日本だけ(3) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

日本だけ(3) (5/3)



「日本だけ」シリーズも3回目になりました。今回は明治維新、日本への近代科学の移入などを取り上げて、アジアにおける日本の特殊性を考えます。


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--------ここから音声内容--------




えー、モンゴルの時代からずーっとこの日本はですね、さして外国との関係はありませんでした。ま、「豊臣秀吉」のときに、豊臣秀吉が「中国まで行こう!」つってですね、朝鮮に攻め入ります。非常に朝鮮としては多くの被害を受けたんですが、これは日本と朝鮮の間の戦いで、世界的に影響があったっていうようなものではありません。





ええまぁ大体、隣の国との諍(いさか)いっていうのは、もうほんとに多くてですね、世界史を紐解けば、まぁ隣の国同士が戦ってばっかいるわけですね。ま、例えばヨーロッパでもですね、イタリアとフランス、フランスとドイツ・・・もう、そんなのはもう戦ってばっかいるわけですね。もうこれは仕方ない事で、その中で歴史っていうのは出来ていくと、こういう風なことですね。





えーそいでまぁ、ずーっとこの日本は徳川幕府になり、「鎖国」をし、外国との関係を絶っていたわけですが、それはほとんどモンゴルからと言っても良いし、遣唐使からと言ってもいいぐらいですね、日本はほんとにこう、独自の発展をしてきたわけですね。これは現在の日本の、「日本だけ」っていうのに大きな影響を与えます。





そこにですね、1853年でしたかね、「ペリー」が4隻の黒船を率いてですね、浦賀にやってきます。これは良く知られたように、鯨を獲る船がですね、給油とか休養のために「日本に寄らしてくれ」と、こういうことだったわけですね。今はあの、捕鯨国っていいますと日本とノルウェー、それに多少の少数民族がありまして。アメリカとかオーストラリア、そいからヨーロッパ勢はですね、大体捕鯨に反対というような感じなんですが。





ま、19世紀はですね、逆に、あの、アメリカがマッコウクジラを中心とした鯨油(げいゆ)ですね、油を取るために鯨をどんどん獲っとりました。えー最初はアメリカの沿岸付近だったんですが、それがですね、段々延びて、太平洋の日本の方にも来た、と。こうなりますと、当時は船の速度がそんなに速いわけじゃありませんので、ま、休息も休養も必要だということの交渉に来たのがペリーであります。





しかし、日本はなかなか強敵ですね。従って、ペリーの艦隊は日本の付近に来たんですが、ちょっと日本は後にしようっていうんで、「琉球」に行きますね、今の沖縄ですね。ま、沖縄っていう国はなかなか可哀想な国で、中国と日本の間に挟まってますから、日本では薩摩藩にやられますしね、中国には貢物持ってかなきゃなんないし。やっぱりこの、間にある小国ってのは大変なんですよね。





ヨーロッパでもポーランドとかですね、リトアニアとかですね、まぁ大国と大国の間に挟まった国っていうのは、ほんとに悲惨な歴史を経るんですけども。ま、琉球もそうでした。ペリーもですね、「ま、琉球ならいいだろう」っていうんで先に琉球に行きまして、そいで首里城にどんどん入ってくんですよ。





日本の場合はですね、浦賀に止めておいて、そこへ幕府が交渉するなんていう力があったんですが。えー、琉球ぐらいの国になりますと、ペリーも甘く見てですね、相手が嫌だと言うのに強引に上陸して、軍隊を率いて首里城の中まで入ってくというようなことをするんですね。えー、ほんとに大変でしたですね。沖縄っていうのはほんとに大変な歴史なんですが。





ま、それで、このペリーが浦賀に参ります。これでまぁ日本は「開国」をいたします。もちろん、その頃の日本はですね、侍(さむらい)が刀を差しておりますし、近代的なことっていうのは全て無いんですね。第一、鉄の船が浮くという事も知らなかったわけですね。鉄は重たいから沈むと、ま、比重は7.8ですから、これが沈むと思うのは普通ですね。





