自分を信じてないからだ。
つまり
自分自身を疑っていて
かつ自分自身を貶めている。
何をしても
何を失敗しても
どんなふうに見えても
私の中には理由があって
事象的には
ダメダメでも
私はそんな自分を受け入れて
許して
信じていることができているのであれば
他人のことも信じられるのである。
昨日他人にたいして
とんでもない不信が私を襲った。
しかし
よく考えたら
それは自分自身への不信だった。
大きなストーリーの中で
大きな存在の中の「かんがえ」というか「れきし」というか
「ありかた」の
ほんの針の穴のような一部の黒い点が
まるでフォーカスされてそのものの大部分のように錯覚した。
不信というのはそんなものだ。
フォーカスして大きくすることもできる。
逆に
欲目というか、都合のよいことを信じこもうという作用で
小さな点を大きくすることも可能であるということも実感してる。
恋愛の初めとかねw
でも大事なのは
その針の穴のような小さな点に
やたらと
近寄って大きく見ることをやめて
遠くから
全体感を見ることが大事なのである。
その黒い点は
その人自身のバランスに必要な点なのだ。
その穴を無理に白く塗れば
他のどこかに黒い点が必要になり
ポンッと新たにできるということ。
そして
モザイク画としてその人を表している。
だから
点ではなく
絵全体を見るのだ。
それだけのこと。
全体を見ると
信じることができる。
自分自身も。
部屋は片づけられない。
掃除も下手。
しつけも下手だな。
料理はめんどくさい。
ギャンブルは好き。
でもそれって
私というモザイク画の
一部の点描の部分のことだ。
私はもっと
大きな絵。
大きな絵なのだ。
そして
その絵は完璧。
流動するモザイクが
彩る絵は
その人を表す。

全ての人は完璧な絵なのだ。