私は幼少時代~子供時代はずっと他人に対しては
↓

ただただ、他人の感覚を自分の感覚に置き換えることなく、こんな感じだったなあ~と。
一方で親に対しては
共感体質。
んで、他者とのコミュニケーションが非常に難しくて
場面緘黙症だったわけだけど。
で、自分の感覚がなかった。
つまり↓

これがなかった。
「自分がどんな感性を持ち合わせていて、どんなパーソナリティなのか?」
ということが
自分では、ま~~~~~~~~~~~ったくわからなかった。(周りの人はわかっていたかも)
自分がないような感覚は
今でも
ある…。
まあ外から見たら「十分、自分があるけど。。。」と半ば白い目で見られるのだが。
この感覚はいつ抜けるのか。
私は
自分という「フィルター」が
元々ほとんどなかったと認識していて。
だからこそ、「自分の感じ方」を求め続けた。
それが経験則というものであったり
テレビや映画、書物やネットで得た情報であったり
そういう物から、どう感じるのが正しいのかとか
不器用に様々に情報をかき集めて大きな塊になり
そして今その大きな塊の余計なものを削ぎ棄て、研磨して
やっと「自分」という光る石になってきた。
そんな感じ。
自分というフィルタはね
我ながら
ちょっと変わっていて面白いかもしれない…。