原子力規制委員会:就任予定委員の反社会的活動をどう評価するか? | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

原子力規制委員会:就任予定委員の反社会的活動をどう評価するか? (7/26)




日本の大人、親として、今後の原子力の安全について真剣に考えなければならない。その一つが秋に発足すると言われている原子力規制委員会の概念と人選である.これについて「まあまあ、なあなあ」ではまた事故が起こり、子供達が被曝する.



まず、第一に、原子力規制委員会と言われる組織ができるのは、これまで原子力は「原子力委員会」と「原子力安全委員会」の2つがあって、それぞれ「推進」と「規制」を担当し、その事によって日本の原子力の推進と抑制を守ることが国民の合意だったことを確認しなければならない。



しかし、今は事故が起こったあとです。事故が起こったと言うことは「システムは万全だったのか、システムに問題があったのか」というだ。私は「ひ弱で御用学者になった東大教授と、組織的に完璧な防御網を持つ官僚」の組み合わせに原因があり、システムではないと考えている。



あるとき、私がさっぱり改善されない原子力の安全について原子力安全委員長に話しに行ったときだ。「武田先生、周りを官僚に取り囲まれていて身動きがとれないのですよ」と言う。原子力関係者で原子力安全委員会を作っていたことも問題ではあるが、ほとんどの判断が官僚によってなされていたことが最大の問題である。



さらに「勲章」と「老後」の問題がある。東大教授は順調にいけば退官後、適当なところに再就職し、さらに勲章をもらえる.だから55才ぐらいを過ぎると「元気な東大教授」は絶滅する.あとを考えるからだ.だから官僚に逆らって評判を落とすとそれで自分の後半生は終わりである.



残念なことに、わたしは日本の官僚で「原発を安全に動かしたい」ということを第一に考えている人に会ったことはない。「原発は安全の方が良いが、国民はどうせ理解しないから、国民やマスコミが理解する範囲を最優先しなければならない」と確信している.



だから「危険だからここを直すべきだ」という意見が出ると、「今更、そんなところを直したら今まで危険だったと言われる」と言うことになり、「非常時の訓練をするべきだ」というと「非常時が起こると勘ぐられる」というアウトローの人がいう類いの反論が来る.



つまり、原子力を安全に進めるためには、

1)ひ弱な御用学者を登用しないこと、

2)安全委員を選ぶときのプロセスを透明にすること、

3)官僚支配の構造を打破すること、

が国民の安全を守ることになる。



でも、福島原発事故の後になっても、このような議論がほとんどなされないまま、原子力規制委員会というのが新しくできることになっている。もし、新しい組織を作るなら、委員長や委員には「ひ弱な御用学者」ではなく、決定過程は「不透明な登用基準」でなく、さらに官僚が主導権を握らない組織にしなければ組織の名前を変えただけになる.



・・・・・・・・・



その点で、委員の候補として上がっている中村佳代子氏が福島で講演し「低線量被曝は問題ない」と発言したと報道されていることを国民として検討しなければならない。



彼女は日本アイソトープ協会に所属し、「低線量被曝(1年1ミリ)の規制」に深く関係している。アイソトープ協会は放射性物質を取り扱うビジネスをしているところで、規制値が厳しい方が取扱量が増えます.だから、今までも1年1ミリを厳しく守ってきた組織だ.



事故が起こらない前には低線量被曝を問題にして日本アイソトープ協会が扱う放射性物質の量を増やして商売をし、事故が起こると「低線量被曝など大丈夫」と豹変したとしたら、「ひ弱」どころか、専門家としての見識が疑われる。



さらに問題なのが「遵法精神」である。原子力の規制で重要なのは、

1)推進の立場で物を考えるのではなく、安全を第一とする、

2)規制と規制の精神を守る、
ということである。そして日本の規制の法規には「被曝はできるだけ減らすこと」と明記してある.原子力規制から言うと「低線量被曝」は避けるべきことなのだ。



もともと、原子力委員会に加えて原子力安全委員会を作ったのは、人間の脳の欠陥(自分が有利になるものが正しいと錯覚する)を補うためである。だから、原子力安全関係の委員は原子力を推進したら名誉を得たり、お金を得たりするのではなく、物理などを専門としているが、原子力には「やや批判的」な人材を登用しなければならない。



原子力を推進する側は理論的合理的に、批判的な人を説得できること、それで始めて原子力の安全が保たれる。その点では、昨日のブログで指摘したように、すでに現在の日本は「困難な問題を正面から議論する勇気と根気」を失っているように見える。



