国が栄えれば個人が栄え、個人が繁栄すれば国は衰退する (6/21)
●勤労の義務 憲法27条に勤労の義務が定められています.私はこの条文が好きなのですが、その理由は、「所詮、私たちは日本列島に住んでいる。誰も働かなければ餓死する。だからみんなで働こう」ということです。つまり「日本国は広いように思うけれど、結局、家族のようなものだから、みんなで支え合わないとうまくはいかない」という当然のことを言っています。
だから、私はニートや、生活保護について辛いのですが、それは「体が弱く、どうしようもなかったら仕方が無い」というものであって、五体満足なのに「俺はニートだ」などとおおっぴらに言うのだったら、憲法違反ですから監獄の中で懲役(仕事をする)の必要があると思うのです。
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●ダダ漏れ 明治の初め、明治天皇が五箇条のご誓文を発せられました。その中に「万機公論に決すべし」というのがあります。どんなことも「私」ではなく「公」として議論するというもので、私は現代風にこれを実施する方法として「ダダ漏れ」といっています。
つまり議論がすべてオープン(ダダ漏れ)なら、その議論は自然に万機公論に決することになりますが、秘密にすると自分たちの利害だけになります。今、話題になっている「原子力委員会が高速増殖炉が不利な議論を隠した」と言うことも、ダダ漏れなら起こることがありません。
もともと日本の原子力は「自主・民主・公開」を3つの大原則として、常に国民にオープンにすることによって危険性を避けることを国民が同意していたのですが、今ではまったく異なっています。「アメリカのご機嫌、お殿様が決める、秘密主義」です。
現在の日本の「偉い人」の覚悟や人格から言えば、普通の状態でとうてい万機公論をする可能性はなく(自分の利害だけ)、実際にはダダ漏れでなければダメというのが私の考えです。
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●奴隷制度 日本には奴隷階級が誕生しませんでした。世界の多くの国が奴隷制度やそれに準じる階級制度があったにも関わらず、日本は「役割分担」程度のものはありましたが(士農工商)、本格的な奴隷制度はありませんでした。
それは多くの国のお城と日本のお城の違いに良く現れています。ヨーロッパや中国などの世界の主要な国のお城というものは、人の住んでいる広い地域を取り囲む城壁があり、その中に王様も普通の人も住んでいました。
戦いになると、兵士はもちろん先頭を切って戦いますが、城壁の中の人も運命共同体で、負ければ殺されるか奴隷になるかでした。
でも、日本ではお城の中はお殿様と少人数の人が住んでいるだけで、普通の人は無防備です。でも日本は単一民族、四方が海、それに天皇陛下をいただいていて国民に階級はないという状態でした。ですから、「お城を落とす」というのは「殿様が切腹する」というだけで、そこに住む人が奴隷になることはなかったのです。
つまり、日本だけが世界で「国」だったとも言えます。日本人として生まれ、日本で育つと「日本」という国があるのは当然のように思いますが、実はそれは「珍しいこと」なのです。
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●旅順の戦い その証拠の一つに、日清戦争の時の旅順の戦いがあります。旅順の戦いというと日本では日露戦争の時の二○三高地の激戦が有名ですが、日本の独立という点では日清戦争の時の旅順の戦いもきわめて重要なものでした。
日本軍、清軍(当時の中国は清の時代)が接近して、一触即発になり、日本の兵士は目の前に展開した膨大な数の清軍にびっくりしたものです。普通に考えれば数の上で到底、勝ち目がありません。おそらく多くの日本の兵士は「南無三!ここで俺も終わりだ」と思ったでしょう。
でも、現実に突撃ラッパがなって日本軍が突撃を開始すると、意外にも清軍が退却したのです。日本兵は遠く祖国から船で輸送されてここを死地と決めての戦いで、祖国の家族を守るために突撃したのですが、清軍の兵士は「国」がありませんから、別に命をかける必要は無いのです。
国がある国とない国とはこのように違い、日本の繁栄は「国」があったこと、奴隷制度がなかったこと、万機公論に決したこと、そして勤労の義務があったことです。
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●国と個人 ところで国のために命を捧げるというと、「国のために個人が犠牲になる」と錯覚する人がいるのですが、そうではありません。あくまでも日本国は日本国民のものであり、そして一人一人が日本国の繁栄を願う結果です.
