私たちは
役割をそれぞれに持っている。
それは演劇の役割と一緒だ。
一生にかけて大体の人がその役割を演じとおす。
役割は役割で。
本当の自分は別だ。
でも演じている最中は
役割に入り込むのでそれが自分自身に他ならないと疑わないのだ。
役の人物は、長所もあり短所もある。
それは自分で調整できない。
だって役割なんだから。
台本も大体決まってる。
それを演じとおすのだ。
それで何がメリットかって
人間として個人の感覚で体験ができる。
しかも人間は個人の感覚なので、他人を分けて考えるから、
共感や思いやりとか感じることが出来る。また、過去現在未来も存在するので未来への不安や過去への後悔もある。そして葛藤も抱えるから悲しみからの喜びやどん底からの達成とかそんなのがあり、感動がひとしおなのだ。
しかもこの感覚意識が
魂の意識に共鳴しつつある現代。
つまり演劇の役を演じているときは
演劇をしているという自覚がなくなるのだが
これに気付き始めている人が多くなってきているのだ。
意識的に自分の役割を演じることを楽しみ始めてる人が多くなってきた、ってことかもしれない。
こう考えてみたらいいかなと思うのが
どんな役割も出来る、でも今回はこれなのだ
ということ。
金持ちの何でも買える生活を送る人にもなれた
独裁者にもなれた
砂漠で孤独な生活をする人にもなることはできたのだ
ハリウッドスターになることもできた
(でも全部人間にすぎないけど…)
だけど
今回はmonaという役割を演じることが魂としての私の楽しみで目的なのだ。
こう思うと
monaという人間の命は
ありがたいし
monaという人間の個性も愛しい。
自分を愛せるようになるし
何より自分が自分の味方になる。
なんだか今までにない感覚だ。
しかも不安がなくなった。
なぜだろう。
どうなろうと
私は私の責任をとらなくていいからかもしれない 笑
魂monaには
人間monaがこの現実世界でうまくやろうが下手にやろうが
どっちにしろただの体験にすぎないのだ。
そして魂monaは
人間monaの一番の仲間であり、理解者であり、客観的に見ていて
一番愛することができる。
なぜ今までこれが出来なかったかって
「人間mona」が「魂mona」になりかわろうとしていたからだ。
そりゃ無理だ。別なんだから。
だから人間monaは失敗しても価値を失わない。
そもそも価値ってのが疑いようもなく「存在自体」にあるから。
だから何も怖くない。
魂monaはいつも暖かく人間monaを包んでる。
失敗ばかり、あほなことばかりして
不安になったり心配したり、調子に乗ったり、ばかなこと考えてばかりのmonaを
一番冷静に見て、ジャッジせずに愛している。
自分の役だから、愛するよ。他よりも一層。
もちろん自分の役以外も愛するけどね。
でもね、
昨日その感覚が下りてきたときに
旦那のことも一気に許したのだ。
あの性格も、言動も、役割なのだ。
人間の性質だ。箱の形なのだ。
彼の魂は別。
葛藤は多いけど、あれは役割だ。
寝る前に大量の感覚が下りてきて
どうしようかと思って携帯にメモして寝たけど
本当に目からうろこが落ちたようだった。