私は、なにごとにも
気が済むのが早い
と自分で思う。
旦那は
何かの趣味をやり始めると
結果を出すまでやる。
大会でいい成績を収めるまでやる。
つまり「結果」。
私は、一方で
結果を出す前に気が済んでることが多いのだ。
このようにしていれば
ああ、こうなる。
原理はもうわかりました。経験も伴い実感できました。気が済みました。
こうなると
もう気持ちそっちに行かなくなるのだ。
男もそうだったな。
変な話、魅力的だと思って
一回遊んで気が済むと、もう連絡を絶つ。
向こうが何回電話して来ても「もう電話しないで」とか言って切る。
まあ、遊びだからね。
でも人によっては、一回あそんじゃう(寝る)とはまる人もいるらしいじゃん。
私は逆。
他でも、何に対しても、その原理とかを知ってしまうと
それ以上追求しない。
つまり本当にそこで「気が済んで」しまうのだ。
私は単純に
結果を出すことに執着してないらしい。
前の仕事でも、自分の満足度を追求しており
販売売上よりも、ほかのことに満足度を求めていた。
売上ナンバー1よりも、私の作ったPOPとかデザイン制作物で皆が
喜んでくれる方がずっとずっと達成感があったわ。
一時的に売上などで、ナンバーワンを目指した時もある。
そして実際にナンバーワンンになった時もある。
でもあっという間に気が済んでしまった。そのプロセスを得て「私はやろうと思えばできる」と
信じてしまえたから。もうそれ以降はどうでもよかった。
要は
何でも気が済めばいい。
人間だれでも、なんだろうけどね。
結果が出て
気が済む人もいるし、
原理を知れば気が済む人もいるだろうし
誰かと同じフィールドで活動している事だけでも気が済む人もいる。
その人によって
気の済む状態は違う。
私は原理をしっかり学ぶ。
経験を大事にする。
しかし
今の私は
もはや
人に認められる必要は
なくて
何をどうしたら
自分の「気が済む」のかすらわからないほど
欠損部がないというか
ハングリー部分がない。
どうすべ。
豆腐がない、買おうとか
そんなことで
今日のメニューに必要な豆腐を買うとか
そんなレベルの欠損を埋める連続の生活。
こうなりたい、というモデルがない。
分離感が消えるとこうなるとは
聞いてはいたが
幸せなのに
なぜか
平和すぎて…。
今の状況から逃げたい、変えたいとも思わないから
その力も手伝わず、未来も描かない。目標もない。
退屈でもある。感情が騒がないから…。
…しかし
これを過ぎればでもきっと
何かあるさっ
今はワクワクしたいけど
ワクワクするものに触れ合えてない。
2014年9月22日10時の今の話ね。
きっとでもすぐ、
準備出来たら
目の前にワクワクが来ると信じてる。