デリケート | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

私はデリケートなんだとそういわれた。

そうそう
息子がデリケートであるという話のつながりで
そんなことを話した。

義理の母と。

そうそう、なるほど。
ですね。
確かに彼は私譲り。感性がデリケートである。


誰かの小さな矢印を
私は大きくとらえる。

そうかもしれない。

何気ない
小さな悪意も
大きな悪意に

それはそうだったなあ。

なんでも、敏感だった。鈍感な部分はものすごく鈍感で。

特に物質的な部分には鈍感だった。


感情面では
人の濁った気持ちをすぐに感知。

さらには
拒否感のある五感の刺激には
非常に嫌な気持ちに。


それがしかも残る、引きずる、不安のもとになる。

そんな子供だったから。ああ、最近までずっとそうだし
器質はもともとそうだから。変わらん。


そんな人間がどうやってこの社会で
いっぱしに生活してるのかもわからない。

きっとそんな人はいっぱいいるだろうが。


表に出るような仕事ができ
部下をもち
責任を負うような仕事をするようになるまでって
まさにドラマだよなあって自分で少し思う。

乗り越える力を持っていて
しかも理想を持ってた自分の生き方は面白いと思う。

理想と現実。


今でもデリケートさは基本は変わらないが
人ってそんなものだとやっとわかってきたし
悪いもんじゃないなと思うし。

単純に自分を守るために攻撃することばかりで
単純に人を攻撃したい人なんていないのだ。

だから私は誰からも攻撃されない。受けない。
受けるとしたら自分からのものだ。劣等感とか罪悪感、自責の念が自分を責めるだけ。
他人や環境が私に影響を与えることは
私が許さなきゃ許されないのだ。


デリケートでも
防具が身についたし
しかも他人や環境にエナジャイズされることは許すことが出来たので

オンオフ、うまくできれば社会適応して
イキイキ生きて行けるのだ。

私に攻撃するような人はまずいない。
もう22歳くらいからない。
そういう環境が消えたのだ。
その代りそのまえはあったけどね。

で、その後は自分が自分を責めるようなことがあったくらいかな。

環境は私の味方。人も私の味方だ。

それが私の人生だ。

デリケートな私にも
人生がある。

鈍感すぎる私にも人生がある。
散らかった部屋が不快じゃない私にもね。