「原子力の批判的な学者を使えば、原子力ができなくなる」(安全に自信と説得力がない)ということが原子力安全委員会を有名無実にした一つの原因でもある。



どんなに批判的な人でも、オープンで議論したら、理論的、合理的なものを反対するのは難しい。もしそれが学問的に判断できるものであればなおさらである。



中村さんが具体的に「違法行為(低線量被曝は気にする必要がない)」、「法規で退避を必要とするところに住んでいても良い」などということを教唆したかどうかは講演の詳細が不明だからわからないが、この際、国かご本人が講演の全記録を示し、「違法行為を教唆したり、法律の趣旨に反したりする意図がない」ことを公にしなければならないだろう。



国民は心の底から原子力の実施、福島方面の人の健康を心配しているし、それは事故を起こした日本人、日本の親の責務でもある.


(平成24年7月26日)




--------ここから音声内容--------




報じられているところによりますと、今度できることが予定されている原子力規制委員会の就任予定の委員がですね、確かいわき市か何かで反社会的な発言をしたというふうに報じられております。この詳細は後ほどちょっと触れることにしまして、まずこの全体像の骨格について整理をしてみたいと思います。





まず第一にこの福島原発の事故を受けて私たち日本人はですね、世界に対してもまた子どもに対してもですね、きわめて重い責任を持っていると。従って原子力規制委員会が「まあまあなあなあ」でできるというのは絶対に防がなければいけないということを確認したいと思います。まず第一になぜ原子力規制委員会っていうのができるのかというと、原子力委員会と原子力安全委員会の二つで「推進」と「規制」をやり、そのことによって日本の原子力の安全を保つということが国民の合意だったわけですね。この合意を変えるわけですから、なんらかの理由がなければいけません。





今回の事故が起こった一つの原因はですね、システムが万全だったのか、システムに問題があったのかということですね。私の個人的見解は「ひ弱で御用学者になった東大教授が委員になり、その周りを組織的に完璧な防御網を持ってる官僚が取り囲むという組み合わせ」に問題があると、こういうふうに思っとります。それはある時私がですね、全然改善されない原子力の安全について、原子力安全委員長に話しに行った時にですね…これは個人的に話しに行きましたが「武田先生、周りを官僚に取り囲まれて身動きが取れないんですよ」と言われました。





もちろんそれ自身が問題ではありますけどですね、事実、ほとんどの判断が官僚によってなされていたことは確かであります。また秘密主義ですからね。なんで決定されてるかもわからないわけですね。さらに勲章と老後の問題があります。これが一番大きいですね。東大の教授は順調に行けば退官後適当なところに就職しまして、ワインを飲みながら豊かな生活ができるわけです。それからさらに70代になりますと勲章をもらえますね。従って55才ぐらいまで元気だった東大の教授もですね、55才ぐらいを過ぎますと、この二つ…再就職の問題と勲章の問題で金縛りにあっちゃうんですね。それで元気な東大教授がいなくなります。あとはもう官僚に逆らって評判を落とすことのないように暮らすと、こういうことですね。





でもう一つは官僚なんですが、官僚の人たちも若い頃は違うんですけどね。まあまあになってきますと、原発を安全に動かしたいということが第一だってことがないんですよ。原発が安全に動いた方がいいとは思っておられますが、「どうせそれは国民が理解しないんだから、国民が理解する範囲、マスコミが騒がない範囲でやるんだ」というふうに確信しているわけですね。そうしますと、例えば「非常用電源がこういうとこにあると危ない」という指摘があっても、「今更そんなところを直したら、今まで危険だと言われるじゃないか」ということでやらない。それから「原発が爆発した時の訓練をしておくべきだ。避難訓練しておくべきだ」と言うと、「非常時が起こると勘繰られる」ということになるわけですね。





これは私がよく言うように、舟に救命ボートかついてる。出航しようとした時にヤクザの人が…アウトローの人が、「救命ボートをつけて出航するということは、この舟は沈む予定なのか」というようなことを言う、こういった言いがかりというかですね、それに似たようなもんでありますので、そのレベルで原子力の安全を保つということは無理であります。つまり原子力を安全に進めるためにはですね、今回の事故の直接的反省としては、ひ弱な御用学者を登用しないこと、つまりどうも自分の先に再就職がちらついている、もしくは勲章がちらついている、自分の専門…原子力に対する信念よりかそっちを優先するということがない、ということですね。





