福島第一原発事故から1年を迎えて | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

福島第一原発事故から1年を迎えて(3/12)



この1年。私がもっとも衝撃を受けたのは、私が人生を送ってきたこの日本、それは「自分の力に応じて一所懸命に生き、それで満足する」という人たちの世界ではなく、「ウソをついても、人を犠牲にしても、自分だけが得することだけで頭がいっぱいの人たち」の中にいることが判ったことです。



その中でももっとも衝撃的だったのが、福島の子供たちの外部被曝限度1年20ミリと、給食のセシウムだけで1年5ミリを大人や教育関係者が受け入れたことでした。私たち放射線を扱う専門家はこれまでどんなように考えてきたか、読者からいただいた次の文章によく示されています。



「もう30年ほど前になりますが、学生の頃、電気泳動でDNAを分析するため放射性ヨウ素を使っていました。この実験をする部屋は、禁煙で飲食物持ち込み禁止。入室時、割烹着のようなガウンを着て、被爆量を記録するバッジを付け、靴には使い捨てのカバーをかけ、使い捨ての手袋と頭のカバーをして実験していました。また、実験終了時には、ガイガーカウンターで放射能汚染された場所が無いかを確認してから退出していました。」



電気泳動で使うヨウ素は原発事故で子供たちが接した量の1万分の1にもなりません。放射性物質をこのように取り扱うことをきびしく「強制」していた指導者が、事故後、豹変したのです。



電力の放射線作業員は1年に20ミリの許可をもらっていながら、1年1ミリに自主規制していたのに、子供の20ミリには黙っていました。いったい、日本の大人はどうしたのでしょうか? 震災で「立派だ」と言われる日本人とあまりにも違います。



第二に、「日本人は自分が有利になるように情報を操作するのが当たり前」という人ばかりで、多くの人は善意で意識せずにそうなっていて、私も「自分に有利な情報を使っている」と信じていることです。



つまり、いまの日本人は「事実をありのまま受け入れ、意見はその後」というのではなく、「利害が先にあって、事実を自分に有利なように選択する」と言うのが「常識」なのです。だから「武田は都合の良いデータを採用しているはずだ。そうでなければ子供だ」と言われます.


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この二つが強烈な印象として残りました。子供のことを考えれば1年20ミリというのは考えられないのですが、それを発言している人の利害(子供はどうなってもよいが、その人にとっては1年20ミリが有利)ということなら理解できるからです.



先日、テレビに出演していて信じられないことが起こりました。まず、私が言うデータは「武田に有利なものを選んでいる」という前提で話を聞いているのです.私はなにかその番組では話す必要が無いように思いました。でも、出演者全員が「武田の話すことは武田が有利になること」と思っているので、議論にならないのです。



また、私があるデータを紹介しますと、それを無理矢理、その人に有利になるようにこじつけるということもありました。反原発だからこういう、原発推進だからああ言うというのが当然だと多くの人が思っているのです.



その意味では絶望の1年という感じでした。原発の問題、被曝の危険はあるいは回避できるかも知れません。でも、「自分の利害を第一にするのが正しい」という道徳を帰るのは無理のようにも思います.拝金主義が徹底していますから、誠実さ、誠意というものはすでに無くなっているような感じがします.


(平成24年3月12日)



--------ここから音声内容--------



ええっと、福島原発事故から、ま、一年がたちました。ほんとのあの、原発事故ん時には、みなさんがほんと驚き、また、あー、大変な苦労をして…えー、逃げたり、いろんなことがありました。私にも大きな変化がありました。




えー、私はこの一年を振り返りますとですね、えー、一番大きな印象といいますか…はですね、えー、私は今まで、えー、日本の多くの人が自分の力に応じて一生懸命に生きて、それで満足してると思っとりましたが、えー、今度原発の事故を境にですね、えー、ウソをついても、もしくは他人を犠牲にしても、自分だけが得をすることで頭が一杯の人たちではないか…というふうに、ま、えー、がっかりする、まぁ一年でありました。




えー、ま、その中でも、最も私にとって衝撃的であったのは、福島の子供たちの外部被曝、1年20ミリ、給食のセシウムだけ1年5ミリというというものを、大人や教育関係者が受け入れたことでした、ええ。まぁ、これについて私も最近読者のほうからあるメールを頂きました。




