人生の節目・衝撃の一言;私は防護服なのに、彼は普通の格好をしているのです! | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

人生の節目・衝撃の一言;私は防護服なのに、彼は普通の格好をしているのです! (7/26)




ある大新聞の記者が私に次のように言いました。



「先生、原発事故から数日経ったときに私たちの新聞社の記者は全員が福島から引き上げました。そして1ヶ月ほど経ったときに防護服に身を固め、線量計を持って福島に入ったら、そこに普通の格好をして仕事をしている人がいるじゃないですか」



彼は思い詰めたような目をして私を見て話を続けました。



「彼に聞くと「いや、安全だって報道していたから、そのままここにいるだけだ」と言いました。私は恥ずかしくて取材ができなかったのです.あんな体験をしたのは初めてです」



彼はこの話を言わないで、私の取材ができなかったのだろう.マスコミも苦しんだのかも知れないがそろそろマスコミ自身で総括をするときだ. もちろんNHKは30キロ定点カメラを残したまま総員引き上げた上で、受信料を払っている福島の人に「安全だから、そこに居て良い」と言う趣旨の放送をした。これについても時系列的に詳細な資料を受信料を払っている全国民に出すべきだろう.


(平成24年7月26日)




--------ここから音声内容--------




もう今から1年ほど前のことですけれども、ある大新聞の記者がですね、私に取材をする時に、次のように言いました。「先生、原発事故から数日経ったときに私たち新聞社の記者は全員福島から引き上げました。そして1ヶ月ほど経った(経って)からですね、私たちは防護服に身を固めて、線量計を持って恐る恐る福島に入って来ました。そしたら、そこに普通の格好をして仕事をしている人がいるじゃないですか」





彼は思い詰めたような目をしてですね、私を見て話を続けたわけですね。若干下向きになってました、顔はですね。彼に聞くと「いや、いや、安全だと放送してたから、そのままここにいるだけだ」と言ったそうですね。彼は、「私は恥ずかしくて取材ができなかったんですよ」と。「あんな体験をしたのは初めてです」とこう言ってました。




彼は良心的な記者だったんだと思いますね。この話を私に言わないと取材ができなかったんでしょうね。
マスコミにも苦しんだ人たちが多くいると思いますが、しかし、苦しんだから免罪されるということはありません。マスコミ自身が総括をしてですね、国民に対して、「事故後自分たちはどういう行動を取ったのか?」 「どういう報道をしたのか?」 「そこに何があったのか?」ということをですね、やはり伝えるべきだと思います。これは、今後のマスコミとかテレビの信用性を高める上でですね、非常に大切だと思いますね。





私は、マスコミはこの社会に必要だと思うんですよ。しかしそれはですね、「正しいマスコミ」が必要であり、正しいマスコミは、マスコミ自身が、自分たちのキズもですね、まずいところも言うことによってマスコミのためになると思います。それがマスコミのためですね。しかし、NHKはどうですかね? 30キロ定点カメラを残したまま総員引き上げて、受信料を払ってくれている福島の人に「安全だから、そこに居て良いよ」という内容の放送をしたんですね。




これについては特に、NHKは受信料を取っていること、国民に危険を知らせる義務があることからですね、「時間を追っていったい何があったのか?」をですね、受信料を払っている全国民に出すべきですね。「それをやるか」 「NHKやめるか」もうどっちか、もう決める時期に来ています。


(文字起こし by haru)