なすすべを知らず | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

感じているのに
相手がどうすると楽になるのか
なすすべを知らず…。


うちの家族全体に言えること。

そして旦那にも。



つまり私、にも。





いつかの私と
今の私。





感情表現、相手がどうすると気持ちが楽になるのか
もうすでにわかっている。

どうするべきか知っていて
それをできる。




でも昔は
まるで分らなかった。


無力と感じた。

相手を
私の言動により
楽にさせてあげるなんて


難易度が高すぎて
できなかった。


だってわからなかったんだもん。


自分が人の「言動」によって
楽になったことが

ほとんど、なかったのだから。


もちろんあったけど。数少ない経験で
焼付くような
守られた感覚はなかった。

言動でなく
『その人たちの存在』により
楽になったことはもちろんある。

いつもだ。


だけど
「言動」による
サポートは

幼い時から
少なかった。

親が、それがへたくそだから。


旦那のお母さんはすごく上手。

だから、頼りたくなってしまう。


人の弱いところ、気持ちに寄り添い
でもその人自身を信頼して「大丈夫」と言ってくれる。

たまに元気づけ方を間違ってるけど、気持ちがわかるから、いい。




困っているときに
自分の親に会いたくない。
経験的に彼らが力になってくれたことなんて
あまりないと思っている。
(実際はあるんだけどね)

そして
旦那もだ。


彼が私のためになってくれたことなんて
なかったと思っている。
(実際はあるんだけどね)



私が感じられないだけだ。



言動を重視しすぎている。



その通り。
今出た膿だ。

味わうのみです。



本来人間は
言動なんて関係ない。

存在そのものである。エネルギーである。


なぜ、言動にそこまでの意味を与えたかって

ほかでもない私自身に損なわれている機能だったからだ。



しかし
この世に人間として生きる以上はその機能は必要だと思う。

その役割が仕事でたとえると
サービス業というものだ。


最高級のホテルに泊まりにいって
ニコリともせずに鍵を渡されて目も見ないで
「じゃ、楽しんで」と言われるより

心からのおもてなしの笑顔をもらいたいものだ。


そういうものだ。


私がなかったもの
それは
「コミュニケーション能力」全般だ。


だからこそ私は
今それを持っている。


辛酸なめる超貧乏が
超金持ちになるみたいに。



ない、と自覚したもの
それによって苦痛を味わったものを
人は持つのだ。



ある、ない、
どちらにフォーカスするかで人生は変わる。


しかし
あるベースの人と
ないベースの人。

道は違う

そういえばしばらく前にこんな本を読んだ。
自分の秘密 才能を自分で見つける方法/経済界

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『ある』から伸びる才能。
『ない』から伸びる才能。

スティーブ・ジョブズは「ない」から伸ばした。
ない人はクリエイティブに。
ある人は…忘れちゃった 笑

面白い本だった。


そして

父母、姉、旦那に
「ない」と思っている力



それは彼らが表現できないだけで「彼ら自身」ではないと
私は知っているけど

そこでひっかかっているのは
私が自分をがんじがらめにしているからだ。


感受性が強すぎて
人を傷つけることが自分の何よりのダメージなる。
そして人を傷つけたくない、誤解されたくないから人と関わらないようにする。

それが私だった。
怖かったからだ。


それをいつも
周りに見るのだ。


コミュニケーション能力がすべてではない。
あれは、ただの表現であり表層の話だ。


表層。


でも、表層で
判断され続けたんだよ。

私はずっと昔から。


あの時代を思い出したのかなあ。