【もう30年ほど前になりますが、学生の頃、電気泳動でDNAを分析するため放射性ヨウ素を使っていました。この実験をする部屋は、禁煙で飲食物持ち込み禁止。入室時、割烹着のようなガウンを着て、被爆量を記録するバッジを付け、靴には使い捨てのカバーをかけ、使い捨ての手袋と頭のカバーをして実験していました。また、実験終了時には、ガイガーカウンターで放射能汚染された場所が無いかを確認してから退出していました】




えー、私はこの実験、たいへんよく知ってますが、とうてい1年1ミリ被曝するような実験ではありません。その1/10000ぐらいにしかならないと思います。しかし放射性物質は危険だから、このように取り扱わなければいけないっというふうに厳しく…その、指導していた人たち、その人たち自身が、子供に20ミリでいい、と…いうふうに変わった時には、もうほんとに愕然としましたですね。これはあの、1年1ミリが安全か、とか、ま、今の瓦礫の問題ですね…瓦礫を運んでいいか、とか、それから1年20ミリがどうかっていう、健康にいいか…なんていう問題じゃないですよ、





一人の人が、どうしてこんなに言うことを大きく変えることができるのか。しかも子供に被曝させる。子供は親を信用してるわけですよ、大人を。大人が1年20ミリと言やぁ20ミリなんです。我々、今までこういった放射性物質を扱ってきた人はですね、ここに書いた、まぁ電気泳動の実験なんかをずっと経験してきました。あまりにも違いますね。もうそれは度がはずれております。このこと(度が外れたこと)を放射線の専門家がやったっていうですね…中には今でもそういうことがいいと言っている人を(が)雑誌とか新聞に出ておりましてね、まぁ、どういうことだろうかと私思うんですよね。




どうして日本人はこんなになっちゃったのか、と。ま、電力もそうですね。1年1ミリの自主規制をしているわけです。自分たちが1年1ミリの自主規制をして20年間もしてきたのに、子供1年20ミリで黙ってるんですよね。今テレビでは、震災で立派だと言われる日本人を多く描写して、まぁ私はここでまぁ…ちょっと言いたくないけど、マスコミが浮かれてますけど、ほんとですかねぇ…。




まぁそういう点では、,この…日本人は自分が有利になるように情報を操作するのが当たり前だ、とどうも思ってるようで、その中には、善意の人もいるみたいですね。えー、つまり私が昔言ったように、事実を受け入れて、意見はその事実に基づいてその人なりに作るっちゅうんじゃないんですよ。自分の利害が先にあって、ま、事実は自分の有利なように選択するっていう…逆なんですね。まぁ、これが常識なんですよ。




だから、えー「武田は都合のいいデータだけを取っている」っと言うんですけどね、何を言ってんのかなーと、しばらくわかんなかったんですね。データを取る時には、情報を取る時には有利・不利考えてないんですよ、当たり前ですよね。だから…どうしちゃったのかなぁ…と思いましたねぇ。




ま、この二つが非常に強力な…あのぉ…事に残りました。今から考えてみますと、子供の被曝という点を考えれば1年20ミリっつぅのは考えられないんですが、発言している人の利害…これはまぁ、子供はどうなってもいいんだけど、その…子供の健康なんかぜんぜん考えないんだけど、その人にとっては、事故後1年20ミリというのが自分にとって得であるということで判断するなら、「あぁ、なるほど」というふうに理解できますねぇ。えー、非常に悲しい現実ですが、どうもそうのような気がします。





実はこの前テレビに出ててですね、私が言うデータをことごとくですね、「武田の有利なものを選んでる」って言うんですよ。「どうしてですか?」って僕は言ったんですよ。したらね、あのぉ、もう、そこにいる人全員が、ふだんから自分に有利な事実を…なんか紹介してるんですね。だから利害関係が先にあるんです。だからもう、反原発だからこう言うんだ、原発推進だからああ言うんだってのが当然だとみんな思ってるんですよ。そんなことないんですよ。事実は一つなんですね。





ま、その意味では、私にとってほんとに絶望の1年でした…ええ。僕はねぇ…原発の問題とか、被曝の危険ていうのは、あるいは回避できるかもしれません。しかし、自分に有利なようにやることが正しいんであるという…日本の今の道徳、これを…解決するのは、まぁ大丈夫なんでしょうかね? 私はそういうふうに今思っております。