もう死にたい!!
泣きながら訴える小さな子どもに、
母はこう吐き捨てた。
しね!!!
死ねるもんなら、死んでみろ!!
何が死にたいや!
私のが死にたいわ!!
ようくん◯して、みんなで死のか!!
鬼の形相で、
泣いている私にそう叫んだのだ。
そう、母は私の心の叫びすら聞き入れてはくれなかった。
小さな腕に傷をつくり、
泣きながら必死で訴える子どもに、
母はキッチンから包丁まで持ってきて、
死ねるもんなら、死んでみろ!
と言ってのけた。
すごい剣幕で私に迫る母に、
私はもう何も言えなくなって、
自分の部屋に逃げ帰り、ずっとずっと一人で泣いていた。
この日を境に、
私は自分の心うちは母に話しても無駄だ、
ということを学んだ。
辛い、苦しい、悲しい、そんな弱音は母には通用しないのだ。
私がどんなに苦しんでいても、その苦しみを母は決して受け入れないし、慰めもしない。
そんな母だと今考えると諦められるが、
親しか頼る術のない当時の小さな私にとっては、
親から捨てられたような、
絶望的な気持ちになったのを覚えている。
私には親はいるが、
本当の意味での親は居なかったのだ。
そう悟った出来事だった。
そんなことがあっても、
もちろん母は私の全てをそのまま推し進め、
私はやがて受験の日を迎えた。
受験校はもちろん母が決めて、
身分不相応なトップ校を受験した。
しかし結果は見事に不合格となり、
私は近所の公立中学に入学することとなった。
母は不出来な娘に落胆したものの、
期待する対象が私しか居ないものだから、
次は高校受験に向けてだ、と母は私への勉強継続を強いていた。
私は、母に見捨てられまいと
高校受験で頑張る!
とは言いつつも、
心の中ではどうでもよいと思っていた。
この一連の出来事を夫に話すと
よくグレなかったね
と言われる。
自分でもそう思うが、当時の私にはグレるという選択はなかった。
なぜか。
それは、母はちゃんとしていない娘、横道に逸れるような娘は、本当に見捨てる人だ、と無意識に分かっていたからだ。
自分は娘だから養育されているわけではなく、
ようくんの世話をするちゃんとした娘だから育ててくれている。
勉強も頑張り、将来母親の自慢になるような子に育つ可能性があるから育ててくれている。
だから、もしグレたり勉強せずに落ちこぼれの自分になったら、きっと母は私に見向きもしなくなり、
本気で放っておくだろう。
幼心に私はそれを理解していたのだ。
だから、グレている子を見ると、
当時は少し羨ましかった。
いろんな事情、家庭環境があってグレていて、
もちろん私より辛い状況の子もいたと思うが、
グレて自分の不満や心の叫びを表現できることに、
私は羨ましさを感じていた。
学校のガラスをわざと割って、
制服を改造して先生から親を呼び出されているヤンキーを見ると、
あの子は素直にグレられていいな‥
きっと親に甘えてるんだね。
と、グレることも甘えることも許されない私は、
羨望の眼差しで彼等を見つめていた。
これが私の中学受験の思い出だ。
いま娘も受験塾に通っている。
どうなるかは分からないけれど、
どんな状況になろうとも、娘の声だけは聞き逃さない母親でいたい。
そう思っている。