人生講座(1)節約と人生 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

人生講座(1)節約と人生 (8/6)




世界には約60億人を超える人たちが生活をしています.その一人一人は、それぞれ自分、家族、国家、そして世界を考えながら、それぞれの人の人生観や価値観に従って生きています.



たとえばここに「節約が大切」と思っている人がいるとします。その人がなぜ「節約が大切」と思っておられるのかはハッキリしません.普通に考えると「お金を貯めたい」のか、「地球環境を考えてのこと」かどちらかのように思います。でも、この二つは個人の損得と地球環境ですから、全く違うものでかみ合わないはずです。



ある人(Aさん)が「お金を貯めたい」と思って「節約」をしたとします。昔なら銀行が発達していなかったので、節約して余ったお金をタンス預金する人も居たと思いますが、今ではほとんどの人が銀行に預けるでしょう。



銀行に預けたお金は銀行の金庫に入っている訳ではなく、直ちに貸し出されます。銀行預金の利子がどんなに少ないと言っても、利子がつきます。一方、銀行は町の一等地に店舗を構え、冷暖房や電灯をつけ、世間の平均より高い給料をもらっている銀行員が働いています。かなりの経費がかかるのでいくら利率が低くても、預金されたお金を運用しないとやっていけません。



かくして銀行はできるだけ金庫のお金を減らして貸し出ししようとするのは当然です。つまり、節約してお金を余し、それを銀行預金すると、そのお金はすぐ別の人が使います。銀行の本来の働きは社会で余剰となったお金を預かって、それをお金を必要とする人に回すことによりお金の効率的な利用をはかることにあるわけですから、社会の正常な働きです。



仮に1年ほど銀行にお金を預けたAさんが、銀行から引き出して自動車を買ったとします。そうするとAさんが節約したと思っているお金は、銀行から借りた人が使い、Aさんが使いますので二度使われます。つまりAさん個人も節約したことにはなりませんし(お金を使う時期がずれただけ)、社会はAさんが節約した分だけ2倍の消費をすることになります。



Aさんは日頃から「私は環境が大切と思うから、タクシーを乗らずにバスを利用するのよ」と言っていました。彼女がタクシーに乗ればそれだけお金を使いますから、お金が余らずに預金できなかったでしょう。彼女はいったい、何を考えているのでしょうか?


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かつて、たとえば江戸時代ですが、貨幣経済が発達していない頃、特殊な場合には本当の意味での「節約」は可能でした。たとえば、薪(たきぎ)が足りないとき、少し寒いのを我慢して囲炉裏にくべるのを少なくするというようなケースです。それでも、もし自分の裏山が充分に大きければ、むしろ積極的に薪として使った方が裏山を守ることもあります。



ただ、貨幣経済ではないので、「使わない分だけお金が余る」という事はありません。使わない分だけ「物」が余りますから、それはまた別の機会に使える場合があるということになります。



この話は主婦の方はピンと来ないかも知れません。主婦の方は普通、毎日、節約の連続で、少しでもムダ使いを少なくしようと努力されています。でも貨幣経済の元では、「ムダを少なくする」というのは「多のものを買う」ということを意味していますから、家庭としては良いのですが、環境を良くするということにはつながらないのです。



「個人が節約すると、消費が増える」という奇妙な現象は「合成の誤謬」と言う難しい言葉を使うことができます。貨幣経済のもとでは、一人の人がやる目的が、全体としては逆の方向になることが多く、それは経済学ではよく見られることでもあります。



では、なぜ政府や官僚、そして識者と呼ばれる人が「環境を良くするために節約に心がけましょう」と言うのでしょうか? 私たちの人生には「節約」とか「質素な生活」というのはあり得ないのでしょうか?


(平成24年8月6日)




--------ここから音声内容--------




中部電力のですね、課長の事件以来しばらくですね、ちょっとあの原発以外のことをちょっと書く気がしなくなっちゃったんですが、少し落ち着いてきましたので、新しいシリーズを始めたいと思っとります。まぁこの…色んなことがあって、基本的に少し考えてみなければいけないという時代になりましたので、それに応じてですね、少しゆっくりと考えてみたいということで、一回目は「節約と人生」っていうタイトルをつけました。





世界には65億人ともいうんでしょうか、多くの人が生活してるわけで、その人たちは一人ずつ民族も違えば家族、国家、社会、世界ってのが違うわけでありますが、それぞれ日本のように宗教をほとんど持ってない国もありますが、ほとんどの国は宗教を信じて生きてるという感じがしますですね。





日本には節約は大切と思っておられる方が結構多いんですけども、私には節約は大切ってのはよくわからないんですね。お金をためたいっていうのはこれはもうわかるんで、お金はためてどうするかは別にしまして、まあお金をためたい。もう一つは地球環境のことを考えて節約をするという人がいまして、これはまあ全然違いますからね。お金をためたいってのはどっちかったら利己的な考えで、地球環境を考えて利他的というか、まぁ自分が少し犠牲になっても地球環境を考えると、まったく違うことなわけですね。





