子供の時の
体験、得た感情、感動は
非常に重要という。
確かにそうだろう。
なぜなら私たちは
その感情体験を
その後ずっと
繰り返して生きるのだから。
繰り返すというよりも
なんだろうなあ。
ぽつぽつと
ランダムに
感じ続けるってことかな。
私は自分お過去の経験を誰にも奪われたくもない。
ホケホケと
何もせずとも
親にも愛され、兄弟にも愛され
誰にも彼にもちやほやされて
認められて
自分に意味もなく自信を持ち
鼻持ちならない態度の
保育園児
というような体験をしたくはないのだ。
そのベースだと
きっと性格はあまりよくない。
本人はそこまで不幸にはならないだろうが。
自己否定があまりないからね。
私は自己否定から入ってる。
それって不幸かもしれない。
見方を変えれば。
でも
人と違ったその体験を
奪われて
何でもない様な平凡な状態も嫌だし
傲慢も
能天気も
いやなのだ。
だから私はやはり選んだんだ。
この私であることを。
自己否定が強いことがベースである自分を。
それも嫌だけど。
能天気に何もせず愛されていて
人と共感しあって孤独もない
そんな
幼少期を送っていたら
今の自分はない。
まるでない。
つまんない。
そういう人物や、人生が詰まらないという意味ではないが
私にとっては退屈なのかもしれないということ。
理解されない
自分の世界
共感のない
孤独
それでも救いは
自分の心
そういう生活を
小さなときに送っている。
それは
私のアクセサリーなのだ。