できないからこそ | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

適性、か。

人と話す能力。
会話する能力。

普通のことなのだが
かつて私はできなかった。

だからこそ、今できるのかもしれない。


相手がどんな気持ちなのか
どんな状況なのか

いつも考えることができるひとが
この仕事の適性のあるひとであり
頭でまとめてから
話せるひとが
適性のあるひとだ。

頭でまとめる時間が長い人は
間が長い人。

まとめる能力自体が低い。
または
まとめる処理速度が遅い。


私は昔スナックでバイトした時に
上手にお客様と話すことができないことがコンプレックスだった。
笑顔でカバーで店では最後なぜか人気ナンバーワンであったが
自分では納得もいかず
自分に満足していなかった。

隣で上手に自然に話す
女の子たちをみて
ひどく自分の特性を憎んだ。

それが18歳の時の話。

男子とかと高校のときは
普通に話せたが
もてなし的な要素のある
受け止めつつ、聞くだけでなく
こちらからうまい返しや、さりげない質問で盛り上げるような会話ができなかった。

ほぼ聞くのみ。
答えるのみ。

良い質問ができない子だった。
全貌が見えないし
相手の心理も当時は見えなかった。
今はもはや丸見えでどのように言えば相手が喜ぶかを空気のように理解しそれをすっということもできる。

それもこれも
当時のコンプレックスからくるものでる。

激しい劣等感をもつ分野は
だいたい発展する。常人よりも。

なぜ私には出来ないんだろう、
他のひとが普通にできることなのに。


という分野は
いつのまにか、まあ、その人の心がけとガッツ次第だけど
上達するはずである。


18歳の時に持っていたその劣等感
接客業につくキッカケになった。


そして対面接客の業界にはいり
女性のお客様との間で会話できるようになる為に
いろいろとまた努力した。
部下もできて、部下とのコミュニケーションも円滑にしようと頑張った。


私はこうしてみると
人生の大半をコミュニケーションへの努力に当てていたように思う。

というのは
コミュニケーションが苦手だったから。


今いる
コミュニケーションがイマイチな
男性新人は自己満足度が高い。

客観できない人はダメだ。

劣等感を正しく持てなくてもダメだ。

なんだろな。
劣等感なんていらないんだろうけど
期待や目標に達してないことを受け止めてほしいな。