感情コレクター | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

さっき思い出したけど

私は昔

人を批判できなかった。

 

なぜなら

批判するためには

知識が必要で

定規が必要だからだ。

 

私は「自分」というものも明確に持てず

人をどんどん「変だ」「素敵だ」「ダサい」「不気味」とかジャッジしていく他人や姉を見て

「すげえ」と思っていた。

 

今思えば単純に

親からの刷り込みや

テレビの情報を自分のモノにしていただけなのかも。

 

 

私は

「自分の考え」というものが

しばらく持てなかった。

 

そうだなあ

10代後半までそうだったと思う。

すごいそれがコンプレックスで。

 

アメーバみたいに

どんな感覚を自分が持つべきかわからなくて

人のことも「ただそういう存在」であるだけで

意味をあまりつけていなかったように思う。

好きな人がいたけど、ただ理由もなく好きなだけだったし、、、

かわいいって人がいう女の子もかわいいって思えなくて

そんな感度を持ち合わせていなかったのだ。人を悪いとすら思えなかった。

嫌だとは思えても、その人自身をさばけなかった。

 

ただ

不安なことや不愉快なこと、いやなことだけに反応できた。

 

でもその

反応を分析できなかったし

ただただ感じるだけだった。

 

「自分の考え」を持ってる人が

すごくかっこよく見えた。

そして

人をジャッジできる人は

「自分の考え、感性」を持ってる人だと思った。

 

今思えば

そんなにかっこよくないんだけど

 

でもその時はそう思った。

 

だから私は

人をジャッジできるくらい

「自分の考え」を持ち

「自分の感性」を磨きたいと思った。

 

昔から皮肉っぽいわけではない。

 

判断できるくらい

あらゆる本を大量に読み

映画を1000本以上見て

たくさんの男と遊んで

いろいろたくさん遊んで

いろーんな仕事を敢えて経験して

 

知識をためて感性を磨いたのだ。

 

いろんな感覚を「意識的に」味わって

自分の辞書に加えたのだ。

 

 

誰がそんなことを

するのだろう。

 

私以外に。

まあいるんだろうけど。

 

 

そんな風に

アルバムに写真を閉じていくように

自分の得た感覚を

コレクションしていくあの感じ。

 

人間に近づいていく感覚だった。

今もこれはあるなあ。

 

私はもともと普通じゃない。

と思う。

だからこんな風に意識的に

体験しながらどんな気持ちになるか試して

コレクションしていくのだ。

 

いまももしかしたらそれは

続いているのか??

 

 

すっかり忘れていたのが

本当に不思議。