望んだことが出来なかった人たち② | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

望んだことが出来なかった人は
うちの父。


頭がよかった。

いろんな大会社からスカウトが来た。


だけど
長男だから地元に居ろ、と祖父母による命令で地元企業に勤めた。
勤務の間はず~っとストレスを抱えていたように思う。

会社が悪いのか。


今大人になって思えば
ストレスを抱えることになった原因は人づきあいが苦手な父にも原因はある。


ただ
進路を阻まれたというのは
かなり、ダメージだ。

私も聞くたび、つらい。



私も
東京の美大に行きたかった。
ような気がする。


でもうちには金がないから
地元の県立大にした。
そもそも暗黙の了解で東京の選択肢はもともと持ってなかった。

だから、あきらめた感覚すらない。
でも今思えば的なものである。

実際短大時代も楽しんだ。
何も美大に行きたい気持ちもなかった。


でも今になって
デザイン学校に行きたいから
そう思う気持ちもあり。

結局その時はそうでなかったくせに。
今に全部あるのだから当たり前なのだけど。


もし選択肢があれば違ったのかも、とか
そんな風にも思う。


でも実際は思ったように人生を歩んできた。
なのに

私は彼らの気持ちに乗る。

周りの人の気持ちは自分の気持ちに他ならない。
本当に回りまわって自分の気持ちなのだ。

だから
彼らの歴史?を聞いて流せず、こうやってここに書いているということは
今の私に関わる何かなのだ。


思い通りにならなかった人生。


本当にそうなのか?
傍からそう見えてるだけじゃないのか?


人から見たものがどうであれ

自分がどう感じているのかはその人しか知らないし
しかも
若い時に「悔しかった」と言ってても
年を取ると「今思えばそれでよかったと思う」と言ってるかもしれない。


だからかなり無責任なのだ。
事象なのだ。

感じることは自分の中にあるものだ。

思い通りにならない…。

そんなことがあるのかなあ。
ないよなあ。

じゃあ私は何が思い通りにならないと錯覚しているのだろう。
その状態をなぜ好むのだろう。