光る石 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

さっきの記事を書きながら思い出したけど…


私は幼少時代~子供時代はずっと他人に対しては


ただただ、他人の感覚を自分の感覚に置き換えることなく、こんな感じだったなあ~と。

一方で親に対しては
共感体質。


んで、他者とのコミュニケーションが非常に難しくて
場面緘黙症だったわけだけど。


で、自分の感覚がなかった。
つまり↓

これがなかった。


「自分がどんな感性を持ち合わせていて、どんなパーソナリティなのか?」
ということが
自分では、ま~~~~~~~~~~~ったくわからなかった。(周りの人はわかっていたかも)


自分がないような感覚は
今でも
ある…。

まあ外から見たら「十分、自分があるけど。。。」と半ば白い目で見られるのだが。

この感覚はいつ抜けるのか。


私は
自分という「フィルター」が
元々ほとんどなかったと認識していて。

だからこそ、「自分の感じ方」を求め続けた。

それが経験則というものであったり
テレビや映画、書物やネットで得た情報であったり
そういう物から、どう感じるのが正しいのかとか
不器用に様々に情報をかき集めて大きな塊になり

そして今その大きな塊の余計なものを削ぎ棄て、研磨して
やっと「自分」という光る石になってきた。
そんな感じ。



自分というフィルタはね
我ながら
ちょっと変わっていて面白いかもしれない…。