専門家が立ち上がって欲しい(3) エンジニアの信念 (3/5)
エンジニアは自らの技術を愛する。それ故に産みだした技術が社会に悪い影響を与えた場合、「自分を守ること」より「自分の不甲斐なさ」、「神聖な技術に対して許し難いことをした」という感情が先立つはずである。それは工学が「社会の福利」を目的としているからでもある.
2011年の福島原発事故はどう見ても「原子力技術の恥」である。理由はともかく「技術の恥」であることは間違いなく、これまで培ってきた「日本の技術の信頼性」を原子力分野で著しく損なったことは間違いない。
現在(2012年3月)で「原発は安全だ」という「原子力の技術者」はいるはずがない。その意味で「大飯原発3号機4号機の安全審査」をした原子力エンジニアが「安全だ」という判断をしたのは到底、信じられない。
個別には地震の加速度の問題、海水面の上昇と浸水の設計などまったく未検討であるが、その前に「10万年に1度以下の確率」とされた「大規模爆発」を起こしたのに、その1年後に原発を再開できるはずも無いからである。
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私が不思議なのは、原発に関係する科学者やエンジニア、日本原子力学会、原子力関係団体、電力会社がなぜ一斉に国民に謝り、被曝者の救援活動を行い、原発の活動を自粛し、事故原因について透明で明確な研究会を繰り返し行い、国民に原発の実情を明らかにすることを、なぜしないのか?それが全く理解できない。
むしろ、あれほどの事故を起こしても、まるで「心配する方がおかしい」、「もともと原発は安全だ」といっているように感じられる。かく言う私は原発の事故の原因が人災にあったこと、隠し事が多かったことなどを発言したり、出版したりしたことで原子力村からは「村八分」にあっているが、どうも今まで一緒にやってきたエンジニアの気持ちが理解できない。私が少数派なのだ。
確かに原子力のエンジニアは原子力で職を得、お金をもらってきた。でも、あれほどの事故を起こしたら、職を辞し、名誉を投げ捨てなければならない。我々は結果的に「ウソをつき、甚大な被害を与えた」のだから。
私は中部大学での講義の最後に、「君たちもエンジニアになり、やがて「儲けか、社会の正義か」を問われることになる。その時にはエンジニアの魂を大切にして、儲けを捨てて正義について欲しい」と希望を述べます。
原子力のエンジニア、日本原子力学会は社会にでて自分の不明を詫び、自分が得られる最大の情報を被害を受けた人に提供して欲しい。「反原発」の人が提供するのではない。これまで「原発を支えてきたエンジニア」こそが情報を提供しなければならない。いっこくも早くそうしてほしい。私たちエンジニアには崇高な使命があるのだから。
(平成24年3月5日)
--------ここから音声内容--------
ええと、先日ですね、お医者さんのことをちょっと書きました。お医者さんだけにあの、厳しく言ってるように思いますけどもそうではないんですね。お医者さんは非常に重要な職ですので、ま、最初にお医者さんのことを取り上げたわけでありますが。ま、その次、私なんかに深く関係するエンジニアですね。原子力のエンジニアの人に、えー、自制を求めたいと思います。
えー、エンジニアっていうのはですね、ま、技術を愛するわけですよ。だから、この故にですね、自分の生み出した技術が社会に悪い影響を与えたときは、ま、「自分を守る」というよりもですね、「自分のやったことの不甲斐なさ」を嘆き、自分がタッチした技術、神聖な技術に対してですね、「申し訳ないことをした」というですね、感情が先立つはずなんですよ。なぜかって言うとですね、エンジニアっていうのは「社会の福利」のために仕事をするからなんですね。
えー、2011年の福島原発事故はどう見てもですね、「原子力技術の恥」ですよ。もう理由はともかく、色々あるでしょう、人によって違うかもしれません。しかし「技術の恥」であることは間違い無いんです。しかもですね、日本の製品、日本の工業的なものっていうのは信頼性が高くてですね、例えば、中国で新幹線が脱線すると、「あら、中国は大した技術が無いから脱線するんだ」なんて言ってたんですよ。「日本の技術の信頼性」ってのは、世界的に非常に高かったわけですね。
それを、その原子力分野という、非常に技術的には高い分野で破ったわけですから。これはやっぱりね、深くね、なんか責任とかそういう感情じゃなくね、自分で技術をやってきたものがこんなんだったのかというですね、ま、辛(つら)い気持ちが出てくるはずなんですね。だから事故の後ですね、まだ「原発が安全だ」とか「原子力の技術者」っていうものがいるはずもないんです。一応、日本の原子力の技術者は総崩れしたんですよ。だからまぁ例えばこの前、大飯原発3号機4号機の安全審査で、原子力のエンジニアが「安全だ」っていうふうに判断したのは、私にはもう到底、信じられません。
