原子力をダメにする原子力関係者・・・自らを否定することになる・・・(2/3)
「過ちては改むるに憚ること勿れ」(憚る(はばかる・・グズグズする)、勿れ(なかれ・・あってはいけない)ということわざがあります。でも、それは自分の人生を否定し、捨てることになることもあります。
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原子力推進団体がNHKの番組(低線量被曝に関する日本の決定は政治的な要素が入っていた)に対して「バランスを欠き、事実に反する」という内容の抗議をしたことについて、反感が高まっています。
福島原発が爆発したことは事実であり、そのことについて原子力を推進してきた人は深く反省するべきなのに、まだ強弁しているという感じです. その人たちは私も個人的によく知っている人が多いのも、心を痛めます.
福島原発事故が起こって以来、原子力の人たちは、自分たちが決めてきたこと(1年1ミリシーベルトの被曝限界、事故確率が1万年に一度ていどなら5ミリに上げることもある。それ以上に被曝限界を上げるには10万年に一度ぐらい)を自分たちで否定したり、隠したりしました。
10万年というと、次の氷期(日本全体が厚い氷に覆われる時代)までですから、第一、原発というものがそれほど長く続くこともないでしょう。
でも、なぜ、政府、東電、原子力専門家、推進団体(今回の事件は「エネルギー戦略研究会」、「日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会」、「エネルギー問題に発言する会」)は「事故を小さく見せよう、被曝の影響は小さい」というのに力を注いでいるのでしょうか?
原発を推進するためには、これらの言動はまったく逆に見えます. 原子力は安全でなければいけないものですし、社会も事故を起こしては支持されません.だから、原子力を推進する人は、事故についても被曝についても、社会一般の人より厳しく考えているはずだからです。
先ほど、書いたことですが、原子力発電所が大きな事故を起こしますと、被曝の危険性があります。そしてその限度は1年1ミリとしてきたのも原子力関係者です.それに加えて.原子力作業者の年間被曝量は1ミリに自主規制をしてきたのも、今度、抗議をした人たちなのです。
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抗議をした人の多くを私は知っています。そして真面目で立派な日本人であることも承知しています。でもなぜ、ここで信じられないほど動揺しているのでしょうか?
私の解釈では「原発は危険だった。従って、自分がこれまで言って来たこと、自分の人生そのものを否定しなければならない」という事態になって、その覚悟がつかないのでしょう。
私が原子力を捨てるのは20年間の人生を捨てるだけで良いのですが、抗議をした人はほぼ一生の仕事を否定しなければなりません。それはとても辛いことです。
でも、諸先輩にこんなことを言うのもなんですが、人間には誤りがあります。正しいと確信して仕事をしてきても、それが間違いだったこともあるのです。そのことを正々堂々、ハッキリと認める力、それは「日本には子供たちがいる」ということではないでしょうか?
辛い気持ちはわかりますが、是非、福島原発の事故を真正面から見て、その原因が「人災」であったことも考え、国民に対してすまなかったという気持ちを持っていただければと願うところです。
NHKがICRPの決定をどのように伝えたかではなく、ICRPは任意団体であり、日本は国家として被曝限度を決めており、さらに原発関係者はみずからその規則を適応してきたという「自分自身のこと」言動の一致について深く考えて貰いたいと思います。
(平成24年2月3日(金))
--------ここから音声内容--------
えー、古い言葉に「過ちては改むるに憚ること勿れ」というまぁ、ちょっと難しい言葉がありますけども。過ちを犯すことは人間にはある、と。そのときには改めるということについて、グズグズしちゃいけないと、躊躇しちゃいけないと、まぁそう意味ですけども。それがですね、小さいことであれば、昨日の一日の誤りであればですね、いいんですけども。自分の人生全部を捨てるってことになるとですね、なかなかこれが人間ができるっていうのは、非常に辛いことであります。
えー、この前ですね、原子力推進団体が、NHKの番組 “低線量被曝についての日本の決定をする上での国際的な動きについて、必ずしも科学的ではなかった”と、いうことをまぁ放送した、それについて、その放送が「バランスを欠いて、事実に反する」ということを言ったわけでありますが。気持ちは分かりますけども、ちょっと見当が違うんじゃないかと思うんですね。
