前回の続き。

そんな訳で、私は東京に戻ってきてから6日後には、また飛行機で実家に向かっていました。 今度はさすがに猫さん達は彼氏殿にお願いして、喪服だけ持って、仕事帰りに空港に直行でした。

着いたのは夜中の2時で、空港に迎えに来てくれていた妹の車でそのままおばあちゃんの家へ向かった。真夜中だから道はすごく空いていて直ぐに着いた。

おばあちゃんの家には喪主の叔父さんと数人の親族がいた。そして、棺の中に入ったおばあちゃんがそこにいた。

おばあちゃんに会うまでは信じられなかったけど、棺に入って冷たくなった姿に対面した時に、涙が一気に込み上げてきて、自分の中でガラガラと音を立てて何かが崩れていった。

おばあちゃんは、この間は、私が来るまで生きてて待っててくれたんだと思った。

本当に働き者で腰が低く、努力家だった。私にとっては、身内の人間で唯一尊敬できる人だった。

悲しみを何かで埋めることができたら、どれ程良いだろうか。

それからしばらくは、毎晩寝る前になると、子供の頃おばあちゃんに遊んでもらったこととか、楽しかった思い出が頭から離れなくて、 あぁ辛いね。

私がここに存在しているのは祖母が生きていた証。

毎日を精一杯生きようと思った。
前回に引き続き、私がやっとの思いで実家に帰れた時の話。

必死で仕事を片付けて、実家に帰れた日。

それは4月1日にもなっていました。

その日は朝早くから、飼い猫シプとメグをキャリーカーに乗せ、羽田空港に向かった。東京は、まだ厚手のコートに身を包んでいる人ばかりだというのに、私は一人汗ばんでいました。

二匹同時に連れて行くのは初めてだったから大変で!


やっと空港に着き、飛行機に乗ってる間、またいくつもの不安が頭をよぎる。

でも殆どは、おばあちゃん、目開けてくれるかな・・・ってことばかり考えていたな。

おばあちゃんは、当時、昏睡状態のまま2週間が経過しており、大変危険な状態だったから、縁起でもないけど、まずはとにかく生きてる間に会うのが第一の望みでした。

昏睡状態であろうが、生きてるおばあちゃんにもう一目でも良いから会いたい・・・。それだけ。切実な願い。

それから、行きの飛行機では初めて飛行機に乗せるメグがすごく心配でした。まだ生後4ヶ月の子猫だから、具合悪くしないかなぁって心配しながら乗ってたなぁ。

無事に着き、メグも意外にぴんぴんしていてホッとした。

母と二人で、おばあちゃんの病室へ行った時、半年前に最後に会った時の面影はどこにもなく、いろんなチューブが身体に付けられ、呼吸するのさえ苦しそうにしていた。

昏睡状態だったけど、耳元でたくさん名前を呼んで、何とか目を開けてって祈っていた。


私が滞在していた10日間の間に何度かおばあちゃんに会いに行ったけど、おばあちゃんは目を覚まさなかった。
私は東京に戻る日の前日、またおばあちゃんに会いに行った。

私が今度実家に帰るのは秋になるだろうから、ひょっとしたら、今この病室で会ってるのが最後になるかもしれない・・。そう思うと、なかなか病室を去れなかった。

本当に本当にこんなに辛いこと、そうそうないだろうと思う。

私は4月10日に東京に戻り、翌日からまた慌ただしく仕事に打ち込み、不安を掻き消すようによく働いた。

そして4月14日18時5時におばあちゃんは亡くなりました。



書いてない間にあったたくさんのショッキングな出来事。。

地震の時の話。

今やっと少し気持ちを整理して書けるようになりました。

うちは関東ですが、関東は建物の倒壊は殆ど無かった。それでも、これくらいのショックです。

東北の方々の心の傷は計り知れないですよね。


うちの所は震度6強だったんじゃないかな。
私はその時たまたまうちにいたのですが、寝ぼけてるまま被災。

建物が凄まじい音でガタガタ音を立てて、グニャッグニャに揺れること2分くらいかな。存在する全ての物が揺れるんだから、すごいよ。信じられないくらい大きな音、奇妙な音。世の中の終わりの音がしました。

ここで死ぬかもしれないとと思って脚はガタガタ奮え、避難経路を確保するのがやっとだったな。

揺れが収まっても身体の奮えは収まらず放心状態。

とにかくとんでもない災害に巻き込まれたことだけは分かった。

家の中は物が散乱していました。


慌ててテレビを付けると、悪夢がそこにありました。まるで映画でも見ているかのような、現実に起こっていることが信じられないような光景でした。

その日からまるまる1ヶ月、余震が無い日はありませんでした。地震が来る度に、携帯の緊急地震速報が鳴り(それが夜中だととても恐い)、電車は本数制限されてる為、生活も変わりました。

仕事帰りに近所のスーパーに寄ると、食べ物も飲み物もありません。

仕方なく、ぐったりと家に帰ると計画停電。。計画停電中は信号も点灯しないので交通事故で死者もでました。私は女性だから計画停電中は防犯上、暗闇を帰るのは避けなければならず、停電の無い都内で時間を潰して帰ったり、とにかく生活は一変しました。

東北の被災地の方々の被害を考えると、本当に微々たる苦労ですが、

1ヶ月もこんな生活が続くと、もう精神的に病んできますよね。

関東も、そんなんで、いつ収まるかわからない余震と原発の恐怖、地震後の一変した生活に皆クタクタでした。

そんな中、私にはとても心配で気掛かりなことが2つありました。

一つは、飼い猫シプの腫瘍のこと。早く手術をしなくちゃいけないのに、余震が収まらないから手術をすることができない。そんな状況・・・。でも、もし手術して、間もなくまた大地震がきてしまったら、シプは自力では逃げられないので、悪化しないようにということだけ祈る毎日。ちなみにまだ手術できていない。

二つ目は、脳梗塞で入院してる祖母のこと。

日に日に記憶が鈍ってきてるし、弱ってると家族から連絡。早く会いに行きたいと強く思いながらも、地震と仕事の都合でどうしても直ぐには行けず。。

どうか生きて待っていて下さい・・・と胸が引き裂かれそうな思いで毎日気丈に仕事をしました。とても辛かった。

先に書いたように、地震後の生活はとても不自由で、いつも恐怖と隣り合わせ。
そんな中、私の個人的な心配事も重なり、本当に悪夢でした。

テレビをつけると、東北の被害の大きさが明らかになってきていました。

毎日、涙、、、。

本当に辛い試練でした。


そう、だから、blogどころか毎日一生懸命生きることだけ考えていたんですよね。

もうすぐ震災から2ヶ月が経ちます。まだまだ東北は大変な状況です。

日本中が上を向いて頑張って行くしかないね。

私は、ようやく仕事もまとまり、実家に帰って、病院にいる祖母に会うことができました。


それが4月1日でした。


また書きます!今日も元気です!