中学受験が終わったあと、
母からご褒美をあげる、と言われた。
受かりはしなかったが、勉強を頑張ったので、
なんでも欲しいものを言って良い、と言われた。
私は迷うことなく
ママと2人だけでどこかへ行ってみたい!
と言った。
物なんてなにもいらなかった。
私の欲しいものはただ一つ。
兄を気にすることなく、
大好きな母親を独り占めしてみたい。
普段 私のことを見ていない母に、
私だけを見る時間を作って欲しかったのだ。
てっきりダメだと言われるかと思ったけれど、
その希望は叶えられ、母は神戸の六甲へ連れて行ってくれた。
一泊だけの旅行だったが、私は楽しみで楽しみで仕方なかった。
他の家族旅行は何一つ覚えていないが、
この旅行だけは、着ていた服の色や食べたもの、
買ってもらったキーホルダーのデザインすらハッキリと覚えている。
どこへ行くにも、何をするにも、兄のことを気にせず、周りに他人が居てもへっちゃら。
普通の人たちと同じように、正々堂々と、のんびりとした気分で、ゆったり旅行を楽しむことができたのだ。
普段はどこへ行っても何をしていても、
私は始終 兄のことや母の顔色を気にしていて、
何も見てないし何も楽しめていなかった。
気にすることが何もなく、
ただただ目の前のことを楽しむ、ということが
これほどまでに楽しく人を幸福にさせるのか、
と私は幸せに浸っていた。
母も普段よりも私に優しく、
二人してのんびりとした時間を過ごしたことを覚えている。
もし兄が普通だったら、
私が一人っ子だったら、
本来は、こんなにも幸せで穏やかな気持ちで毎日を過ごすことが出来るのか。
世の中の人は、みんなこんな平和な気持ちで生きているのか。
私にとっては初めての体験で、
幸せな反面、凄くショックだったことを覚えている。
母とこのままどこか遠くへ逃げてしまいたい。
あの家には戻りたくない。
そう思いながら私はその短い旅を終えた。
私が子供の頃に、母と二人っきりで遠出したのは、
後にも先にもこれが最後だった。
楽しいはずの思い出だけれど、
何気ない母との旅行が、こんなにも強く私の心に残っていることが、今となっては少し切ない。
子どものころの自分にもし会いに行けたら、
いっぱい色んなところへ連れて行って、
たくさん甘えさせてあげるのに‥。
そんなことを考えながら、
六甲の水、と書かれたペットボトルを見て昔の記憶を思い出し、やるせない気持ちになった。
