正しい電気供給量と電気料金(1) 適切な電気量 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
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正しい電気供給量と電気料金(1) 適切な電気量 (7/20)




日本がどの程度の電気を使い、どのぐらいの電気料金であるべきかというのは日本の将来を考える上でとても大切なことです。電気は自動車、テレビ、そして家屋のように「生産するもの」ですから、原則的にはその国が求めているだけ製造会社は供給するのが正しいと言えます。



まず、第一に適切な電気の量ですが、

1)ノーマルな経済の原理によって国民が求めるだけ供給する(正常な需要供給)、

2)国策によってやや過剰に供給する、
の2つがあります。



まず第一に国民が産業や快適な生活を送る上で、電力の生産を担当している電力会社は、需要を充分に満たす電気を供給するということです。これはきわめてノーマルなことで、自動車が欲しいけれど買えない、テレビが欲しいけれど買えない、トイレットペーパーが必要だが不足しているという状態は、やや供給力が過剰な日本のような生産規模の国家では考えられないことです。



むしろ不足する状態になるのは「供給会社の経営責任」でもあります。内需拡大の必要性が強調されたのは今から30年前。政府も経団連も内需拡大の基本方針に意義を唱えたことはありません。そして内需を拡大するためのもっとも基礎的なものは国民の活動量を増やすことであり、それは日本の発展に結びつき、景気を良くし、若者に適切な仕事を与えることになります。



でも、電力のようなものは国民の活動を活発にするために政府の政策でやや過剰に供給するということも必要です。つまり日本の発展のためには電力を充分に供給することが大切だからです。



このような正常な電気供給量の判断に対して、現在は「電気の消費量を減らそう」、「国民の生活の質を落としても節電」などと言われ、それが識者に支持されているのは驚くべき事です。



原発の事故の原因がどこにあろうと、それを含めて製造会社の供給責任ですから、「節電」は日本国のためにならず、景気を悪化させ、日本の将来を暗くし、正常な経済活動を阻害し、電力の経営失敗を国を挙げて許すということになります。



それでは具体的にどのぐらいの電力供給が適切かというと、一応、アメリカの供給力が参考になるでしょう。アメリカの電気出力は8億キロワットで、国民一人あたり2.7キロワットです。日本人の人口は1億2400万人ですから、アメリカ並みの電力を供給すると3億3000万キロワットになります。



現在の日本の電気出力は1億8000万キロワットですから、まず第一に日本の産業界がしなければならないのが、電気の製造量を1.8倍に上げることです。これを国民側から見ると、「節電」どころかむしろ電気を今の1.8倍使うのが適切ということになリます。



さらに原発の稼働、および増設をしないとすると、1億2000万キロワット程度に落ちますから、現在の2.8倍程度の発電をすることになります。



この計画を本気になって日本の産業界が始めたら、需要はグンと伸び、景気は回復し、日本人が将来に夢を持つことが出来るようになるでしょう。これまで数限りない利権側からの宣伝(節電)の意識を変えて理性的に考えるのはかなり大変とおもいます。



でも、電気やエネルギーの節約はその国の没落につながりますから、私たち大人の責任として原点に戻って冷静沈着によくよく考えてみる必要があります。


(平成24年7月20日)




--------ここから音声内容--------




今日は旅先でですね、ちょっとマイクが違いますので若干聞きづらいかもしれませんが、正しい電気供給量と電気料金について第一回目の整理をしてみました。





日本がどの程度の電気を使うべきであるか、どのぐらいの電気料金が適切であるかということはですね、電気というものが日本の活動の基幹を成すものであるが故にとても重要なことなわけです。電気は自動車、テレビ、そして家屋のように同じように「生産するもの」ですので、例えば自動車の供給は途絶えてはいけないし、建物を欲しいという人には迅速に建物を供給しないといけないということで、原則的には「その国が求めているだけ製造会社が供給するというのが正しい」と言えるわけであります。




従いまして、適切な電気量…電気の供給量というものは、「ノーマルな経済の原則によって国民が求めるだけ供給する。つまり、正常な需要供給関係が成立する」ってことですね。例えば、車が500万台国民が求めれば、500万台供給する。それが国民が自動車を買いたくなって800万台になれば、それに応じて供給するっていうのが製造業の基本であります。





もう一つはですね、「国の発展のために国策によってやや過剰に供給する」ということもあります。これは例えば、こういう方向に国を発展させたいという時に、政府が全体の指導をするということであります。まず第一には、国民が産業とか、個人個人の生活で快適な生活を送る上でですね、電力の生産を担当してる電力会社は、需要を充分に満たす電力を供給するということが必要です。





自動車が欲しいけれど買えない、テレビを買いたいけども買えない、トイレットペーパーが必要だけど不足しているという状態はですね、共産主義なんかには有り得ますが、やや供給力が過剰な日本のような工業国ではですね、考えられないことですね。もしそういうことがあれば、そこだけ共産主義という感じになります。むしろですね、もしも長期的に生産が…物を国民が要求してるのに供給しないということになりますと、「供給会社の経営責任」が問われます。





