御用学者の生き証人 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

御用学者の生き証人 (3/3)



日本は体裁上は「民主主義」ということになっているし、すべての手続きは「民主的」に行われていると考えられています。そもそも、自由民主党という自由と民主を掲げた党が長い間、政権を担い、さらに2年余前にはついに「民主主義」だけを標榜した民主党という政権ができました。



もっとも、北朝鮮と一般的に言われる国は「朝鮮民主主義人民共和国」というのがたかし正式名称ですが、国会議員の選挙も主席を決めるのも「人民」がそれほど関与せず、3代にわたって世襲が行われています。



北朝鮮は情報が制限されていて、民主的国家ではないと批判する人もいますが、日本も似たような国家になったのではないかとも思います。特に原発関係の情報の操作はかなり露骨でしたし、今でも「1年1ミリなんて、法律にあるの?」などと環境省が言っている始末です。



民主党は、「消費税の増税はやらない、沖縄基地は県外に移転する、高速道路料金や高校無料化などの公約」をかざして選挙に圧勝しましたが、公約のほとんどすべてを実施せずに政権の座に着いているのですから、「2009年の総選挙はなかった」と考えた方がよい状態です。



主たる公約の他にも尖閣諸島事件では情報を公開しなかったし、原発事故に至っては恐怖政治とでも言える状態が続いています。岩手県の児童の尿の検査では、給食をとっていた児童の方が給食を食べなかった児童よりかなり尿中のセシウムが多かったようです。



さらに、アメリカから原発前後の会話記録が大量に公表されても、日本では「事故直後の議事録はとっていなかった」ということになるなど、民主的手続きとはまったく言えない状態が続いています。



でも、どうも日本国民は「それでよい。民主主義でなくてもよい」と思っているような感じもするのが残念です。いわゆる有識者やマスコミの論調は「1年1ミリという被曝限度はもともと低すぎた。もっと被曝しても良いのだから、規則を破っても良いし、騒ぐ方が問題だ」ということに終始していますし、政府の言う「助け合う」、「風評被害」などの言葉をそのまま使っています。



有識者の方の本当の心の中は推し量れません。これまでレントゲン一つとるのにも警戒させていた医学関係者は福島の児童が1年20ミリ(胸のレントゲン400回分)になっても「適切」という判断をしていますし、従業員の被曝を平均1年1ミリに自主規制していた電力会社関係者も声を上げません。



私は実に奇妙な日本になったものだと思いますが、現実にそれを多くの知識人が支持しているというのはどういう理由でしょうか? 選挙公約を破っても問題ない、情報秘匿があっても民主主義だ、国の基本施策(被曝を避ける)は状況によって変えることができる・・・本当に多くの人がそう思っているのでしょうか?

・・・・・・・・・


日本は「民主主義」ではなく「官僚主義」ではないだろうかと疑います? かつて王様が支配しているように見えて、実は去勢された特殊な人たち「宦官」が宮廷の実験を握り、国を支配していた時代と似ているように感じます。



実は私は森首相の時代から原子力関係の専門委員の辞令をずっともらってきました。そして2012年9月14日まで菅首相直々の辞令をいただいています。これまで毎年、少なくとも6回ぐらいは委員会にでて意見を述べていました。



でも、2011年3月12日に福島第一原発の事故が起こり、私が政府の対応に批判を始めるから、すでに1年を経とうとしていますが、原子力委員会からはお呼びは来ません。原発があのような状態になったのだから、これまで批判的な発言があった私のような委員を呼んでその意見を聞くのが適当と思いますがお呼びはないのです。



実は私が菅首相からいただいた辞令について官僚は、「ああ、あれ。武田さんの辞令は形式的に首相の任命になっているだけで、地位は低いのだからいちいち首相にお伺いを立てることなどしませんよ.事務方で処理するだけです。」と言うでしょう。



実は昨年は委員会にまったく呼ばれませんでした。私は「政府を批判したのだから委員会からは呼ばれないのは当然だ」と思っていましたが、これこそは「武田が御用学者ではない証拠」でもあり、「政府を批判すると委員会から呼ばれない」という実例であり、「政府の委員会に出ている人は御用学者だけ」ということの証明でもあるのでしょう。



