尊敬する誰かのところに行って
あなたは特別だと
言われても
何にも
充足感を、得られないだろう。
昔なら
得られたかな。
笑
私が何か得意であったとしても
私を通して
大いなる神様のようなものが
何かをしているだけで
私がやってるわけではない。
だから、別に
それはそれで
普通のことなのだ。
個人的に捉えない。
褒め言葉も
貶し言葉も
同じ。
個人的に捉えない。
私だけの、ことじゃない。
私のことであり
みんなの事だ。
イチローは
素晴らしい努力家だ。
しかし、彼を通して
神様がしたいことをしてるだけであり、
彼の表現として
世界は評価してるが
本人としては
自分の気の済むようにただ生きているだけに
過ぎないだろう。
人から見て
努力に見えても
自分では
努力と感じないようでないといけない、と
イチローは言った。
その通りだと思う。
私も
「努力」を「努力」を感じることは
続かないからだ。
「努力」を「努力」と感じないことは
継続できる。
結果として実り
しかも他人から認められたりする。
でも、私の中では
「努力」ではないのだ。
結局
人から見える自分なんて
ほ
ん
と
う
に
どーでも良いことなんだなあ、と
今更ながら
いつのまにか
体に落ちてる私が
いたことに昨日気づいた。
で、
私は怠惰であるとも
気づいている。
そして
今は
息子が私の人生の大半を占めている。
息子なしで
今まで
どうやって生きてたのか
思い出せないほど
彼から大きすぎる幸せを
いただいている。
感謝しかない。
そして
私は人生に満足している。