洗えるようになるとしますね。そうしますと、そのお母さんは、必ず良い方…つまり改善された方法を使うんですよ。人間はですね、なぜか…ってのは、これこそ進化なんですが…多分、戸塚先生が言われてる進化って、それなんですけど…人間の本性なんです…生物の本性なんですね。





今までやっていた悪いお皿の洗い方に対して、それを改善した、より良いお皿の洗い方を一度やるとですね…人間は進歩したものしか使えないんですよ。進歩したものを知っていながら、古い洗い方で洗うってことはできないんですね。これが私が言ってる、「年に2%だけ進化する人間」という言い方をしておりますが、まさに、そういうことであります。





総じて言えばですね、3回シリーズで私なりの理解というものを示しましたが、福沢諭吉、西周(にし あまね。江戸時代後期の啓蒙家)、デューイ(20世紀前半のアメリカの哲学者)、菅原道真、紫式部など、非常に幅広い知識・深い考えでお話をされました。また、その一つとして「和をもって尊しとなす」という前には「礼」っていうのがあり「礼は之(これ)和を以て貴しと為す」。





私この「尊し」というのを2つ使い分けておりますが…「尊し」一つでもですね、どういう字を使うかという事も、日本文化の中では非常に重要なポイントであります。我々はですね、日本文化から今、大きく離れ、西洋の理性の中で苦しみ、そして、その中で苦しんでる子供達を生んでいるわけであります。一度我々はですね…日本文化…大和魂というものを、もう一回思い出し、それを整理し、その中で教育できないか?ということを、体罰を含めてですね、もう少しまじめに真剣に考えなければいけないんじゃないか?





我々はあまり安易に、西洋の教育法・文化論を持ってきて…つまり、日本という良い文化に悪い文化を持ってきたって感じですね…わざわざ悪くしたと、その中で子供達を教育する…そのひずみがですね、可哀想な子供達を生んでいるんだという全体の思想はですね、ぜひ我々が真面目な気持ちでじっくりと聞いてみる必要のあるものだ、と私は考えます。


(文字起こし by ちゃりだー)