考えることも
行動も
結局
決まっているんだとしたら
何を悩む必要があるんだろう。
結局それを言っていた
結局遅かれ早かれ
それをすることになっている
今
額に赤いシールを冗談で貼ってるけど
私が貼ったのは
「貼る気」になったからであって
たまたま貼った。
アオスジアゲハがうちのマンションにはいりこんできたのも
たまたま
アオスジアゲハがうちのマンションに入る気になったからであり
隣の駐車場の人と同じ時間にたまたま帰ってきたから
私の落としたスカーフは見つかったのであり
じゃあ
気持ちって行動の元なのだから
気持ちすら
決まってるのだ。
その時にその気になってその行動を起こしたのは
左脳で考え込んだ末ではなく
それを超えて
実は「左脳で考え込むこと」すら決まっていたのだ。
左脳で考える人は運命を変えるか?
変えないね。
運命って何って感じだけど
その人の曼陀羅である。
その人を表す曼陀羅が
狭い考えで変わるわけはない。
左脳は狭い考えしかできない。
不自由な羽を持った籠の中の鳥。
よく考えれば
すべて決まっていたことであり
それは
遅かれ早かれ
私の曼陀羅として表れてることである。
私は未熟な人間だ。
どーしようもないほど
周りが見えてないときもあるし
でも
人の気持ちは
私なりに考えている。
どう見えるかは知らないが
誤解は受けやすい。
仕方ないなあ。
こればっかりは。