学問を捨てた名古屋大学・・・「独立法人化」と「役に立つ研究」のもたらしたもの (5/15)
名古屋大学の教授が浜岡原発の審査の直前に、中部電力などから研究費を約1100万円もらっていたことが報道されました。ご本人は審査に影響を与えていないと言われていますが、金品をもらっても影響がないなら世の中から贈賄罪がなくなるはずです。
この事件はどんな背景を持っているのでしょうか?
1961年から始まった年金は、1)積み立て式にするとインフレでそのうち年金の価値がなくなる、2)その時には賦課方式(若い人が老人を養う)に変える、3)それも破綻するから税金で補う、4)それまでは厚労省の天下りや国の赤字事業に年金を使い切ってしまう・・・という悪辣な制度でした。
それと同じように1990年代に吹き荒れた「国立大学の独立法人化」と「役に立つ研究」は大学をすっかり拝金主義に変え、見るも無惨な状態になっています。
名古屋大学もかつては木訥ではあるが、学問が好きな尊敬できる先生方と研究室でした。その頃、大学内で若干の飲酒もあったし、夜な夜な錦(名古屋の「にしき」、つまり飲み屋街)にでむく教授もおられましたが、学問的な雰囲気の中にありました(機会があったら、名古屋大学が実に誠実な大学だったことを書きたいと思います)。
でも、今はすっかり変わってしまいました。何しろ文科省にゴマをすらなければお金が来ないので、学生の教育や研究もままならなくなったのです。たとえば工学部で学生に実験をさせて良い教育をするためにはどうしても一人の学生に1年100万円ぐらいは要ります。もし「世界一流」の研究なら300万ぐらいはかかります。
教授がそのお金を獲得するには、大学を通じて文科省にゴマをするか、企業からもらうかしかありません。もちろん、教授が営利会社を作れば別ですが、学生は労働者ではないので、営利を目的とした研究をすることはできません。
かくして、教授は、1)学問を志して(お金をもらえず)、その結果として学生の教育をおろそかにするか、2)学問に反してお金儲けに走り、学生が教育を受けられる環境を作るか、の2つを選択しなければならない状態になります。それが「大学の独立法人化」と「役に立つ研究」なのです。
もし学問の神様がおられればどの先生の研究が「役に立つ研究」かわかりますが、神様はおられないので、結局、文科省(御用学者を含む)が決めることになります。でもこれは奇妙なのです。もし人間が「役に立つ研究」がわかれば、その研究にお金を出すより、それを自分で研究した方が良いからです。
ノーベル賞を取れるような研究が申請され、それを審査した東大の先生はどう思うでしょうか? その研究でノーベル賞を採れると思ったら、その申請(研究費の申請)を却下し、自分で密かに研究をスタートするでしょう。先にスタートしてしまって、翌年、その研究費を認めれば自分が先にやったことになるからです。
普通はノーベル賞級の研究は、新しい内容ですから、あまり理解されることもなく、また成功率も低いのです。成功率の低い研究はお役人から言えば「税金の無駄使い」になります。だから、「役に立つ研究」にお金がでるようになってから、1)温暖化研究など国の方針に従った研究、2)成功確率の高い平凡な研究、3)役人が理解できる普通の研究、などでなければ研究費が取れなくなってしまったのです。
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それでもお金は足りません。また、教授の待遇を「獲得した研究資金の額で決める」ということも多く行われています。まるでサッカーの選手のようで「あの先生は稼いでいるから」ということで尊敬されるという、大学というところでは考えられないばからしい状態になっています。
学問の魂を曲げて研究するのがイヤな先生は、教授ならまだ良いけれど、准教授なら業績を上げられないから教授になれない。結局、この制度は「お金で地位を買う」ことをせざるを得ないので、結果的に「お金をもらえれば魂を売るという教授」を作り出してしまうことになった。
情報がうまく伝わっていなかったこともあるが、このような大学が良い、先生が良いとしたのは実は日本国民だった。「お金の大学」になって以来、学問的業績のない(たとえば論文がない)教授が官庁やマスコミから大量に大学に再就職するようになった。少し名前が売れてくると、そのうち「何とか大学の教授」になっているのは、これが理由だ。
教授の定員を増やすのは見かけ上、教育をよくするので、文科省も文句を言わないが、大学側の意図は「役人やマスコミの人を一人、雇用してもそれ以上の利益がえられる」という計算が働く。惨めになったものだ。
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福島原発事故以来、名古屋大学の原子力関係の先生が電力会社から研究費をもらい、研究費をもらった会社の原発の安全審査をしたという報道が続いている。簡単に言うと、賄賂と言われるものとほぼ同類だが、「お金をもらって審査に手心を加える」という行為に対して「公職選挙法」のような「公的審査法」でもできないと、「学問に忠誠を誓う」ことができなくなった大学教授には必要かも知れない。
でも、法律が必要とは情けない。名古屋大学の教授にしても、中部電力の幹部にしても、社会的には指導的立場の立派な人たちだ。その人たちが賄賂まがいのお金のやりとりをして、国民の命のかかった原発の審査をしているのだから、どうやって若い人の教育をすれば良いのだろう?
