無感覚 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

「こと」を為すことを目的として生きていると
自分に向けた承認やら賞賛やら評価が
スルッと風のように体を通りすぎるというか
横をするりとかわしていく。


そんな生き方で
何が楽しいの?って

まぁそう思ったよなぁ。昔の私ならなぁ。
確かにゲームとしては楽しくないんだけどw

でも、
白々しいんだよ。
私のおかげでナンタラカンタラって。

なんかさぁ
言われてもなんか
「いや?私は人と人繋いだだけだし?」とか
「いや?やったの自分じゃん?」とか
「いや?決めたのあなたじゃん?」と思うわけよ

で、私は笑顔で「あ。よかった」と返すけど
その人本人がよかったなぁって思うのよ。
あとは悪い作用生まなくて安心した、っていう
「よかった」かな。


人をフォロー、サポートする仕事って
自分が主役じゃないんだよね。
仕事の役割の上でね。

だから変に「俺俺」してる人は
人をマネージメントとかサポート、教育の役割についてると、やること言うことにやっぱ違和感ある。

承認してほしい人は、真ん中のプレイヤーなんだよ。サポーターではない。
後輩指導の面談でも、なぜかその人の「俺のありがたい話を聞く会」になる。



私は子供が生まれてから、人生の最優先事項は子供になった。
私はその時からスルッと自然に脇に回った。

仕事においては25歳から上司だったけど、
あのときはどうだったかなぁ、、、
主役はまだまだ自分だったと思う。
何故なら自分が出来ないことが多くてね。
30歳くらいまでは。


今もいずれ、講師としてセミナーとかしたい!って思うのは
自分がカリスマ講師として認められたりとかの
承認欲求からより(多少の体験欲はあるけど薄い)その場で知識を得て、自らの感覚に気づき、人生の価値をあげる人を増やしたいから。
私が受講生として感動した体験から、そう思ってる。

だからなんだよなぁ。
幼少からのコンプレックスと結びつけて
わたし、もしかして
そっち(俺俺、俺主役)寄り?って思ってたけど
最近違うと確信してる。(そしてそれにほっとしてる)

なぜなら、
ずっと人をサポートする役割を普通にしてて、さらに人を助けても助けた実感もないから。
お礼言われたり、尊敬する先輩に「よいことしたね」と言われても特になんも感じないから。
スルッと抜けて忘れてる。当たり前で。

そして、ことを為すためなら
多少誰かに憎まれてもいいかな、と思うし。

なんかねぇ。
その人を攻撃したいわけでもなく
物事をよくしたいだけなので
そうやって人と接していると
その考えも丸ごと伝わるとは思うんだよね。

だから
私も大人になったのかもしれん。
多少な。

で、何で喜ぶの、なんだけど
知識を得て、自分が自分でいろいろ考えを整理できるときとか?
人と何気ないバカバカしい話で笑ってるときとか?
ほしかった高くて質のよい化粧品買えたときとか?
特選雲丹食べてるときとか?
息子が論理的にはなしてるときとか?

なんだろねぇ。

人に役立てるのは
ありがたいんだけど
それが一番でもないのよ。