2011現代倫理論7.原子力作業者の自主規制・・・自分とお客さんを裏切る倫理違反(12/30)
これまでの数々の「技術倫理問題」で、「自分の会社を守ったり収益を上げるために、自分の製品を買って貰ったお客さんを裏切る」ということがしばしば見られました。製品表示に偽りがあったり、パジェロのブレーキの問題、それに今回の1年20ミリ問題などがその典型的なものです。
(平成23年12月30日(金))
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えー、今年は原発の年で、もうほんとにあふれるような数の倫理問題が発生したわけですね。その中で、私は一番大きかったんじゃないかと思う倫理問題は、電力会社が行なった倫理違反ですね。これは、度々私のブログにも書きましたけども、ここでちょっとまとめておきますが。
自分の会社の従業員は1年1ミリシーベルトにしたけども、福島の子供たちが1年20ミリシーベルトにするのは構わないという行動を取ったってことですね。これはあの、自分の会社を守ったり収益を上げるために、自分の製品を買ってもらったお客さんを裏切るっていう…これはですね、私が大学で教えてる技術倫理の、割合と中心的な話題なんですね。多いんですよ、例がですね。
例えば、食品を売るときに製品表示を偽る、と。例えば三菱自動車のパジェロの問題。これはもっと典型的な問題でしたが、お客さんにブレーキの利かない車を売る、と。ま、こういうやつですね。
この食品の製品表示に偽りを書くというのは、自分のお客さんがその被害を受けるんですよ。お客さんが被害を受けるってことをやるということが、技術的な問題ですよ、これ。
そいから三菱自動車のパジェロの問題っていうのはですね。これはどういう問題だったかっていうと、パジェロという非常に優れた車があったんですね。人気の高い車があった。そこのブレーキホースに問題があったんですね。もちろん普通でしたらそれを公表し、回収して直して、お客さんに返すというのが正しいわけです。特にブレーキですからね。それが割れて油が漏れて、ブレーキが利かなくなるんですよ。で、時々事故が起こるわけですね。
そうするとね、三菱自動車はその当時、どういう態度に出たかっていうと、お客さんのブレーキの踏み方が足りなかったと言うんですよ。つまり自分たちは、ブレーキが利かないような材料を使ってることを知っているんですよね。知っているにもかかわらず、あの当時、マル「H」というマークのはんこを作りましてね。はんこだったと思います、手じゃなかったと思いますよ。それを書類に押すんですよ。「マル秘」マークなんですね。で、マル秘マークを押して、それを三菱自動車本社の6階に普段置いとくんだけど、監査が入るときは8階に持って上がる、と。持って上がる人も決めてある、という、そういう組織的犯罪だったわけですね。
で、あるときに、これが大きな事件になったんですが、熊本の女性がブレーキを掛けたんだけど止まらないで、交差点で前の車に激しく衝突してしまったんですね。それで、主婦は「ブレーキはよく掛けた」と言ったんですが、三菱自動車は「主婦がブレーキを掛けなかった」と言ったわけです。ところが、その車は実は三菱自動車の確か修理工場に運ばれて、ブレーキホースが割れてることを確認してるんですね。
つまり、お客さんはちゃんとブレーキを踏んでたけども、やっぱり材料の点でダメだった、と…いうことが判ってるにもかかわらず、それを認めずに自分の会社を守って、自分の製品を買ってくれたお客さんを裏切った。っていう、まぁ典型的なケースで。これは大きな社会問題になって、三菱自動車は潰れる寸前までいきます。
ですから、まぁ、これが重要な技術倫理なんですね。
私が学生に「そういうことしちゃいけません」と、「技術者というのは、社会の人が、お客さんが分からないことも知ってるんだから。それは絶対に認めて、直したりしなきゃいけません」とこう言うわけですね。例えば、建築の学生がですね、「ちょっとこれでいいや。これだったら鉄板を少し薄くして安くしてもいいや」ってことができるんですよ、設計者はですね。ところが、その鉄板でできた階段を上る人は、分からないで上るんですよ。