やはり教育は人を育てるところだから、大学の制度を大きく変えなければならない。そして官庁やマスコミから大学に移る場合は、その人の学問業績を一般に公開しなければならないだろう。マスコミももっと積極的に「マスコミから大学へ移動した人」の数が「役に立つ研究」などが始まる時期から急激に増加していることを報道しなければならない。マスコミ自身もその報道魂が試させる時だ。
(平成24年5月15日)
--------ここから音声内容--------
えー名古屋大学の教授がですね、浜岡原発の審査の直前ですかね、中部電力とか関係会社から1100万ぐらいもらったということが報道されまして、ご本人は「審査に影響ない」って言われてますが、これが二回目ですね、大きな…本人じゃなくて名古屋大学の先生がこういうことをされたっていうのは。福井県の原発の審査の時もそうでしたね。
ええっとですね、ま、これはどういうこと意味してるのかということをお話します。私は名古屋大学の教授だったわけですから、とても残念なんですよねぇ。しかしですね、自分の所属した所のことだからといって言わないっていうと、今のマスコミみたいになっちゃうですからね。ま、やっぱり自分の所はやっぱり反省するっていうことが、まぁ人のことも言えると思いまして、思い切って書きました。
これ年金なんかと似てるんですよ。あの、みなさんこれをお聞きになって「年金となんで関係あるの?」っていうふうに思ったと思いますが、1961年から始まった年金はですね、最初っから積立方式だったんですけども、そうするとインフレでですね40年後にはもう年金はなくなるということはわかっていて、そうするとみんなが騒ぐから、そん時(に)賦課方式に変えればいいや、と。つまり、若い人がその年ごとに老人を助けるっていうそういうことですね。
で、それでもどうせ破綻するから、そん時は消費税上げようや、と。だからもうどうせ破綻すんだから、厚労省の天下りに使ったり、国の赤字事業に年金を使ってしまおうっていうんで、実際そうやっちゃったんですよね。ひどいもんですよ。国民からお金を集めて、それを最初っから破綻するのがわかってて、「国民はどうせ最初っから理解しないだろう」と、まあいうこでやったわけですね。
これとほとんど同じような考えなんですよ。1990年から日本社会に吹き荒れました、国立大学の独立法人化。もう今全部国立大学、独立法人化になりましてね、法人だと思うけども、事務官は全部文部科学省から派遣されてて、「文部科学省の支配下に入る独立法人化」なんですよ。それから役に立つ研究。「教授さぼってんじゃないか?」っていうんでですね、この二つでもうすっかりお金がなければ、学生を教えられないっていうことになっちゃったんですね。
えー、名古屋大学っていうのは非常にいい大学だったし、まぁほんとつい最近までそうだったんですよ。学問が好きな、尊敬できる先生方と研究室がいたんですよ。そのころの方がむしろね、大学ん中でちょっとお酒飲んだり、ま、夜な夜な錦…っていうのは名古屋の飲み屋街なんですけど…に出向く教授なんかおられたんですけども、そういう、その形式的なとこじゃなくて、教授もですね、研究室もほんとに学問一筋のちょっと野暮ったい大学だったんですよねぇ。これはあの、どういうことだったかって後に一回書きたいと思うんですね。名古屋大学のいいことも書きたいんですけどね。もうすっかり変わりました。
なにしろ文部省にゴマすんなきゃ(すらなきゃ)お金来ないんですよ。あの、工学部で学生を実験させるの、どんなことしても一人一年100万ぐらいいるんですよ。で、世界一流の研究…研究っちゅうか、学生に世界一流のことやらせようとしたら、300万ぐらいかかるんですよ。ったら、これね、教授がね、自分の給料使うわけにいかないんで、文部省にゴマするか、それとも企業からもらうか。
教授っていうのはですね、学生の教育って儲からないんですよね。だから儲けようとしたら、今度学生を教育じゃなくて労働者に使わせなきゃいけないんですよ。私なんかですね、この、「やると、これ学生、これ機械壊すなぁ」と思ってもですね、「これ教育になるな。うん、これちょっとまずいけどやってごらん」っていうことあるんですね。そして学生が機械を壊す。20万ボンと飛ぶ。そしてだけども、学生は「ああ、そうか。そういうふうにやったらダメなのか」ってことがわかるんですね。教育ってのはそういうことですから、研究もするんですけど、やっぱりね、学生の教育なんですね。
