時事寸評 「1キロ100ベクレルは国が決めたから」とマスコミ (10/25)
日本はこれまで食品安全ではかなりのレベルにあり、原則は3つだった。
1)100分の1原則、
2)人工的に添加するものについて厳しく(キャラメル事件)、
3)食品会社や流通を厳しく糾弾する、
4)実質的に安全でも産地偽装ばかりではなく、添加物の量と順序なども厳しく求める。
ところが、放射性物質になって、急変した。
1)法律(内部+外部被曝=1ミリ)を無視、
2)食品安全委員会の1キロ100ベクレルは外部被曝ゼロの時と知っていながら100ベクレル以下なら良いと報道、
3)汚染された給食を提供し続ける川崎市長を「教育上の配慮」とかばい、会社の名前を隠すなどの「配慮」をしている。
「マスコミはなぜ、食品だけで1年1ミリという基準を使っているのですか?」とある大手のマスコミの記者に聞いたら知っているが書けないと言う。表現の自由を放棄したマスコミ、サラリーマン化した記者は日本の将来にどのような影を落とすだろうか?
(平成24年10月25日)
--------ここから音声内容--------
現在の食品の基準がですね、1kg100ベクレルになっているわけですね。これがですね…あの非常に問題があるわけですが、それをマスコミはですね、「国が決めたから」ということでそのまま無批判に使っているわけですね。これは今までの国のですね…日本の国の食品安全とは全く違うものなんですね。
それから、マスコミの報道としても違うんですね。まず第一に、日本は1/100原則…これはこのブログでも説明しましたが、農薬とか食品添加物ですね…昔はぎりぎりの規制をしていたんですけど、 考えてみれば、人によっても違うし、それから食べる量も違うし、種類も違うし、それから実験上のあやしいこともありますからね。誤差もありますので。そういうことで、1/100にして、ようやっと日本の食材ってのは、やや安全になったっていうことですね。
これはマスコミもずっと支持しておりました。それから人工的に添加するものに対して非常に厳しかったんですね。自然とは区別をしておりました。これの極端な例がキャラメル事件ですね。キャラメルの中に、アセトアルデヒドですね…アセトアルデヒドがほんのわずか入っていたんですね。
このアセトアルデヒドの量は、例えば干ししいたけとかヨーグルトとかお酒なんかともう全くレベルが違う、低いもんだったんですね。大体普通の食品の1/100ぐらいという低い量だったんですが、新聞は「そんな事は駄目だ。自然にあるものだからっつって、人工的に添加して良いもんじゃない」ってですね、ものすごく騒ぎまして、600万個のキャラメルを捨てさせました…ついに。そこまでマスコミが追い込んだんですね。
それから、もうひとつは食品会社とか流通がちょっとでもおかしなことをしますと、マスコミは本当にですね…もう叩きに叩いて、小さな食品会社がずいぶん泣きました。徹夜徹夜を続けてですね、それでも潰れていくところもありました。ましてですね、更に実質的に安全でもですね、産地偽装はもちろん、ものすごくバッシングしますし、添加物の量だとか、それとかもっとつまんないのは、(記載)順序が違うとことでも叩きました。マスコミってのは弱いものいじめなんですね…基本的には。まぁそれはマスコミの記者さんの一人ひとりの人格によるんでしょうけどね。
ところが、東京電力ってでかいところと、政府が後押ししております、この原発の事件になりますと、ガラッと変わりました。まずは法令を無視したって事ですね。内部+外部被曝が1ミリということをずっと隠していた。
それから、食品安全委員会自身がですね、「1kg 100ベクレルというのは、外部被曝がゼロのときに、食品だけで1年1ミリになりますよ」って言ってるにも関わらず、つまり現在の日本ではですね、東北地方から関東まで少なからず外部被曝をするわけで…したがってその食品安全委員会の1kg 100ベクレルっていうのはですね、その場所の外部被曝だとか、それから…そういうものによって変えてかないといけないと分かっている訳ですよね。それやらない。
