保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?! (5/19)
2006年、原発の地震指針の改定は、原子力安全委員会―基準部会―指針作成委員会 という組織で検討が進んでいた。すでに指針作成委員会では、あまりにいい加減なそれまでの地震指針に対する異議がでて、一人の委員(大学の先生)が委員を辞任していた。
私が所属する基準部会に、原案が上がってきたときには審議自体がきわめて異様な雰囲気だった。「この地震指針は何が目的ですか?」という私の質問に担当課長は答えになっていない答えをして時間を稼ぎ、横にいる委員長も十分に言い含められていて、何もいわない。
原子力の委員会は原子力基本法で決められているように「自主、民主、公開」の3原則があるので、マスコミが同席している。でも原発は危険だという内容の議論は全く報道されず、最終的な官僚的結論だけが報道される。マスコミ以外の傍聴人はほとんどが原発関係者だから公開の意味を持っていなかった。
「民主主義とは勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力がいる」と言われるがまさにその通りで、「お上を信用する」などと言う日本の文化とは今のところ相容れないのである。
ともかく、2006年に新しい地震指針を作るに当たって、保安院は「古い地震指針を形式的にだけ改正し、何も変わらない」というスタンスを取ることに全力を注いだ。そうしないと「これまでの原発は危険だった」と言うことになり、全国に訴訟が起こってそれを止められない・・・「原発が危険なままである」と言うことには役人は責任を追及されないが、「原発の訴訟が頻発する」ことに対しては「管理」を問われるからだ。
2006年、保安院が原子力安全委員会に対して「地震指針は変わっていないということで行く」という圧力をかけたことが報道されているが、保安院は終始「原発をいかに危険に保つか」に全力をあげていた。この事件はその一幕に過ぎない。
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日本国民はこのことをまだ認めない。理由は「役人は正しいはずだ。日本国のために働いているはずだ」という形式論に縛られているからだ。でも「日本国のために働く」などという役人は100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力でつぶされていく。現在、出世している役人は「日本のためより自分の保身」に終始している役人だけである。
だから地震指針の改定に当たって、保安院は「安全な地震指針を作りたい」という委員に対して最大限の抵抗をしたのである。それに対して抵抗できなかった東大教授などの主要な学者は目の前に「勲章」がぶら下がっていて、どうにもならない。
一般の日本人は定年を控えた東大教授などの主要教授が、やがて70才ぐらいでもらう「天皇陛下」からの勲章のことばかり考えている。勲章は天皇陛下からもらうように錯覚しているが、陛下は決定のご意見を述べられない。すべては官僚が決めるから、官僚に逆らえば勲章はあきらめなければならないのだ。
今年から「勲章をもらった人を蔑む」という運動でもすれば、少しは委員会の議論はまともになるだろう。勲章は陛下からいただくものではなくなっているからである。
いずれにしても本来原発の安全性を守る一つの組織である保安院が、実体的には「原発を危険に保つ」と言うことに全力を注ぐ姿、それが2006年の地震指針での保安院であった(「原発の安全」を保つのではなく、「危険に保つ」ですから、注意してください)。
人間とは恐ろしいもので、原発が安全であることが何よりも大切なのに、「原発が訴訟されることを防ぐ」という目的があると、自分たちが「原発を危険にする」のに躍起になっていることに気がつかず、また気がついても村の中でそれに「おかしい」と声を上げることが出来なくなってしまう。
(平成24年5月19日)
--------ここから音声内容--------
2006年のですね、原発の地震指針の改定作業の時はですね、地震指針作成委員会が原案を作成し、それをまあ、私のいた基準部会で審査をし、原子力安全委員会が最終的にOKを出すという、組織で進んでおりました。えー、まあ指針の作成委員会ではですね、余りにいい加減な地震指針に対して異議が出されて、1人の非常に立派な学者がですね、辞任しているというような事件もありました。
これが基準部会に上がって来た時は、審議自体は極めて異様であってですね、私が冒頭に『この地震指針は何が目的ですか?』と。まあ(そう)いうような、言わばつまらない質問をする訳ですが、これに対して担当課長は、答えになっていないような答えをいたして時間を稼ぎます。
しかしこれが官僚だけの問題か、って言いますとですね、横にいた大学教授、東大教授の委員長も含めて、何も言いません。つまりこれは多分、根回しがされてるっていう事ですね。で、マスコミも同罪でしたね。原子力の委員会は原子力基本法で定められてるように、『自主・民主・公開』という3原則がありますので、えーマスコミは同席してる訳ですが、原発が危険だという内容の報道は全くされません。マスコミ以外の傍聴人もおられるんですが、その人たちもほとんど原発関係の人、という事で、まあ実際上公開は意味をなしておりませんでした。