実は「天皇陛下」も日本国民そのものの象徴で、天皇陛下=日本国民、ですから天皇陛下を大切にするのは日本国民を大切にするのと同じです。でも、えてして「天皇陛下」でもなく「日本国民」でもない「利権をむさぼる少数の人たち」が天皇陛下を利用して日本国民に悪いことをしたこともおおいのですが、これは勘違いであって、制度の問題ではありません。
教育もそうで、「国家のための教育」などはありえず、「国民一人一人が立派になる教育が、結果として日本国のためになる」という順序です。でも、こちらも誤解が生じて、「成績の悪いものはダメだ」ということになりますが、成績が良いか悪いかは関係がありません。日本国民がそれぞれの人として立派になることが問題で、クラスで何番などということは日本の繁栄にとって関係の無いことです。
つまり一人一人の人がその人なりに最善を尽くした状態がそのグループの最高の力ですから、「80点なら合格」などという合格基準そのものが間違っています。
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「勤労の義務」は「個人と国家」の関係をよく示していると思います。日本国とそこに住む人の幸福は、「全員が働く」ということに集約されます。
全員が一所懸命働き、議論は万機公論、戦争の時には全員で戦い、教育は一人一人の力を伸ばし、自分だけが得をしようとしない・・・まるで理想郷のように思いますが、日本人の性格や風土を考えれば、できるように思うのです。
(平成24年6月21日)
--------ここから音声内容--------
私はあの、「勤労の義務」っていう憲法27条の規定が好きなんですけども、それはですね、私が小さかった頃、高校生とか大学生の頃もそうだったと思いますが、この意味が分かんなかったんですね。「別にお金のある人が働かなくていいじゃないか」とか、「必ずしも働くことが重要じゃない」と、「人生は遊ぶ方が重要だ」なんて思ってたんですが、そのうち、「どうも違う」と、「私たち日本列島に住んでる人がですね、誰も働かなければ餓死しちゃうじゃないか」と、「だから、働くのはみんなで働こう」という、そういう思想はなかなか良いなと思いましたね。
日本は1億2千万人もいますから、あんまりはっきり分かんないんですけども、100人くらいの国だったらすぐ分かりますね。誰かが働いて、誰かが遊んでるっていうのは、やっぱりあんまり気持ち良いもんじゃないわけですね。そういう意味で、「日本国は広いけれども、結局、家族のようなもんだから、みんなで支え合いましょうよ」というのは、大変に良い規定だという風に思いますね。ですから、私は元々、ニートとか生活保護について非常に評価が辛(から)いんですね。これはやっぱり、「体が弱かったりそれはもうしょうがない」んですけど、普通はですね、やっぱり働かなきゃいけない。「ニートだ」なんて、えばっちゃいけないというのが私の考えなんですね。
二番目は、「ダダ漏れ」が必要である、と。これはですね、明治の初めには明治天皇が「万機公論に決すべし」と言ったわけですが。議論はとにかくですね、全体のために議論しなきゃいけないということで、現代風にこれを実施するとしたら、「ダダ漏れ」(すべてオープン)が良いだろうな、と。これもですね、かつては出来ませんでしたけど、今はIT技術が進んで、カメラを部屋の中に置いとくことがいくらでも出来ます。従って、ダダ漏れをやれば大丈夫だと思いますね。
例えば、今問題になっている色んな原子力関係の不祥事、例えばその中に、この前ですね、「高速増殖炉の検討をしたときに案が4つあって、そのうちの1つが政府に具合が悪いということで隠す」と、まぁこういう事があったわけですが。(ダダ漏れなら)こういったことを暴く苦労が全部なくなりますね、どの会議も全部放送されてるわけですから、なかなかそういう議論することが難しいということですね。
今ではですね、「自主・民主・公開」というのが日本の原子力の三大原則なんです。自主性っていうのはあるかどうか・・・「アメリカのご機嫌」を取って、民主・・・「お殿様が決める」ってことで民主主義じゃないし、そいから公開の原則は「秘密主義」によって守られていないということですね。しかしこれね、嘆いててもダメなような気がするんです。ていうのは、現在の日本のいわゆる「偉い人」を見てますとですね、その覚悟という意味でも、人格という意味でもですね、到底その…自分の利益だけで動いて日本全体を考えてない、っていうことになりますんでね。「ダダ漏れ」をすれば大丈夫ですけど、他の方法ではなかなか労力が掛かって大変だと思いますね。
ま、こういったことをやるためには日本が平等じゃなくちゃいけないんですが、幸い日本はですね、「奴隷制度」が無かった、と。これはほんとにですね、世界でも珍しいわけですね。それは私がよく言うように、この日本のお城と、それから他の多くの国のお城とはもう大きく違う、パリでも北京でも城壁の中に市民が住んでるわけですね。それはまぁ、戦争になりますと、城壁の中の人も皆殺しになるか奴隷になるかだったわけですね。ですから、どうしても城壁の中に住んでなきゃいけない。