{政府の委員会は官僚の都合の良い人だけが選ばれる}ということになると、これは民主主義とは言えません。民主党の議員も当選したら国民との公約を破り、官僚側についているのですから、「日本人総官僚の下僕」となっているのは明らかです。



でも、もっと重要なことは、日本の有識者が「それでよい」と考えていることです。つまりこれまで「選挙に行きましょう」と呼びかけている人は悲憤慷慨しているはずなのですが、それはうわべだけのことだったようです。

(音声で事故の年を2012年と言ったような気がしますが、2011年です)



(平成24年3月3日)



--------ここから音声内容--------



えー、今日書いたことはもう少し、あの真面目に言わなきゃいけないんでしょうけど、あまりに深刻なんでですね、かえってあまり真面目に言うのもなんかなぁと思うようなものなんですが。







日本はまぁもちろん、体裁上って言いますか、本当にもうって言うか、「民主主義」になってるわけですね。従って、全ての手続きは「民主的」に行われるはずであります。元々、自由民主党っていうのは自由と民主主義を掲げた党でありますが、それが長い間、政権を担ったわけですね。それから2年ほど前、もう2年半ぐらいになりますが、えー、ついに民主主義だけを標榜した民主党というのが、政権ができたわけです。







まぁしかしですね、名前だけでいいかって言うと、一般に北朝鮮と言われる国ですね、えー、これは「朝鮮民主主義人民共和国」という名前が付いておりまして。えー、ま、この「人民」が民主的に決めるということなんですが、まぁちょっと、三代に渡って主席が世襲をしてますしね、それでも民主・・・どういうのを民主的って言うのか、っていう問題ありますね。







それから日本では、北朝鮮では情報が制限されていて、どうも民主的国家ではないと批判する人がいますが、むしろ日本の方がひどいかなと思う傾向もありまして、特に原発関係の情報の操作ってのは、非常に露骨でしたね。えー、何しろ、3号機が爆発した写真も出さないというくらいですから大変です。最近ではまだ環境省がですね、「1年1ミリなんていう法律あるの?」って言ったりしてですね、まぁひどいもんなんですが。えー、ま、だけど元々これ、そんな細かいことじゃなくてもっと大きいことに問題あるんでしょうね。







よくこれも言われますが、民主党はですね、「消費税の増税はしない」と、「沖縄基地は県外に移転する」と、「高速道路とか高校は無料化する」っていうようなですね、主力の公約を掲げて選挙に圧勝したわけですね。「ああ、そうか。自民党から民主党に変わったら、そんなに変わるのか」と思ったら全然変わんないと、まぁいうことで、全部ウソだっていうわけですね。で、だからまぁ、この前の選挙って無かったんでしょうね。あれ、あったと思うと非常に問題ですよね。







ま、その後も尖閣諸島事件でも情報公開しなかったり、最近までずっと見てるとですね、自民党よりかむしろ恐怖政治的だなぁというふうにですね、思うことが多いんですね。アメリカなんかから大量に原発の会話記録が出されますとですね、日本ではあの、「議事録が失くしちゃった」ってなもんでですね、ええまぁほんとにこう、変だなぁと思うことが多いわけです。







だけど私、ここでね、ちょっと変だと思うんですよ。それはですね、どうも日本国民の中でも、あの有識者は特にそうなんですが、「それでもいいじゃないか」と「別に民主主義じゃなくたって、それでもいいじゃないか」っていうのが露骨ですね。例えば、あの被曝量についても「1年1ミリっていうのは、今まで決まってたやつは、元々低すぎんだ」と、「法律がいけないんだ」と、「もう別に規則を破ったって良いじゃないか」と、「騒ぐ方がヒステリーなんだ」なんていうことに終始しておりますしね。もう1年経つのに、まだそんなこと言ってますし。政府の言う「助け合う」だとか、「風評被害」とかいったですね、えー、言葉を、不適切な言葉をそのまま、まぁ有識者が使ってる。







じゃあ、有識者のほんとの心の中っていうのは、どうなんでしょうかね? これまでレントゲンを一つ撮るにも、まぁ警戒させていたわけです。医学関係者は、まぁそうだったわけですが。しかし福島の児童が1年に20ミリっていうのは、胸のレントゲンで400回分ですからね、1年に。それが「適切」だっていうふうに言うんですから、これちょっとね、非常に奇妙なわけですね。