「民主主義とは、努力して勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力が要る」と言われますが、日本ではお上を信用するという、まあ素晴らしい文化があったもんですから…つまりお上が偉かった訳ですから、えー、努力して民主主義を監視するという風潮が無くですね、記者クラブを中心とした、まあ言わばマスコミと、それから関係者でちゃんとやってくれるだろうという信頼感があった訳ですね。
ところが、2006年に保安院はですね、古い地震指針を出来るだけ残そうというスタンスで、全力を注ぎました。そうしないとですね、彼らの理屈ではですね、『原発は危険だった』と…まあ危険だったんですね。危険だったんですが、危険だった事を危険だったと認める事になる。そうすると、それで全国に訴訟が起こる…反原発の訴訟が起こる。だからできるだけ変えたくない、少なくても形式的には全く変えたくないっていう意志が非常に強かった訳ですね。
つまり役人はですね、原発が危険なままであるという事(に)は責任(を)問われないんですよ、ええ。「原発の訴訟が頻発する」という事に対しては管理を問われる訳ですね。つまり、ここで我々がよーく理解しなきゃなんない事はですね、現在の国のシステムっていうのは、国民の為には存在しないっていう事なんですよ。
これもうハッキリと頭に入れておかないとですね、直ぐまた間違いますから。役人の為に存在する。役人が役人の為に存在するんですね。だから原発は危険な方が良いんですよ。これもう考えられませんからね。このブログをお読みになってる人でも、なかなかこれを、その、パッと理解するのは難しいと思うんですね。
この世の中にはですね、原発が危険な方が良いと思う人がいるんですよ、実は、ええ。それどうしてかって言ったら理由があるからですね。「原発の地震指針は変わってない」という事の方が良い、と。危険とか安全よりかそっちが大切だっていう人たちが、現にいるんですよ。それで圧力をかけました。それでこれが記事になりましたね。
えー、2006年の地震指針の時に保安院が原子力安全委員会に対して圧力をかけるんですよ、終始。その圧力は何かって言ったら、凄くおかしな事に「原発をいかに危険に保つか」という事に全力を注いだ訳ですよ。ね、それ、ちょっと考えられませんよね。原発をいかに危険に保つかに全力を挙げるっていう、これ信じられないんですけども事実なんですよ。
何故かっていったら、やってた保安院の人もですね、原発をいかに危険に保つかっていう、自分たちが(そういう)行為をしてるって事に気が付かなかったでしょうね。えー、とにかく、訴訟を止める、と。原発の訴訟を止めるっていう事の方が優先する。だから地震指針は不完全なままにしておく。これが大切なんだ、と。
これで原発は勿論不安全な…より不安全になった訳ですが、『(不安全に)なったって別にそんなの構わないじゃないか』。 『元々原発なんていうのは安全なんだ』と。まあ、こういう事ですからね。 『少しぐらい地震が起こったって、そりゃ電力会社がやってくれるだろう、大丈夫だ』と。こう思ってる訳ですね。
ところで。えー、実はですね。日本国民はまだこれを認めてないんですよ。福島原発の事故が起こってもまだね、『役人は正しい事をしてる』(に違いない)という信念があるんですね。まあ、良いっちゃあ、良いんですけどね。日本国らしくて。『役人は正しいはずだ。日本国の為に働いているはずだ』、という形式論に縛られております。
しかしですね、もう役人で日本国のために働いてるのは100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力で潰されて行くんですよ。確かに役人で良い人いるんですけど、やっぱりね、マジョリティ…多くの人が支配しますから。
しかもその中で出世していく役人はですね、日本の為よりも、自分の保身、若しくはその省庁の保身に終始してる役人だけなんですね。だから、保安院はですね、安全な地震指針を作りたいという委員に対しては、もう最大限の抵抗をするんです。抵抗できない(理由)のが勲章なんですね。勲章があるからなんですね。
もうこの際、勲章やめちゃった方が良いんですけども、定年を迎えた東大教授の主要教授はですね、70歳ぐらいになったら天皇陛下から勲章を貰うので、こればっかり考えてるんですよ。実は勲章は天皇陛下から貰うように思っていますけども、全部管理が決めますからね、官僚が。だから官僚に逆らえば勲章貰えないんです。
だから、例えば今年からですね、勲章はもう新聞にも発表されず、誰か勲章貰ったって言ったら、『ありゃ、ゴマすったんだな』と。日本の為にならなかったんだなと思えば、多少は委員会の議論はまともになるでしょうね。何れにしてもですね、本来原発の安全性を守るはずの保安院が、実態的には原発を危険に保つという事に全力注いだ訳です。それが2006年の地震指針の保安院だったんですね。
これちょっと注釈書いたんですが、原発の安全を保つんじゃなくて、原発を危険に保つ事に全力を注いだっていう事で、ちょっと注意してくださいね。人間とは恐ろしいもので、原発が安全である事が何よりも大切なのに、原発自身が訴訟をされる事を防ぐという目的がありますとですね、原発を危険にするという事に躍起になるという事に役人自身も恐らく考えていない。
恐らく反論するでしょうね。『私たちはそんな事、考えてないですよ』 『原発は安全な方が良いですよ』という風に言うでしょうけども、やっぱりそこで、『これ、おかしいんじゃないの?』と。訴訟を怖がって原発を危険な物にするっていうのは、やっぱり我々としては『おかしいんじゃないですか?』と、いう事に声を上げることがですね、出来なくなった、と。まあ、そういう事ですね。
(文字起こし by まあ)