特に、1975年以降ですね、高度成長以降、日本の内需の拡大というのが強調され、それについては政府も経団連も、この基本方針を支持しております。このように内需を拡大するためには、国民の活動力を保障しなきゃいけません。活動力を保障するということは、例えば、エネルギーとか電気が充分に供給され、国民が活動しようと思ったら活動できるという状態にあることが大切なわけですね。





ところが現在、「電気の消費量を減らそう」とかですね、「国民の生活の質を落としても節電しよう」というふうに政府も呼び掛け、電力会社も呼び掛け、それがテレビなどの識者が支持してるということは、まさに驚くべき状態であります。勿論、具体的には原発の事故があったということでありますけれども、「節電」というのはですね、きわめて不健全な状態で、共産主義社会における発想ですね。





つまり、自由な考え方、民主的な考え方によるとですね、国民が大いに頑張ると。頑張るだけは、ちゃんと国の方とか、しかるべき責任のある大会社が、それに応じるというのがですね、健全な資本主義であり、自由主義であるということについては、ほとんど論議をすることが必要ないくらい当たり前のことであります。




それでは日本で、どのくらいの電力供給が適切であるか?と言いますとですね、まずは、一応、アメリカの供給と比較をしてみるということが必要かと思います。日本はですね、なんといっても電力が独占ですから、計画経済のようになって、共産主義みたいになってしまいますが、アメリカは比較的自由に電力を供給しておりますので、これを参考にするっていうことは有意義であります。





アメリカの電気出力は現在8億キロワットでありまして、国民一人あたりになおしますと、2.7キロワット使用してるということですね。日本の人口は1億2400万人ですから、日本人一人一人がアメリカ並みの電力を使うということになりますと、日本は3億3000万キロワットの電力を生産しなければいけないということになります。勿論、省エネ比率とか、省電力比率って違うんですけども、基本的にはですね、電力を供給することによって日本の産業なり、日本の生活の質が上がっていくわけですから、当然これが一つの目安になります。





これに対して、現在の日本の電気出力は1億8000万キロワットにしかすぎませんので、まず日本の産業界、つまり電力業界がしなければならないのは、電気の製造量を1.8倍に上げる必要があります。国民側から見れば、「節電」どころかむしろ「現在の電気の1.8倍を使うことが適切である」ということになリます。もっとも原発を全部止めますと、1億2000万キロワットぐらいの能力に落ちますので、現在の2.8倍ぐらいに発電を増やす必要がある。少なくとも第一目標として、発電量を2倍にして2億4000万キロワットぐらいはもっていく必要があるということですね。





もしこの計画、このように、ま、正気と言ったらちょっといけないんですが、資本主義社会、自由主義社会、民主的な国家、そういうものから考えてですね、当然に行われるべきこと、つまり、トイレットペーパーが足りなければ供給する。みんなが自動車が欲しければそれを供給するという、まともな社会を目指すならですね、これを供給しますと需要はグンと伸びます。景気は回復しますし、日本人は将来に夢を持つことが出来ると思います。





現在まではですね、非常に限定的な方々の利権を主体として、「節電」というですね、全く共産主義的な考え方で以って日本の発展を抑えているわけであります。電気やエネルギーの節約はですね、その国の没落につながりますので、我々大人はですね、そこのところを冷静沈着に考えなければいけないと思います。





日本が今繁栄している一つの原因は、日本という国はですね、ロシア、中国、アメリカという三大大国に囲まれておりまして、江戸幕府の鎖国が終わりますとですね、必然的に戦争をせざるを得ないという、そういう状態に追い込まれるわけですね。これが先の大戦に繋がるわけでありますが、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と、三つの戦争を経験してきたのはですね、日本が置かれた地理的立場から必然的なものであると考えられます。また、戦後さらにですね、高度成長を遂げて、「Japan as Number One」と言われるようになったのはですね、技術を中心として需要を伸ばし、供給力を伸ばしてきたことにあります。





それで現在、我々大人はですね、大変豊かな生活を送っているわけですが、現在1990年から20年間、我々は全く方向性を失ってですね、「節電」のようなですね、いわゆる「活動を制限する政策」をとっております。これはですね、共産主義なんかだと有り得るんですね。しかし、自由主義とか、民主主義っていうのはですね、政府がそういう基幹的なことを決めるんではなくて、国民が大いに羽を伸ばし、腕を伸ばしてですね、明るく将来を見ながら活動するのに、政府はそれをアシストしていくという立場ですから、「節電」というのは全く見当外れでありまして、せめてですね、アメリカ並み3億3000キロワットまで日本の電力生産量を上げるという必要があります。




仮に、電気が海を越えて持って来(ら)れるようなもんであれば、現在の日本の旧電力(会社)は全部潰れてると私は思います。つまり、外国の車とか、外国のテレビがどんどん入ってくるように、日本に外国の電気がどんどん安く入ってきたと思います。「島国であって電気を運べない」という特殊な地理的関係をですね、この際、電力会社もしくは産業界はですね、放置しておくんではなくて、日本国民のためにですね、「自由で民主的な電力供給」というものを目指してですね、日本の正常な電力供給能力をつけることが必要であると、こういうふうに考えられます。


(文字起こし by haru)