ところが日本は、お城ん中にはお殿様とかお姫様とか住んでおられるだけで、普通の人はその外側で無防備なわけですね。ですから日本では単一民族であり、四方が海であり、それに天皇陛下を頂いてたということで、日本では、「お城を落としたら、奴隷ができるというんじゃなくてお殿様が切腹する」という、そういう特殊な国であった、と。だからこそ、憲法27条、「万機公論に決すべし」と、そういうですね、国を作ることが出来た。これが日本の発展の最も大きな原動力だったと思うんですね。
その一つは、日清戦争の時の「旅順の戦い」であります。旅順の戦いというと、大体は日露戦争の203高地の激戦が有名ですけども、日本の独立という点ではですね、日清戦争の旅順の戦いも非常に重要ですね。というのは、両軍がですね、確か私は時期が冬だったような気がするんですが、日本軍、清軍が段々段々接近しまして、対峙(たいじ)いたします。両軍、対峙いたしますと兵士の目には、自分の前にいる敵軍の兵士が見えるようになりますね、そこでビビるわけですよ。
特にまぁ、日本から遠く離れて外地に行き、そこでですね、決戦の時を迎える、と。“ああ、俺もこれで命は終わりかな”と思って、いわゆる武者震いをして、そして突撃するわけですね。現実にそこで突撃ラッパが鳴ると、日本軍の兵士の多くはですね、ものすごい数の清軍を前にして「仕方がない」と、「ここまで来たんだから、ここを死地と決めて突撃しよう!」とこう思ったわけですね。そん時は、「祖国の家族を守るため、祖国を守るため」ということで突撃する。
ところが、清軍兵士は退却したんですね。何故かったら、清軍の兵士には「国」がないんですよ。要するに「清」というのはですね、中国を一時的に支配していた王族に過ぎませんからですね、別にそれに命を懸ける必要はないわけですね。清が敗れれば、その代わりに日本というのが来るかもしれませんから、そんなのは別に分からないわけですからね。「国」があるという事と、「国」が無いってことは、これほど違うわけですね、大きくその力が違うわけです。
ま、こういった話をしますと、特に戦争の話をしますとですね、「国のために命を捧げるのか」 「国のために個人が犠牲になるのか」という風に錯覚する人がいる、そうじゃありません。あくまでも日本国は、日本国民のものであります。実はあの、天皇陛下っていうのは昔からですね、実は国民そのものなんですね。天皇陛下=日本国民なんです。ま、今は象徴という風に書かれています、これも同じですね。
ですから天皇陛下を大切にするというのは、日本国民を大切にすることなんです。ところがですね、歴史を見ますと、まぁ人間のやることですから、「天皇陛下」でもなく「日本国民」でもないですね、「利権をむさぼる人たち」がですね、天皇陛下を利用するという事で、まぁ残念ながら天皇陛下の評判も時々悪くなるわけです。これはあの、制度の問題ではなくて、その運用の問題ですね。
これ教育でも非常に多いんですよ、「国家のための教育」をしてる人が、今でも先生のうち、ほとんどなんですね。私はですね、「国民一人一人が立派になる教育は、結果として日本国のためになる」という順序なんです。で、これで大きく分かれるのが、「成績の悪い者はダメだ」という言い方ですね。私は「そんなこと絶対無い」とこう言うんです。「そんな、成績の悪い人を作ったら、日本国はダメになっちゃうじゃないか!」、「いや、そんなこと全然無い」とこう言ってるわけですね。つまり、一人一人の人がその人なりの最善を尽くす、これがグループの最高の力ですからね。
「80点なら合格」なんていうですね、一律の合格基準を作ることそのものがですね、私は「日本を愛してない」という感じがするんですね。日本人はもう、すべて素晴らしいわけで、その人が、一人一人がベストを尽くし仕事をしてくれればですね、それで日本国は良くなるわけです。当然、まぁ足の速い人もいるし、野球の上手い人もいるし、数学の出来る人もいますが、その人はその人で、数学の出来る人はもう数学の力を十分に発揮してもらえば良いことであってですね、一律にみんなに数学の点数が80点じゃなくちゃいけない、そんなことはないわけですね。
そういう点で、この「勤労の義務」というのはですね、「個人と国家」の関係をよく示していると思います。日本とそこに住む人たちの幸福は、全員が働くということによるんだ、と。こう言いますとですね、全員が一所懸命に働いて議論をするときには万機公論、教育は一人一人の力を伸ばし・・・というようなことを言うとですね、理想郷のように思いますが、私は可能な事だと思ってます。
かつてですね、江戸の終わりに・・・よく私が引用しますが、幕末の鎖国が解けた時にヨーロッパ人がいっぱい来たんですが、みんなこういう日本に驚いたわけですね。それまでヨーロッパの人たちは、「そういった世界は理想郷であって、この世には存在しない」と思ってたんですが、実は日本に来てみると、「ほぼそれに近い社会がある」ということでビックリし、イギリス大使のオールコックなんかはですね、「やっぱりこの日本に、ヨーロッパの醜悪な・・・悪いですね、文化を持ち込まない方が良いんだ」というようなことも書いているぐらいです。
そういう意味で、現在の民主党政権、もしくはですね経済界、色々な人たちがですね、この日本の非常に優れた伝統的な日本文化というものから離れて、私利私欲をむさぼってるように私に見えることは非常に残念であると、こういう風に思います。
(文字起こし by danielle)