そうすっとね、教授は選択するとしたら、学問を志したらお金くれないんですよ。その結果として、「学生の教育はもういいや」とあきらめるかですよ? 学問を今度捨ててお金儲けに走るか。そしたら学生が教育を受けられる環境ができるわけですよ。だから、まぁ今度お金もらった先生は、問題ですよ、確かに。だけどこれは社会のそういう仕組みを一人で支えきれないんですよ。これは子供を守ろうと思って、一年1ミリを志しても、お母さん一人では守れないというのと一緒なんですね。社会がやっぱりちゃんとしてくれなきゃいけないんですね。
で、なんでこの「役に立つ研究」が悪いのかって言ったら、そりゃあ当たり前でですね、学問の神様がおられたら、どの先生が「役に立つ研究」かわかりますね。神様がおられなかったら誰が決めるかったら、結局は文科省なんですよ。ま、御用学者はもちろん文科省の言う通りですらかね。
もしも人間が「役に立つ研究」がわかれば、その研究にお金出すよりも、それを自分で研究した方がいいんですよね。例えば申請の過程で、だいたい東大の先生が審査するわけです。 「お、これは素晴らしい研究だ。ノーベル賞取れそうだな」と思ったらですね、その申請を却下して一回、自分で密かに研究して、論文出してから、その研究を認めればですね、自分が先にやったことになりますからノーベル賞取れますからね。
それからもう一つはですね、例えばノーベル賞取るような研究っていうのはですね、新しい内容ですから、これをねぇ、お金が…役人がくれるってことないんですよ。これはね、税金の無駄遣いになっちゃうわけですね。だから結局どうなるかったら、まぁ、僕の周辺ですと、温暖化研究のように「国の方針に従った研究」かですよ、「成功する確率の高い平凡な研究」か、それとも「役人とか多くの人がわかりやすい、これまでの研究の延長」なんですね。そしたら、そういう研究は企業がやればいいんですよね。ま、そんなふうになっちゃったんですよ。
で、お金が足りないわけですよ。それからしかもですね、教授の待遇なんかもあるんですよね、色々。それもですね「あの教授はうんと金を取ったから」っていうんで、「いい先生」ということになるんですよ、今。だから今、大学としては考えられませんね。もうこれで泣いてる先生いっぱいいるんですよ、立派な先生が。
だって、学問の魂を曲げて研究しなきゃいけない、それはイヤなん(です)。ほれでしかも教授ならまだいいですよ、もう教授ですから。だけど准教授だったらね、教授にならなきゃいけない。結局ですね、学問を騙してお金で地位を買うっという人が教授になってしまうっていうことになっちゃったんですね。だから、お金の大学なんです、ええ。
それでもう一つはですね、お金の大学になって以来ですね、全然学問的業績のない…例えば論文なんかないし、賞ももらってないっていうですね教授が、官庁とかマスコミから大量に来ました。これねぇ、マスコミがねぇ、自分のアレも含めて一回リストを調べて出してほしいですね。
どうして大学側が学問業績のない教授を採用するのかっていうとですね、やはり役人とかマスコミの人を採用するとね、一人の人件費よりかもっと多い研究費が取れるんですよ。ま、それでやるんですね。まぁ、この福島原発事故以来、名古屋大学の原子力の先生が研究費もらったっていう報道がこれで二回目ですね。
えー、いくら審査に手心を加えないと言っても、やっぱりそれはダメなんですね。それこそ「お金もらったって、選挙は普通にやった」なんて言ってもですね、ダメなんですよね。まぁ学問に忠誠を誓うっていう公的審査法でもできなきゃいけないかな…情けないですね。大学の先生ですから、そんな法律ができる・できないではなくてやらなきゃいけないんですが、背に腹は代えられない、特に学生を人質に取られてるってことですね。
学生を人質に取られてるから、どうしても研究費を取らないと学生がみじめな思いをしてしまう。それは先生にとっては最も耐えられないことなので、少し変だなぁと思っても電力(会社)からカネをもらう、と…まぁいうことになるわけですからね。
私はまぁマスコミ自身も、その…報道魂というのを発揮してですね、自分の先輩には悪いけど、あまり学問業績がなくても大学に移動した、と…まぁいうようなですね、リストでも公表してですね、大学の先生だけを摘発するんじゃなくて、「自分たちはいったい大丈夫なのか、どこにこの問題の根源があるのか」と、まぁいうことをですね、追究してもらいたいと思いますね。
おそらく問題になった先生は立派な先生だと思うんですが、個人ではどうしようもなかった、ということを社会も認めてもらわなきゃいけないと思いますね。私は名古屋大学にいる時にこういうことを何回も発言しました。多くの先生は私に賛成してくれました。
多くの先生は「残念だ」と思っておられるんですよ。だけどもうこの大きなね、社会の儲け…「お金だけが大切だ、学問を捨ててもお金」というですね、風潮に個人の先生が対抗することができなくなっている、と…まぁいうことを知って頂きたいと思います。