それから安全委員が選ばれたり、今度もそうですけどプロセスに透明性がなきゃいけませんね。どうしてその先生を選んだのか、ということを決定する会議を、ある程度テレビカメラを入れてやるとかですね、そういういったことをしないといけない。それから官僚支配をどうやったら打破できるのかということですね。これは国民の安全を守るために必要なことであります。これでこそ文科系の人が活躍するんでしょうね。こういうシステムを作ったらいいってことを充分に正々堂々と国民に向かって説明しなきゃいけませんね。





しかし現実にはほとんど議論されない。いつのまにか原子力規制委員会ができるようになっている。もちろん保安院ってのが一番のガンでしたからね。保安院ができないでやめるってことはいいことなんですよ。だけど保安院をやめさえすれば全ての問題が解決するっていう、このわかりやすい図式はですね、やっぱりよくないんですね。やっぱりこれはよくないんです。やっぱりきちっとやんなきゃいけないですね。ひ弱な御用学者が登用されないのか、決定過程は透明なのか、官僚は主導権を握らないのかというようなことをですね、やっぱり国民は頑張って言わなきゃいけないんですね。





この直接的に私がこれを書こうと思ったのは、中村佳代子さんという、委員の候補に挙がっているらしいんですが…これ自身も不透明なんですが。福島で低線量被曝は問題ないと発言したと報道されております。全文が報道されてませんから一部わからないとこありますが、彼女は日本アイソトープ協会に所属しております。アイソトープ協会っつぅのはですね、放射性物質を取り扱うビジネスをしているとこなんですね。今までは規制値は厳しい方が儲かるので、「(規制値が厳しい方が)安全だ」と言ってたんですが、だからいわば低線量被曝は危ないと言ってきた組織なんですよ。それがですね、実はアイソトープ協会の人が事故後ですね、「低線量被曝は大丈夫だ」ということの発言をテレビでしてまして、私それ見てビックリしちゃったんですね。今までも私アイソトープ協会に何回も行きました。お世話にもなりました。そのアイソトープ協会がですね、実は「一年1ミリを無視していい」なんていうことをね、言うとはゆめゆめ思ってませんでした。もしもですよ、事故が起こったから低線量被曝など大丈夫だと豹変したとしたら、これはひ弱というどころかね、専門家としての見識を疑われるわけです。こういう人が委員になってもらっちゃそりゃいけないんですね。





それからもう一つはですね、「遵法精神」なんですよ。原子力の規制をするってことはね、法律を守るっていうことなんです、法規を。推進の立場で物を考えるんではなくて、安全を第一にするということと、規制とか基準ができたらその精神とか具体的なことを守るってことですよね。日本の原子力被曝の規制はですね、「被曝をできるだけ少なくする」、「低線量被曝を避けるべきだ」と書いてあるわけですよ。それなのに低線量被曝は問題ないって言っちゃいけないんですね。もしも個人的にそう思ってても言っちゃいけないんです。





もともとは原子力委員会に加えて原子力安全委員会ができたのはですね、人間の心にある矛盾ですね。つまり人間っていうのは悪気がなくてもですよ、錯覚するもんなんですよ、自分の有利なことを。だから原子力安全の委員はですね、今は違いますよ、原子力推進の方なんです。そうじゃなくて、原子力をやったら名誉になるとかお金を得たりする人じゃなくて、例えば物理ぐらいは専門としてるけども、やや批判的な人を登用しなきゃいけないんですよ。登用しなきゃですね。





これについてはですね、おそらく批判的を登用すると原子力が進められないと思うんでしょうけど、そんなことないんですね。これはですね、困難な問題なんですよ。原子力の安全というのは。だから、原子力に批判的な学者をきちっと説得できるだ、と。原子力は安全なんだからちゃんと説得できるんだということを、やっぱり確信を持ってなきゃいけないんですよ、推進側はですね。





つまりですね、みんなが1000人ぐらいが集まった集会は別ですよ。しかしですね、10人とか20人でちゃんとしたオープンの場でですね、NHKとかそういうのが放送してるっていう場でですね、きちんとした議論をするという時はですね、それが理論的・合理的であれば反対すんのは難しいんですよ、ええ。ですからですね、違法行為を原子力規制委員会の候補となる委員が言ったんであればですね、例えば「低線量被曝では気にする必要はない」とかですね、「法規で退避を必要とするとこに住んでいてもよい」というような、違法行為を教唆する、つまり反社会的行為をもし候補の委員がやったとしたらですね、もしくはやったと事実報道されてるんですから、国とご本人が講演の全記録を出して、そして「私は違法行為を教唆したり、法律の趣旨に反したりすることはない」ということを公にする必要があります。





これは今度の事故が起こったからですね、我々はそこはきわめて厳密にやらなければいけないと、そういうふうに考えます。