自分を客観視できていない。
それが一番イタイ。
そういうことなのかなあ。
あいつが嫌なのは。
そして
かわいげがない上に
小学校5年生のままの
根拠なしの自信だけ残っている…。
それがきっと恥ずかしいのだ。
彼を受け入れている自分を想像した場合
私は師匠の一人であり
あの子はほかの師匠の弟子って感じ。
そうだ。
だけど
師匠も弟子から学ぶこともある。
あの不屈の精神…
避けられても気付かない鈍感力…。
大事かもなあ。
私もあれだけ鈍感で
小学校とか中学校で
生き生きと立場を認められていたら
あんなだったかもしれない。
私が小学校と中学校で
周りから存在を認められていなかったばかりに
ああいう風になっちゃってないだけで…
多感な時期に
根のしっかりない自信を感じていても
何にもならないってことで
あ、
なんか
嬉しくなってきた。
そうだ、私はこれで本当に良かったなって。
小学校、中学校ってホントに地獄みたいだったし
グレイな人生だったけど
周りにもてはやされて
自分の中に根っこがない自信だけ身に着けて
むやみに自信ありでふるまうKYにならなくて
本当に良かった!!!!
さわやかに思う。
そうだ、あいつは
私の人生のバランスの一部で
ああいう人生があるからこそ私のようなバランスの人生もあるってことなのだ。
そうだ。
私は自分でよかった。
あいつはあいつでよかっただろう。
今感じていることがすべてなんだから。
いいじゃん。
ほんとにわかったぞ。
私って本当に自分がモンスターでどうしようもない人間だと思ってて自分の価値を最悪においていた。そんな小学校中学校時代は、実は私自身の中にしっかりした根を作るための大事な大事な要素であり、重要なバランスなのだと彼は気付かせてくれた。
その時代があるから
感受性が高まり吐き出す表現のもとは際限なくある。おかげさまで。
だからこそクリエイティブな魂を多少持った人間の個性を持ち合わせたのだ。
それに気づくためか。
そうだ。あいつがうざかったのは
大嫌いな野球尻だったからじゃない。
口のまわりを触る気持ち悪い癖のせいじゃない。
もう一方のバランスを見ていただけなのだ。
選択だ。
私もあいつに生まれたら
あいつのように生きた。
それはそれで完璧だ。
私は完璧のくせに
肯定できない部分があった。それが小学校中学校時代だ。
それを肯定し
手放す必要を感じたから
あいつに会った。あいつを感じた。うざさを感じた。
そして
もし、その時代が充実していたら?というあいつの感覚を借り
否定していた感覚の反対方向の極にに一気にびよ~んと持っていてて
そして今真ん中に戻った。
私も調子に乗りやすいタイプだ。
もしかしたら、ああなった。
本当に、ああいうタイプかも。
もてはやされると
乗ってって、都合悪いと逃げる。
(今はさすがにないだろうが、きっと若い時はそうなっただろうな)
あの年齢でその状態を保って見せてくれたのは
奇跡だから感謝するわ。
うざいけど
私の可能性を見せてくれてありがとう…。