福島原発が爆発したことは我々原子力の人にとっては、事実として受け止めなければいけない。非常に反省せんといかんと、私は思うんですね。この抗議をした人たちのお名前が新聞に出ておりましたが、個人的によく今までもお世話になった人が多くおられまして、とても心が痛みました。
しかしですね、私たち原子力の人たちは、何を決めてきたかというと「1年1ミリの被曝限界」、これは決めたというか認めてきた。それから「原発の事故確率が1万年に一度程度なら、5ミリまでは上げられる。それ以上に被曝限界を上げるには、10万年に一度ぐらいの事故でなければいけない」、というのもですね、我々が決めてきたんですよ、実は。それで国民も納得してきたんですよね。「あ、そのくらい安全なのか」と。
ま、10万年っていいますとね、10万年前というとイリノイ氷期で、まぁ日本は全島が、日本の全部が厚い氷に覆われていたわけで、人っ子一人っていうかネアンデルタール人ですけど、いなかったわけですよね。だから、そういう次の氷期までの間にはまぁ爆発しないと、つまり1万年の間は大丈夫だ、ということを言ってるわけですね、10万年に一度ですから。それを我々は言ってきたんですよ、国民に。次の氷期が来るまでぐらいは、原発の事故起こりません、とこう言ってきたわけですね。
ところが事故は起こって、なぜ、政府、東電、原子力専門家、推進団体…今度は「エネルギー戦略研究会」 「日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会」 「エネルギー問題に発言する会」という人たちがですね、「事故を小さく見せよう」と、「被曝の影響は小さいんだ」いうことに力を注いでるのはなぜなんでしょうかね?
原発を推進するためにはですね、私は全然逆だと思うんですね。原発を推進するってことは、原子力は安全じゃなくちゃいけません。で、福島原発事故が起こるってことは、もう事故起こったわけですからね。これをそのまま続けるって事は、これは私は支持されないと思うんですよね。
つまり、原子力を推進する人ほど、事故についても被曝についても厳しく考えなければ、まぁ私は原子力ってものはできないと考えてるわけです。私は反原発で原子力に反対してるんじゃないんですよ。事故の起こるような原子力発電が社会に認められるはずは無い、と思ってるからなんですね。社会に認められる技術というのはですね、やっぱ社会が認めなきゃいけませんから。
そのためには当事者はですね、社会よりか厳しく考えて、そうすると私はですね、いや原発はダメだと言ってるわけですね。原発をやるために、原発をやってんじゃないんですよ。日本とか社会に貢献するために、原発をやってるわけですから。それは、危険な原発はダメなんですよね。まぁあの、原子力作業者の年間被曝量1年1ミリに自主規制してきたわけですよ、原子力は。それをやっぱり思い出してほしいですね。
でまぁ、あの少し踏み込んで言いますと、抗議した人の多くを私は知ってるわけです。尊敬すべき先輩が多くおられます。しかしなぜ、これほど動揺したのか?ま、それはですね、実は安全だと思ってた、確信してた原発が爆発をしました。それも核反応が暴走したんじゃなくて、崩壊熱で水素爆発をするという、言ってみれば意外な結果になったわけですね。それを認めることは、その人たちが自分がこれまで言ってきたこととか、自分の人生そのものを否定しなきゃなんないわけですよ。
私はですね、20年の原子力の人生を捨てただけで済みました。しかし、この抗議をした中にはですね、ほぼ一生の仕事を否定しなきゃならない人もおられます。ま、こんなことを諸先輩に言うのも何なんですけど、人間には誤りもありですね、正しいと確信してきた仕事もですね、間違いだったことが判るわけですね。
ま、そのときは私はですね、まぁ仕方がないんですよ。1億2000万人の国民のうちの一人なんですから。たった一人でしかないんですよ。自分にとっては自分は大切ですけど、1億2000万人の人間の中のたった一人なんです。それはもうハッキリ認めてですね、それで自分を捨てて、やっぱり「日本には子どもたちがいるんだ」と。自分たちが持ってる知識をですね、「子どもたちのために生かすんだ」というふうな気持ちになってもらえないだろうか。
しかも、これは「人災」でしたね。改善しようと思ったら、いくらでも改善できました。しかし、原子力が安全だという旗を降ろしたくないということからですね、技術的にも間違いを起こしました。
私は今度のことは、NHKがICRPの決定をどう伝えてたかという問題ではなくて、ICRPって元々任意団体であって、日本はですね、国家として被曝限度を決めていますし。それについて原子力関係者は自ら、これコミットするって言うんですけど、責任を持ってやってきたわけですね。それについての「自分自身の言動の一致」についてもう一回、原子力関係者が自分の身を捨てて深く考えて貰いたいと、まぁいうふうに思います。
(文字起こし by danielle)