勝とうと思う気持ち | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

「~ねばならぬ」がなくなると
誰かや何かに勝とうと思う気持ちもなくなる。


勝とうと思う気持ちってどっから出てたかって
完全に
凝り固まった価値観で
守りや恐れから生まれるもので。


もう勝とうと思わないので
人をそのまま見ることが出来るし
私自身も
そのまま、許すこともできる。


でもそういう目で見ていると

いかに、この世は
「勝ちたい」と思っている人が多いことかと気付く。
自分自身もそうであったように。


勝とうと思っている人は怯えている人ばかりだ。
かといって無様ではない。
一生懸命だ。


何かから自分を守ろうと一生懸命なのだ。

だから私は
特段その部分を特別視しない。
その人全体を見ている。

ただ収縮している状態を
感じることはできていて
むきになって何かを語るときほど
エネルギーは、せまい。

感覚も、狭くなっているのを感じる。
それは残念だけど、それはそれだ。

感じられるときもあるのだから
その瞬間だけの問題だ。


相手を言い負かそうと思うとき
わたしが旦那を言い負かそうと思うときもそうだけど
収縮しがち。

でもねえ
ふっと気を抜いてまあいっかあと思うと途端に
感覚は拡がって

あら不思議。
おもしろいよねえ。

熱く語る人ほど個人的体験を重視し
自分の体験を
人にも押し付けようとする傾向がある。

が、実際そういうの
好きな人もいれば苦手な人もいる。

感じたことを語るのみと
それを人に押し付けるのは
全く別次元の違いなのよね。

守り。

人が感じたいように感じさせてあげようじゃないか。


と、、

感性のマイノリティである
私は
そう思うのだ。