もっと川崎市長みたいのもいますからね。教育上の配慮で、子供達の給食にですね、汚染されたみかんをわざといれるっていう、まぁそういうやつですね。そういうものの会社の名前を隠すというような配慮もしております。でこれがまあ、私はですね、そんなに日本のマスコミがひどいっていうか、記者なんかの一人ひとりとお会いするとなかなか良いもんですからね、それほどマスコミ批判っていっても…マスコミ全体はいけないんですけども、記者さんは良い人が多いんですよ。
で、そういう記者の一人にですね、「マスコミはなぜ食品だけで1年1ミリと言う基準を使っているんですか?」と。「1kg100ベクレルをご存知でしょう」って…知ってるわけですよね。で、「書けない」って言いましたね…この前。書けないってのはですねぇ…新聞記者はそれじゃ駄目なんですよ。表現の自由がありますから。それじゃいけないんですが、書けないっていいましたね。
それをこの前、橋下大阪市長ですね、これの出身に関する…出身ちゅうか親っていうかそういうものに関する非常に悪質な記事に対して、「週刊朝日」が編集部の責任って言いましたね…全面的に。違うんですよ。もちろん編集部にも責任あります。編集ですからね。だけど、一番責任があるのは、書いた人なんですよ。記者なんですよね。やっぱ執筆に対して責任を持たなきゃいけないんですよ。あのそれは編集部が採用したって、その責任は編集部にありますが、全面的に編集部に責任あるってのは、嘘なんです。
これは割合有名な作家が書きましたから、その作家はもっときちっと、「私は悪くない」と、どういう理由で日本人の差別と言うものをここで書かなければいけなかったか?ということをはっきり言わなきゃいけませんよ。
つまり、学者ですね。今度の私…イタリアの事件もそうなんですが。地震でですね、学者が禁固6年になりました。皆さんは「発言の自由が損なわれて…」、いや、全然そんなことありません。発言の自由ってのは、自由に無責任に言って良いっていうんじゃないんですよ。ちゃんと責任を持ち、本人がどんなときでもそれをきちっと説明する。またはですね、マスコミとか審議委員会の委員っていうのは、学者ではありませんし、自由な立場ではありませんから、ちゃんとその…言っているものの影響も考えて、個人ではないということでですね、発言をしなきゃいけないわけですね。
個人の発言ってのは、これは本を書くとか随想を書くってのは全く許されているわけですね。ただ、もちろん権力者はこれを書く場合ちょっと別なんですが、まぁ一般的には許されているわけですね。、こういったことをですね…全てあいまいにしていたらですね、この複雑な社会ってのは成立しないわけですよ。こっちに逃げる、あっち逃げるってしてたらですね。
最近のブログに、私こういう事を書きました。「放射線審議会の委員長が1年1ミリってのは自分が決めたんだけども、それは管理基準であって、別に1年1ミリを守らなくて良い」と…こんなこと言うんですからね、まぁ、ちょっともうあまりにも道徳っていいますか、倫理が落ちてしまって、もうコメントができないってくらいになってしまいました。
せめてこの食品は、私はまぁ1年40ベクレルって言っているわけですね。これはまぁ…日本の比較的被曝地帯で、普通はそういうものをやるわけです。極端な所は除きましてね、まぁ住んでもいいってところで被曝する、そうすると1年に0.6ミリシーベルトくらい外部とか水で被曝する。だから食品は0.4ミリシーベルトくらいででないといけない。だから1kg 40ベクレル…ちゃんとこういう説明をきちっとしてですね。
少なくとも、言う本人はちゃんと自分で納得したことを言うという、まぁそういうですね…やっぱり、なんていいますかね…文化を創っていかないとですね、これは倫理という意味じゃ、全部倫理違反であります。まぁこのようにですね、我々ができることは、別に買わなきゃいいんですから、朝日新聞とらなきゃいいわけですね。NHK見ない、朝日新聞とらない、税金もできるだけ払わないということですね。
鳩山さんが首相の時に、1500万円を毎月お母さんからもらっていたやつも、あいまいなんですけど、ああいうのもはっきりする。税務署自身があれに声を上げなきゃいけませんね。あれも税務管理としては問題だから、国会でちゃんと明らかに…まぁ裁判か国会で明らかにしてください…ということを、国民がひとつひとつ声を上げなければ、こういう問題はもう解決しませんね。
そのひとつとして、大手の記者も「実は書きたいんだけど書けないんだ」という雰囲気の社会ができてると、まぁこういうことになるでしょう。
(文字起こし by ちゃりだー)