ですから木の船を造ってたわけですよ、千石船(せんごくぶね)とかですね、でかい船が、五百石船(ごひゃっこくぶね)とかあったわけですが、全部、木で造ってたわけです。木はまぁ浮きますからね、木で作った船は浮くだろうと、まぁこう考えてんのが普通ですね。ですけども浮力の原理ってのがありますから。えー、地球温暖化ん時に、北極の氷が融けて海水面が上がる、なんてこと言った学者がいるんですけど。ま、もう少し勉強して下さいねっていう感じですね。





えー、浮力というのは今から2400年(2300年)ぐらい前、アルキメデスが見い出したもんで、難しく言うと、「排除体積分だけの上向きの力が、重力にイコールになったところで、物は止まる」。ま、例えば氷が浮いたり、鉄が浮いたりしますね。鉄の船の中に空気が入ってますから、この空気の分だけ上に持ち上げてくれますので鉄の船が浮くと、こういう仕組みになってるわけですね。





そういうことで、鉄の船を見るのも最初、蒸気機関を見るのも最初ですね。ただ日本ではもう既に「蒸気機関」というのはその、「ヨーロッパにあるな」ということも分かっておりましたし、ま、それで第一号機を作ってですね、大体12馬力のエンジンを作るんですね、蒸気機関を。大体2馬力ぐらい出たっていうんで、ま、すごいもんですね。誰にも教わらずに作った人もいる、と。





もう一つ、この頃の日本の科学技術の取り入れ方っていうのはですね、ええと、「翻訳する」というのが非常に特徴的でした。アジアの色々な国はですね、「優れた知恵は独占する」というのが基本ですから、英語とかオランダ語、フランス語のまま使うということですね。そうすると、その語学が出来る人だけの権利になります。で、儲かる、と。もしくは権力を握ると、ま、こういうことが出来るわけですが。





日本は有名な「解体新書」を始めとしてですね、えー、日本の江戸時代末期から明治の初めにかけて、日本人はせっせとですね、外国の書物を日本語に、四苦八苦して訳していきます。日本語に訳せばですね、日本人が全部読めますから国力が上がりますね。これはあの今では全然ダメなんですけど、日本という国を立派にしようと思ったら、自分の利権を離れなきゃいけないんですよね。





今、例えば「霞ヶ関の官僚ども」とか、「東京の人」なんかみんなそうなんですが、自分のところが利権を保持しとくために、なかなかお金を地方に配らなかったり、地方が自由に出来なくなったりするんですね。これはもちろん日本中が力を発揮した方が良いんですから、現在の官僚とか東京の人がですね、日本のことを思えば、利権ていうのはあまり発揮しないんですよ。





これがやっぱり江戸末期から明治の日本の偉かったところですね。「モノを翻訳する」、これはアジアではほとんど日本だけだと思います、私の分野、理学・工学の分野ではですね。従って日本はその後、非常に発展した、と。





だから、何がおいてもですね、明治天皇が五箇条のご誓文で言われたように、「万機公論に決すべし」。つまり、日本はそれほど大きくないんですから、やっぱり日本人が心を一つにして、自分の官庁なりですね、地域が繁栄するというんじゃなくて、例えば、新潟に総理大臣が出たら新潟の道路が良くなると、こんなケチなことじゃなくてですね、常に日本というものを考えてやる、と。





この時代はですね、開国して、ヨーロッパの荒波を受けたという時期でもありました。従って、そういうような日本のですね、良いところが出たとそういう時代でありました。多くの国はですね、王侯貴族なり、支配者階級が、ま、自分だけ良ければいいということで、ヨーロッパの人たちと結んで国民を痛めつける、これが植民地にもなったわけでありますが。日本が大きく違った、とても良い時代ではあったわけです。


(文字起こし by danielle)