しかし、現実的に有識者が支持しているというのは、どういうことなのか?ってことですね。選挙公約を破っても問題ないですよと、情報秘匿があってもいいですよと、えー、被曝の基準なんかもう、その時その時で変えていいんですよ、というふうに有識者が言ってる…知識人ですね。







えー、まぁ私はですね、日本が「民主主義」ではなくて、いわば「官僚主義」なんでしょうね。これまぁ、こういうことってよくあるんですよ。かつて王様が支配してるように見えてですね、実はあの去勢された男性っていうか特殊な人たちがですね、「宦官」(かんがん)って名前なんですが、宮廷の実権を握って国を支配してた時代っていうのが結構、中国なんかで長いんですね。ですからまぁ、あの、形は王様がいても、実際は王様は何の支配力もないってことあるんですよ。今は、ええと、国会が支配してるようで全然国会とは関係なく、もしくは国民が投票してるようで、投票したって全然投票したときの内容を変えちゃうんですからね。







ところで私ね、森首相の時代から原子力関係の専門委員の辞令をずっともらってきたんですね。よくよく見てみますと、今年の9月14日まで、菅首相直々の辞令が有効であります。私は今でも専門委員であります。えー、今まで毎年ですね、まぁ6回ぐらいは大雑把に言って委員会にまぁ呼ばれてですね、意見を述べてたわけですね。ところが、2011年の3月12日の福島第一原発事故が起こってですね、私が政府の批判を始めましてもう1年になるわけですが、まったくお呼びが掛かりません。えー、実は私ですね、ええと、実はあの原発がああいうふうになって、むしろ原発が安全じゃないというふうに発言を続けてた私を呼ぶべきだと思うんですよ、では普通に考えたら。えー、ところが呼ばれない。







ま、これ官僚に聞きますとね、多分こう言いますよ。「ああ、あれ。武田さんの辞令は、まぁ首相が形式的に任命することになってるから出してるだけで、大体武田さんの地位なんて低いんだから、首相にお伺い立てるのはしませんよ。事務方で処理しますよ」って、まぁ言うでしょうね。ま、官僚はそう言うでしょう。







ええまぁ、私も実はですね、去年、“委員会に呼ばれないなぁ”と思っていながらですね、「政府を批判したんだから呼ばれないのは当然だ」と思ってた節があるんです、ええ。しかし、よくよく考えますとね、「政府を批判すると委員会に呼ばれない」ってことはどういうことかって言うと、「私は御用学者ではない」っていう証拠でもありますし、それから「政府を批判すると委員会から呼ばれない」っていう事実もハッキリしましたし。ということは結局、「政府の委員会に出てる人は全部御用学者だけ」、つまり政府を全く批判しない人だけということにもなりますね。







えー、そうなりますとね、「政府の委員会は官僚の都合の良い人だけ選ばれる」ってことになると、これは民主主義なんでしょうかね? あの、議員さんもですね、当選すると国民(と)の公約を破って官僚側に付くわけですね。そうするとですね、政府の委員会の委員は全部、官僚の言いなり。民主党の議員さんは全部、官僚の言いなりってことになりますとね、もしかすると今、「日本人総官僚の下僕」なのかもしれませんね。







で、もしそうだとして、私がこのブログで更にこう重要だと思うのはですね。日本の有識者がですね、それで良いと考えてテレビなんかでコメントしたり、新聞記者もそれで良いと言ってるような感じがするんですよね。ええと、かつてですね、日本の新聞とか有識者はよくですね、「選挙に行きましょう!」 「選挙を棄権しないように!」って盛んに言ったんですけど。選挙に行ってもですね、公約全部破られるんだったら選挙に行ってもしょうがないんですけど。そういう人は悲憤慷慨(ひふんこうがい=憤り嘆くこと)してるんでしょうかね?







なんか私ね、いろんな論評読みますとね、「日本は民主主義じゃない」、「官僚の下僕だ。しかし、それでいいんだ」と、日本の有識者が口を揃えてるような気がするんですね。皆さんがどうお考えになるか、私の実例、つまり政府に批判をすると10年来ずっと呼ばれてた私が突然、呼ばれなくなるというね、非常に明瞭な実例がありますから。この実例をどう考えるか、非常に考えさせられますね。



(文字起こし by danielle)