ですから、僕は学生に言うんですね。「皆さんは普通の人ができないことができるんだ」と。「ビルを造ったり、橋を造ったり、自動車を作ったりするんだ」と。「そうすると、それを使う人はあなたを信頼して使ってるんだ」と。「だから裏切っちゃいけませんよ」ってことを教育するわけですね。思想の問題じゃないんですね、全然思想じゃないんですね。
一番最初言ったように、倫理というのは相手に聞くんですよ、と教えるわけですね。「あなた、ブレーキの利かない車がいいですか?」と言ったら、必ず「ブレーキの利く車をください」と言うはずだ、と。だからブレーキは利かなきゃいけない。「階段を上ってる最中に、不意に落ちることがいいですか?それとも安心して上った方がいいですか?」と階段を上る人に聞けば、階段を上る人は「いや、落ちるのは困ります」と言います、と。だからこれは道徳の問題ではないんです、と私は言うんですね。
道徳でしたらね、Aという人と、Bという人と、考えが違うことがあるんですよ。だけども相手に聞くっていうことは、考えが違わないんですね。今度の1年20ミリはほんとにそうでしたね。これは悪質です。パジェロのよりか、ちょっと悪質なんですね。パジェロの場合は単に隠したっていう事なんですが、ま、これも悪いですけどね。会社が潰れそうになりましたけど。
東電の場合、もっと酷いんですよ。だって、自分たちの従業員は国が20ミリの規制値まで認めているのに、しかも成人男子であって、かつその人たちは給料もらってる、と。全部そろってるんですよ。だから20ミリまでで、いいはずなんですよね。だって今、1年20ミリまで健康に影響がないなんて言ってるわけですから。一杯いるわけですから、そういう人がね。
ところが1992年、今から20年前からですね、1年1ミリに自主規制してるんです。この前テレビで私、それ言いましたらね、「武田先生、それは平均だ」って言った人がいるんです。これにはびっくりしましたね。もちろん平均なんですよ、「平均」と「限度」は違うんですね。例えば、限度っていうのは、誰でもが1年1ミリにならない、ってことなんですよ。ところが平均ですからね。1年1.5ミリの人もいれば0.5ミリの人もいて、その人が二人いれば平均したら1ミリだからいいんですよ。そういう小さなことを言ってるんじゃないんですね。
20ミリを平均で1ミリに下げようとして具体的にやったってことなんですよ。自分たちの意思で。そのために5万人の従業員増やしたわけですよ。その分の人件費はお客さんに電気代として付けたわけですね。だから、絶対にこれに反しちゃいけないんですよ。
というのは、それはどうしてかって言いますとね、本人が、1年1ミリでなくちゃいけないと思ってる、ということなんですよね。思ってるっていうことはどういうことかというと、お客さんには絶対それ外しちゃいけないんですよ。これお客さんにそう言ったらね、「私は原子力発電所を運転していて、1年に1ミリじゃなくちゃ危ないと思いますから、1年1ミリにしてきました。だけども今度、政府が20ミリと言ってますが、いかがなさいますか?」と言ったら、被曝する子供の親はですね、必ず「いや、そりゃあなた方、成人男子が1年1ミリ平均してるぐらいだったら、子供にちょっと20ミリは困ります」って、言うはずなんですね。
ですからこれは、道徳の問題でも何の問題もなくて、倫理の問題。つまり相手に聞いて、相手の意思に従うってことですね。相手がもしおかしかったら、そのときはそのときで、また次の段階に入りますね。だから、この東電の1年20ミリ事件というのは、おそらくこれからですね、長い間、大学の技術倫理問題として取り上げられると思います。そうしないとですね、何が倫理だか分からなくなりますからね。
これは今年、非常に最大の問題であり、まぁ10年に一度とか20年に一度の、大きな技術倫理違反の問題でしたね。私は非常に印象深く、これを感じました。
ええと、倫理を大学で講義するときは、客観性のあるものしか講義しないんですね。私の考えとか、そういうのはダメなんです。大学ですからね。やっぱり客観的に、パジェロのブレーキ問題っていうのは、考え方っていうのはこれはもう一定してるんですよ、学問的に。この一定してるやつを、今度の東電に当てはめれば・・・学問ですから一定の考えを当てはめなきゃいけないんですよ。当てはめれば、到底ですね、認められないような技術倫理違反が起こったと、そういうことになります。
(文字起こし by danielle)