過去の自分 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

不思議なことを書く。
感覚的なことなんだけど。

ふつう人って文章ってある程度、書くまえに考えるよね。
で、まとめる。

私の場合は書きながら考えることも多いんだけど。


最近、他のブログもそうなんだけど
誰かのために向けてとか
過去の自分に向けて文章を打ってるとき

いつもの自分ではないような

後から見たときに私が書いたのかなあって
文章の時があってさ。


絵を描くときもたまにある。
(え、こんな風に書いたっけ?って)

これって一種
自己過信にならないからいいよなあって思うんだけど。

文章でも絵でも

いつも私を通して誰が一緒に書いていて、とか
または私の体を借りて
誰かが書いているのかもなあ、と。


そう思うと、自分の能力とかなんとかって考える必要もなくて

ただそのエネルギーの通り道の場所にチューニングがあってるのかなあって
そんだけの話なんだなって。


思う。


自分の書いた文章
後から見て
なぜか泣いたりとかあったし。

バカみたいだね。でもほんとにたまにだけど。


「あなたは、それでいい」って
「そのままでいい」って
過去の私は誰かに言ってほしくて

だから今私は
過去の自分に向けて一生懸命エールを送っていて。

子供時代から10年以上も
自己嫌悪と劣等感と絶望感に満たされ続けた私、
自分の意思すらわからなかった私に
よりそいたくて。


今でも気付けば
自己嫌悪と劣等感をすぐに欲しがってる自分がふと現れて。


あ~そうだったね、って。
私はずっとずっと子供時代の大半を、そうやって生きてきたんだから
その思いが、何度も現れて当然だよねって。
私にとって、自己嫌悪感と劣等感と共に生きるのことが「人生を生きる」ということと同意義だったのだから。

私は私自身を優しく抱くように
そう思ったんだ。

今日。