ていうのはですね、少し専門的なことを言いますが。えー、日本の原子炉はですね、地震の加速度の問題とか、海水面の上昇の問題などについてあまり未検討でありまして、しかし今度の事故が「10万年に一度以下の確率」とされた事故であることもですね、我々原子力のエンジニアは知ってるんですよ。10万年に一度以下の確率の事故が起こってるんですよ、それを1年後に原発を再開するってことはできないわけですよ。これはね、技術者として、もうできないですね。
だからまぁ、国がどうしても審査するって言うんなら、技術者はやっぱりね、審査会に出るべきじゃないんですよ。我々は審査会に出るような資格は無い、なぜならば10万年に1回、ま、1万年に1回つって抵抗する人がいるでしょうけど、せいぜいそのくらいですよ。1万年つったら、今から1万年後つったら氷河期ですからね。だからそんなことを言ってたわけですね。
私はですね、今でも原発に関係する科学者とかエンジニア、日本原子力学会、えー、原子力関係する団体、東京電力のエンジニアがですね、こう国民に謝って、えー、被災者への救援活動を一生懸命行い、原発の活動を自粛し、事故原因について透明で明確な研究会を繰り返してですね、国民に原発とか被曝の実情を明らかにするべきだと、なぜそれをしないのか?と。
かえってですね、あれほどの事故を起こしても、まるでこの…「心配をする方がおかしい」とか、「元々原発は安全だった」と言ってるような人が多いんですね。ま、私なんかも、かくいう私ですが「原発の原因は人災にあった」と、「隠し事が多かったんだ!」なんて言うとですね、「村八分」にあったりするんですけど。私はまぁ、村八分にあうことはいいですよ、それは全然構わないんですが、一緒にやってきたエンジニアの人の気持ちが理解できません、ええ。
もちろん個人ですからね、エンジニアで、原子力でお金を貰ってきたわけです。だけどやっぱりね、我々は社会から尊敬され、エンジニアとして仕事を任され、原子力発電所という危ないものを担当してきたんですよ。それがやっぱりあんなことになったらね、やっぱり職を辞し、名誉を投げ捨てて、新しく再スタートするということじゃなくちゃいけないでしょう。だって、我々はですね、誠意があったかもしれませんよ、善意があったかもしれません。これエンジニアの人に呼び掛けてるんですが、我々は誠意があり善良だったかもしれませんが、結果的には「ウソをついて、国民に甚大な被害を与えた」わけですね。
私は中部大学で講義するときにですね、最後にエンジニアの人にこう言うんですね。「君たちも今は大学生だけど、やがてエンジニアになるだろう。そうして仕事をしてるうちに、やがて『儲けか、社会的正義か』という選択を問われることになるだろう。そのときには、君たちはエンジニアの魂を大事にして、儲けを捨てて正義に付いて欲しい」と希望を言うんですね。我々エンジニアは、社会のために仕事をしてるわけですから、ですからたまにはですね、一生に一度か二度、儲けを取るか社会的正義を取るかという選択が迫られたときに、私はやはり、エンジニアとしては正義を取ってくれと、これがエンジニアの魂だ、とこういうふうに言うわけですね。
私は原子力のエンジニア、日本原子力学会の私の友達、えー、ぜひですね、自分の不明を詫びて、えー、自分が得られる最大の情報を被害を受けた人に提供して欲しいですね。「反原発」の人が情報を提供するのではありません。もちろん、反原発の人は反原発でいいですよ。だけども、「原発を支えてきたエンジニア」こそがですね、今、原発の情報を提供しなければならないんです。今でも日本社会はですね、どうも反原発の人は情報をするけど、原発の人は隠す、というふうにもう前提を置いてますね。
しかし私はね、我々エンジニアには崇高な使命があるのだと、もう一回思い出してもらいたい。そして原子力のエンジニアがですね、やはりどんどんと情報を提供し、国民を被曝から守って欲しい。被曝が良い悪いではないんですよ。私たちは、被曝をしないで原子力をやろうとしてきたんですからね。やっぱり自分の人生、自分の日本人としての魂、エンジニアとしての魂を、今守ってもらいたいと思いますね。そしたら、これから被曝する人を何万人も救うことになります。ぜひ、原子力のエンジニアはですね、それを進めてもらいたいと思いますね。えー、ぜひお願いしたい。えー、原子力学会も中心となってやって欲しい、私はそう思います。
(文字起こし by danielle)