人生の落とし穴:::35才脳死説・・・寂しく昼食を採る人たち | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

人生の落とし穴:::35才脳死説・・・寂しく昼食を採る人たち (5/15)




4月に入社した新人は5月になって元気にやっているでしょうか? 5月病といって少しなれてくると体調を崩す人もおられるようです。ところで、人生にはいくつかの落とし穴があります。原発を引き受けてお恵みをもらい、すっかり働く意欲を失ってその方が没落していくのを見ると、これもまた落とし穴の一つと思います。



4月に希望に満ちて会社に入った若い人も、そろそろなれてきた頃と思います。もし若い人がこのブログを読んでおられたら、私の経験を一つお話ししたいと思います。




お手伝いさんたちのブログ

この図は「35才脳死説」を説明したグラフです。大学を出て就職した直後は、平社員で上司の命令通り動けば良いのですから、楽なものです。大学で習ったことなどほとんど役に立ちません。常識の範囲で立派に仕事をすることが出来ます。



ところが、永久に平社員であることは希で、30才を少し過ぎた頃に、課長や店長など責任ある立場に立ちます。コンビニエンスストアーなら、それまで「ハイ!」と「笑顔」で良かったのに、「何が売れるか?」を的確に判断しないとダメになります。工場では生産設備を、研究では学力が、そして営業では人付き合い、見通しなどが求められます。



しかし、すでに10年もサボってきたので、急に要求レベルが高くなってもそれに応じることが出来ません。そして、自分の力を見つめてみると「とうてい、求められるレベルに到達できない」と感じるのです。



人間は生物ですから、「ダメだ」と思うとその苦痛から逃れるように全力を尽くします。それが「脳死」なのです。あれほど活発だった彼、いつも昼になるとみんなでわいわいと食事を楽しんでいた彼、その彼がひっそりと椅子を立ち、肩をすぼめながら歩き、黙って一人で昼食を採っているのです!



彼が楽になる方法、それは脳の活動を止めて死んだように生きることなのです。だから食事は一気にまずくなり、友人と話しながら食べるなどは苦痛です。私はそのような若い人をよく見てきましたが、平均的には35才程度のように思います。



「35才脳死」、その後に来る50年の人生は灰色で楽しみはほとんど無くなります。ただ愚痴っぽい老人になっていくのを見て、哀しくなります。もし、やがて来るジャンプ・・・平社員から課長へ・・・の時のために準備を怠っていなければ、彼の人生は生き生きと活気に満ちたものになるでしょう。



人生にとって出世というのは意味が無いように思います。それより自分の人生が充実していること、それこそが自分の人生です。だから、少しずつする努力は出世のためではなく、自分の人生のためなのです。

(平成24年5月15日)




--------ここから音声内容--------




4月に入社をしたりしてですね、まぁあの希望に燃えて張り切っていた人が、5月になると若干余裕が出てですね、体調崩すようなことがあるんですね、これを5月病とまぁ言うんですが。こういった5月病もそうですし、人間っていうのは張り切ってやってるときには何か上手くいったりするんですが、落とし穴いくつかあるわけですね。ま、それがきっかけになってせっかくその意欲があるのに、その方がですね、没落していくっていうか・・・あの、少しずつ人生に希望を失っていくのを見ると、非常に残念なような気がいたしますが。





えー、そういう方々のためにと言いますかですね、ちょっと私の経験をお話したいと思いますが。このグラフは、まぁ私がよく教育なんかに使う「35才脳死説」という本を説明したグラフなんですね。大学を出て就職をした直後、もちろん高等学校もそうですが、平社員で上司の命令だけを聞くというのが普通なんですね。もう楽なもんなんですよ、これは。言われた事をやるだけですからね。ま、大学なんか出てたらですね、習った事なんてほとんど使わずに、ただ言われた事を常識の範囲でやれば良いわけですね。





ところが普通の場合は、永久に平社員であるってことはあまりないんですよ。30才を少し過ぎたぐらいのところで、店長になったり課長になったりするわけですね。例えば、コンビニエンスストアを思い浮かべますとですね、平社員って言うのは「ハイ!」って笑顔でやれば良いわけですね、素早く、お客さんのために。





これはもう良いんですけど、店長になりますと突然ね、「何が売れるか?」ということを的確に判断しなきゃダメっていう、全然変わってきますね。工場では生産設備を十分に知ってないと製造課長はできませんし、ま、研究やるっつったら、やっぱ学力なきゃダメだし。営業の人ではですね、人付き合いだとか、そいから見通しがちゃんとしてなきゃいけませんね。社会のことを知らないで、営業できるってことありません。





