人生のゲームテーマ設定 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

人がそれぞれ何をやってるかの違いっていうのは、
要はその人の人生のゲームテーマの設定によると思う。

つまり世界を股にかける
大きなビジネスを動かしている人も、
子供に宿題やらせようと苦労している人も、同じってこと。

社会課題を見つけて、解決のために必死で動いている人、
とんでもない被害に遭ってしまって、その被害を回復しようと頑張っている人、

病気で自宅で体も動かせず生活保護を受けて
日々なんとか自分のことをしていたとしても、それもゲームの設定。


全員ゲームのテーマが違うだけで、
それはおそらく自分で設定してるんだと思う。

とは言え顕在的にしてるわけではない。

ただ深層を掘り下げていくと、おそらくそのメリットに気づいて、自分はそのゲームの中にきちんと得るものがあると気づくんだろう。

子供の病気でも、自分の病気でも、親の介護でも、仕事上の人間関係のトラブルでも、
すべてはゲームのテーマ設定。

おそらくそこから逃れたとしても、同じようなゲームテーマが目の前に現れるようになってるはず。

なぜなら、そのカードを合わせないと
先に進めないから。
後回しにしていたところでまた現れる。
ドラマティックな「人生の目的」は存在しないと私は考えているけど、
それは例えばナイトシャマランの映画みたいな
そういう「意味」はないと思う。

どちらかと言うと、アメリカンビューティーに近いような感じかな。
人間は何も深い意味を持って生きてないと思うよ。
ただ目の前のゲームを消化していくんだよ。
生きてるうちはね。

推しを作って、推活に励むよし。
もしかしたらとことん推活を楽しむってテーマかもしんない。
私は推活を楽しむ人の気持ちを知る、
みたいなことがテーマになってるかもしれん。いろんな人の理解したいから。

私は若い時に悪気のある人間に
会いすぎちゃったからね。
人間はそんないいものだとは思えないけどね。

ただ、本質は悪くないと思うのよ。
なぜなら私は自分のこと信じてるから。
自分=人間だから。
私とみんなが一緒だと言う前提もどうだと思うんだけど、基本的に人間は目の前の傷んでる人がいれば、いたわったり、愛を注げる存在だと思うんだよね。
その性質はすごく好きだよ。
なんだろうね。
動物は自分の子供を可愛がるよね。
仲間に対してもそうだよね。

その性質が好きだよ。
それで言うならば動物でもいいのかな。