で、ある人、これ仮にAさんとしますが、Aさんがですね、お金をためたいと思いまして節約を始める、と。昔なら銀行が発達してなかったのでとりあえず節約して、たまったお金はタンスに預金するということもあるんですが、今ではほとんどの人が銀行に預けているわけですね。そうしますと銀行に預けたお金は銀行の金庫に入ってるわけじゃなくて、ただちに貸し出されますね。





今もう銀行の利子っていうのはほとんどないんですけど、それでもですね、銀行は町の一等地にとにかく店舗を構えておりますね。冷暖房や電灯もつけて、世間の給料より銀行員の給料ってちょっと高いですよね。だから経費かかりますから預金されたお金を運用しないととてもやっていけないわけですね。





で、預金されたお金をすぐ貸し出します。で、貸出しということはどういうことかって言いますと、自分はそのお金を使わないんですけども、そのお金を必要とする人に回してそこが使うということですね。仮に一年ほど銀行に100万なら100万という金を預けて、それを銀行から一年たって自動車を買ったとしますと、Aさんが銀行に預けないで自動車を買うのと、銀行に預けてから自動車を買うんでは、100万なら100万(社会的には)二度使われますね。これがお金の使い方としてはいいんですね。回転率が高いというか、そうなるわけですね。





しかしそのAさんがですね、例えばですね、日ごろから「私は環境が大切だと思うから、タクシーに乗らずにバスに乗るんだ」と…実はこれは書く気になったのは、この前どっか新潟だったかですか…行くとですね、公共交通機関の宣伝が出てまして、「財布に優しい、地球に優しいバスを使いましょう」とあったんですよ。「いや、財布に優しいはわかるけど、地球はなぁ」と思ってですね、新幹線乗ったもんですからこんなこと書く気になったんですが。





タクシーに乗ればそれだけ余計な金は使いますから、金が余らずに預金しません。バスに乗るとお金が余るのでその分預金しますので二倍かかるということですよね。これどうしてこんなことなっちゃうのかってことをちょっと説明しますと、江戸時代ですとですね、貨幣経済が発達してないんで、特殊な場合を除いては実は節約というのはできたわけですね。例えば薪を焚くのに少し我慢して、囲炉裏にくべるのを少なくすると、薪をですね。もし自分の裏山が充分に大きければいいんですけども、普通ではですね、その方がいい、と。





これは貨幣経済じゃないんで、節約すると物が余るんですけどね。ところが貨幣経済ってやっかいなんですよ。使わない分だけお金が余っちゃうんですね。お金が余るってことはどうなるかってことですね。この話は主婦の方にピンと来ないかもしれませんが、普通の主婦の人は毎日どんどんどんどん節約してるわけですね。この節約するったら、貨幣経済の下では「無駄を少なくして多くの物を買う」ということを意味してるわけですね。





つまり個人が節約すると消費が増えるってことになるわけです。これは経済学では「合成の誤謬(ごびゅう)」っつってですね、難しい言葉があるんですが、普通の原始的な経済では一人のやることが全体になるんですけど、貨幣経済やっかいでですね、一人がやることが全体としては逆の方向になるということになるわけですね。





ですから、これは意味がないんですよ。ただ次回にですね、政府とか官僚とか、それから識者と呼ばれる人たちは、環境を良くするために節約に心がけてもダメなこと知ってるんですね。知ってるのになぜそう言うかという、この謎解きをですね、やろう、と。





それから私たちの人生は質素な生活ってのは有り得るのかと、これについてもですね、根本的に考えてみたいと思うんですね。私は実は正直であるとか、誠実であるってのを非常に大切にするんですよ。もちろん世の中にはウソをつく人がいるんですが、できるだけ遠ざかって話さないようにしております。





「君子危うきに近寄らず」ってわけじゃないんですけど、ウソをつく人と一緒に生活しているとロクなことないんですね。第一疲れちゃうという感じがあってですね、そういう点ではですね、ものすごく言いにくいんですが「環境のために節約しています」って言う人はね、そろそろ言うのやめた方がいいんじゃないかと思うんですね。





最初のころは貨幣経済のこういうクセを知らずに、善意でですね「節約してる」というふうに言うのはいいんですけども、もうここまで環境問題が話題に乗って20年たちましてですね、貨幣経済の下では節約しても消費を抑制することができない、むしろ消費を促進するんだ、と。しかしそれをわかってて政府とか官僚の人たちが、環境を良くするために節約を呼びかけたり、またバス会社がですね…公共のバス会社ですよ…公共のバス会社も知ってるのに、バスに乗ると地球に優しいという言い方をする、と。これいったいどういうことなのかというのを次回考えてみたい。





そしてさらにそれを踏まえてですね、私たちの人生にもし節約がなければ、いったい私たちはどういう人生を送るべきなんだろうかということを、ゆっくり考えてみたいと、そういうふうに思います。


※合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、かならずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。


何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。