イールのヴィーナス、これは作中、話者がスケッチしようとしたが、どうしてもその意地悪な表情をうまくとらえきれない、と言っている、庭から掘り出された古代のブロンズ像である。と言われたら、絵心のある人なら、ぜひ絵に描いてみたくなるのではないか?
その説明を抜粋する。
「なんの!聖母様なら、わしにだってすぐにわかりまさあ。偶像ですよ。ねえ、旦那。ようすでちゃんとわかるんで。大きな白い目でじっと見やがるんだからね。…穴のあくほど見やがるんじゃねえかと思うくらいですよ。嘘じゃねえんで、そいつを見てるてえと、こっちが自然に目を伏せるようなあんばいになるので」
「白い目?きっと青銅のなかにはめこんであるんだな。そんなら、たぶん、何かローマ時代の立像だろう」
それはまぎれもないヴィーナスであった。目もさめるばかりの美しさである。上半身は裸体。これは古代人が位の高い神々を表現するのに通常とるやり方である。乳の高さまで差し上げた右手は、掌を内側に、おや指と次の二本の指をのばし、他の二本を軽く曲げた姿勢で、折りまげられていた。もう一方の手は、腰に近く、下半身を包んでいる衣を支えていた。この立像の姿勢は、どういうわけかゲルマニクスという名前で呼ばれている「イタリア拳をする男」の姿勢を思い出させるものがあった。たぶん、イタリア拳をやっている女神の姿を現わそうとしたものであろうか。
頭は、ほとんどすべてのギリシアの頭がそうであるように小さかったが、軽く前方にかしげられている。顔面に至っては、とうてい私にはそのふしぎな特徴を筆に現わすことはできない。(中略)すべての顔面の線に荘重な不動の気分を与えたギリシアの彫刻家特有の静かな厳粛な美では断じてなかった。むしろここでは、反対に、芸術家が故意に、ほとんど邪悪に近いいたずら好きらしいようすを表現しようとしているあきらかな意図を看取して、私は意外の感に打たれたのである。顔面のすべての線はことごとく軽度ではあったがひきつめられていた。眼は、少し藪にらみで、口の両端がつり上り、鼻孔はいくらかふくらんでいた。軽蔑、皮肉、残忍、といったようなものが、それにもかかわらず信じられないくらい美しいこの顔の上に読まれたのである。
この魔性を帯びた皮肉の表情はどうやら、非常によく光る銀象嵌のその眼と、時の力が立像全体に与えている暗緑の緑青との対照のため一そうきわだっているものらしかった。らんらんたるその眼は現実を想わせ、生命を感じさせる一種の幻覚を生ぜしめていた。見る者の目を伏せさせると案内人の言っていたのを、私は思い出した。これはほとんど真実であった。この青銅の彫刻と相対してどうも何となく気のつまる感じがするので、我ながら自分自身に対して腹立たしさがこみ上げて来るのを抑えることができなかった。
朝の八時から、早くも私はヴィーナスの前に腰をかけ、鉛筆を手にして、さっきから二十ぺんもヴィーナスの首を写生しなおしているのであるが、どうしてもその表情を紙の上にとらえることはおぼつかなかった。
【転載終了】
で、3点、画像が集まったので、載せます。
これは小学館の少年少女世界の文学 16 の挿し絵。
これは、小説の朗読動画が出していたもの。
これ面白い!これはイールのヴィーナスではなく、アメリカLAのゲッティ美術館の周辺にある像なのだけど、
顔が男だよね。胸があるから女でしょうが。
白目を剥いてる、というのが当てはまるでしょ?真っ黒だし。
しかしまあ、表情は、間抜けっぽいね。😆


