批判する理由 | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

私が批判をするのは

知識を意識的にためて

感性を意識的に磨いたせいなのである。

 

あのままぼーっと

自分って何だろうって

 

基準を持たずに生きていたら

世間の荒波にもまれて

今頃は

病院の中かもしれない。

 

 

判断できるようになり

自分の判断として、

「きっと普通はこういう風に判断するんだろう」ということを

思ってなくとも口に出せるようになり

彼女たちに「共感」という錯覚を与えて

私は初めて

普通のは人間として周りに受け入られるようになった。

 

男性といることは楽なものだ。

なぜなら私がジャッジしない人間でも

ジャッジする人間でも関係なく

接してくれるから。

 

女性は共感できない女性を排除する傾向がある。

 

私の他人に「共感」という錯覚を与えるための

思ってもない「判断」は生きるすべであった。

 

 

本当は私は

本質的に

どーでもいいんだと思う。

 

ジャッジをはじめた理由は

他の人間と同じになりたかったから。

 

それだけなのに。

 

ジャッジすることができて仲間入りできたなら

ジャッジをやめることは難しいなあw

 

考えを持つことは大事。

判断も大事。

 

でも私は

考えなんてもともと持ってなくて

アメーバみたいに

人の中にスポッとはいって

その人の感覚を借りて

この世界を体験するような

そんな生き方しかしてなかったんだよ。

 

浮遊霊みたいな生き方だ。

 

それがもともとの私。

 

でも浮遊霊は人間になりたかったんだよ。