そうするとですね、ここでどういうことになるかって言うとですね、若干の人は10年間もサボってきたので、例えば大学出て10年で32才になりまして、10年間サボってお酒なんか飲んでますとね、そこで突然要求レベルが上がるんですよ。つまりですね、ええっと、会社とか社会は同じようなものを求めんじゃないんですね。突然、ドーン!と高いレベルを求められるんです。そうすっと、「いやもう、これは到底これに応じられない」ってことが起こるわけです。





で、今の、私、政治なんか見ると、ちょっとそういう感じがするんですね。突然、大臣かなんかなりますと、判んなくなっちゃってですね、ほいでまぁウソついたりなんかするっていうことが起こるんですけど。ま、そういったことで、人間っていうのはあの実は、実力は少しずつしか上がんないんですが、役割はポン!となってしまう(実力以上を要求される)ことがあるんですね。そうしますとね、人間は生物ですから「あ、ダメだこりゃ!」と内心で思うと、その辛さから逃れるように全力を尽くすようになるんです、これが「脳死」ですね。





つまり、ほんとは自分の頭で考えたいんだけども、「ダメだ」と思うとですね、脳が活動を止めちゃうっていうことですね。これはどういうことで現れるかって言いますと、活発だった彼がですね、いつも昼になると「おーい、みんなで飯食い行こうや!」つって食べに行ってた彼が、ひっそりと椅子を立って、肩をすぼめながら歩いて、黙って1人で食事をとるという姿に変わるわけですね。





何故彼がそういうことになるかって言うとですね、彼が楽になる方法は、脳の活動をできるだけ止めるっていうことなんですよ。そうしますと食事もまずくなりますし、友人と話しながら食べるのが苦痛になります。私はまぁ、そういう若い人を多く見てきて、「残念だなぁ」 「可哀想だなぁ」と思うんですね。大体平均としては35才ぐらいなんですよ。そこで、まぁ“35才脳死説”。そしてこの人が85才まで生きるってことなると、50年の人生が灰色になるんですね、愚痴っぽい老人になる、ま、こういう風になるわけです。





ま、私はですね、実はこれは「やがて自分にはジャンプが来るんだ」と、つまり今の自分ではない、平社員から課長になることがあるんだ、店長になることがあるんだ、そのための準備を怠っていなければ、彼の人生は死ぬまで生き生きと活気に満ちたものになるわけですね。





これはあの実はですね、あの、こうちょっと間違っちゃいけないのが、出世するとかいうことじゃないんですね。ま、人間はですね、出世できる人っていうのは少ないんですよ。しかしですね、自分の人生を充実して生きるってことは、ほとんど全員の人にできるんですね。





全員の人にできる、この「生き生きとやる」っていうことはですね、やっぱり普段の準備なんですね。例えば、ちょっとした事でも勉強しておくとか、新聞もちょっと目を通しておくとかですね、まぁあの・・・悪い何て言うか、報道はダメですよ。ウソばっか聞いてるやつはダメですけど、少しでもやっぱり自分にちょっと何かを課してですね。例えばあの運動でもそうですよ、だらだらしてると運動をとかくしないんですが、ちょっと努力をして歩くとか、こういうのと一緒ですね。ちょっと努力して歩けば体の調子が良くなると同じように、頭の方もですね、ちょっと努力して少しずつでもやっておく、と。そうするとですね、人生全体が良くなります。





えー決して、私繰り返しますけど、出世するとかそういうことじゃないんですね。それはあまり意味あることではありません、と私は思います、人生でですね。大切なのは、ま、自分の人生を大切に生きるってことですね。





私…まぁ大学生ですからしょうがないんですけども、大学生教えてると、せっかく講義に来て眠ってんのがいるんですよ。いや、講義に来るんだったら聴いた方が良いんじゃないか?と思うんですけどね。まだ大学生は将来が遠いので、ま、自分がまさか35才で脳死すると思ってないから、講義室で眠ってるんですけども。あの眠ってる姿を見ると、「可哀想だなぁ、この子どっかで挫折すんじゃないかなぁ」と思ってですね、非常にこう気の毒になりますね。





まぁあの、そういうまぁ大学での生活を見てるとですね、やっぱり人間は少しずつでも知識を増やしたりなんかしながらやっていくと、まぁいうことが大切ではないかとこんな風に思います。


(文字起こし by danielle)