ギフトだったのか | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

いつの間にか

息子や
旦那が

なくてはならない人になり

彼らに何かが万が一
起きてしまったならば

私は到底
正常な状態では
いられないだろう。


だから、
彼らがいてくれて
一緒に笑って
平和な時を過ごす時間を
貴重に感じるし

多少、
喧嘩しようが
息子がきかなかろうが
まあ良いかと

思うのだ。


そして、家族のありがたさを
最近は
しみじみ感じる。

仕事が忙しいせいなのかなあ。
精神的や肉体的に自分が弱ると
自分がどこから
エネルギーもらってるか
明確に
意識的に
感じられるようになるからかもしれない。

余裕な状況にいると、
これって感じられない。
前の私はまさにそうだった。
ただ、「自分が得るべきもの、得て正当なもの」と
自分で定義したものを
外部にいつまでも求めていた
飢えた子供だったからかもしれない。

みんなからの親切や
愛情は
当たり前だと
どこかで思って

受け取る喜びも
感謝も
麻痺していたようだ。


今はいろんな
ステップを経て

人の存在のありがたみ、
当たり前に
愛情があり
当たり前に
自分を支えてくれることに
ありがたみを心から感じられるようになった。


病気になると
人のありがたみを知るというが

私もそんなものかもしれない。



だとしたら、
この忙しさも
ギフト。


仕事の仲間も
チームのみんなも
めちくちゃありがたくおもうのは

仕事が忙しいせいかもしれない。


助けてもらう機会が増えるからだ。
思ってくれるだけでも
言葉だけでも

笑顔だけでも


愛を感じ
支えを感じることができるようになる。

やはり、ギフト。