私の父は、3月13日で97歳になりました。
ちなみに、母は3月11日で91歳になりました。
母は昨年入院した後、リハビリセンターへ入所しました。
毎年、父と母の誕生日を2人一緒にお祝いしていましたが
今年はコロナのせいで、母は外出許可が出ず不参加と
なりました。
そのお祝いも、以前は孫達まで集まって大賑わいだったのに
コロナが始まってからは、子供たち(私・兄・姉)が夫婦で参加
するだけになりました。
そして今年は、主役の母までも。。。。。
悲しくて・・・悲しくて・・・・
いつでも会えるって時は、何とも思わず会にも行って無かった
くせに、会えないってなると会いたくて仕方ないんです。
身勝手ですね。
親孝行、したい時には親は無し・・・・・身に染みています。
実家では、自分達のお墓をかなり前に建てています。
そこに〇〇家のご先祖様の魂も入れて頂きました。
両親の実家は山梨県なので、思い立った時にサッと行かれる
訳ではありません。
実家へ行った時には、お仏壇にお線香をあげて手を合わせてはいましたけどね。
だから何かの機会には、実家のお墓へ行くようになりました。
実家のお墓からは『鎌倉より大きい大仏』が見えます。
地域限定されちゃいますね。💦
拝観料がいくらなのかは知りませんが(行ったこと無し)
中まで入ることが出来て、黄金のミニ大仏があるようですよ。
お彼岸で天気が良かったので、駐車場は上も下もいっぱいで
路駐する人までいました。
(中央が父)
お墓参りの後は、近くのお寿司屋さんでお誕生日会。
って言っても、昔は色々プレゼントしてたけど「今更、何かもらっても困る」って言う父の意見でお食事会だけになりました。
大股でスタスタ歩く97歳。
このお寿司屋さんは、私のお気に入りで「やるならココが良い」
っていつも私が言ってました。
すっごくネタが美味しくて、その他のお料理も美味しいからです
ところが・・・・
もう2年以上前になりますが、以前勤めていた居酒屋での仕事
からのストレスで魚が食べれなくなってしまったんです。
生臭くて、料理も出来ません。
パックを手に取っただけで『クサッ』だもの。
鮮度が良いお刺身なら、1切れ2切れくらいは食べれるけど
美味しいとは全く感じなくなりました。
ただ「食べれたぁ」ってだけ。
以前は大好きだったイクラも食べれません。
1粒で無理~~~。
でも今回は偶然にも「食べたい人は後でお寿司を注文します」
って事だったので、私は太巻きを食べました。
鰻もありました。💦
恐る恐る食べてみたら・・・食べれましたぁ。
父は柔らかいご飯でないと食べれないってことで、義姉が
パックにご飯を持ってきていました。
父の残した分を私がもらい、鰻を乗せて食べました。
お寿司屋さんでの食事会なのに、食べれたのは烏賊の刺身と
茹でタコの刺身。
鰻と茶碗蒸しと海鮮抜きの太巻きだけでしたね。
2時間ほどで飽きて来た父が席をたったので、みんなで実家へ移動してもう少しお話をすることになりました。
父はデイケアに行って作ってきた切り紙の絵や達筆の書道
などを「おじいちゃんだって、こんなことが出来るんだぞ」って
自慢げに見せて話していました。
昔からすっごく器用な人で私は『お父さんって言う人は何でも出来る人のこと』って思ってたくらいです。
字も国語の先生みたく綺麗なんですよ。
色々見せてくれた中で、昨年2年前にデイケアで撮った写真を見ながら「ばあさんだって、あの頃はあんなこともやってたなぁ。女の人はやりたがらなかったけど、ばあさんはやったんだよ」って。
棚の中に貼ってある写真を撮ったので、光を避けるのが難しくて良く見えないかも知れないけど。
楽しそうな母と父。。。。。
90歳と96歳。
父はきっと、100歳を超えても元気なんじゃないかなぁ。
母は花が好きで父は盆栽が好きで、2人で良く手入れをしていました。
その頃、父は全く花には興味無しだったのに、母が施設にはいってからは母の代わりに一生懸命に手入れをしています。
玄関の中にもランとかがいっぱい。
でもそこは私の父親。
面白い事をしていましたよ。
葉牡丹が、どこまで伸びるのかって支柱を立てて支えてました
ウルトラセブンに、こんな宇宙人出てませんでしたっけ
ちょっと『捕らわれた宇宙人』みたいじゃないですか
楽しい時間を過ごして帰宅しました。
でも帰りの車の中で、涙が止まりませんでした。
そこで先日精神科を受診した時の事を思い出しました。
「最近、なんだか分からないけど孤独を感じるんです。今まで
感じ無かった感情です。」って言うと
「1つ年を取りましたよね。年を取ると誰もが孤独を感じるんですよ。 年齢を意識したことがあるでしょうこの先の事とか。。。」
そういえば、息子の事故あたりから生と死をすっごく考える
ようになりました。
以前から考えて気になっていたことだけど、それは多くの人が
感じてることと同じくらいだったと思います。
でも、事故で生死を彷徨った息子を見て、さらに強く死に対して恐怖を感じるようになりました。
そして誕生日会のこの日は、父の兄弟が何人亡くなってるとか
直ぐ近所のおじさんが先週亡くなったとか・・・話していました。
『死』というものを、すごく身近に感じてしまって更に怖くなって
しまいました。
母に会うことが出来ないまま・・・・なんて事が起こる可能性は
否定できませんからね、今のコロナの状況では。
「あんなに元気だった人が・・・ねぇ」って言葉も良く聞きます。
私の祖父は、快気祝いの次の日に亡くなっています。
明日の事は誰にも分からない。
父と会うのが今日で最後になる可能性も無いとは言えない。
だからって、毎週会いに行こうってならない私の自己中さ。
私の中の『静』と『動』が、真っ二つに分かれてくれたら良いのにって思うこの頃です。
なんか湿っぽくなっちゃったけど、父は本当に元気。
毎日散歩してるって言うし。
頭もしっかりしてるし。
目と耳が弱って来てるのは、当然のことだし。
デイケアでは、いつもゲームで優勝してるって言うし。
何かの作業では、年下の方々に教える立場をしてるって言うし
お父さん、お誕生日おめでとう