『欲望』という持ち物 | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

感覚から事象が成る。


例えば寝てるとき
お腹の上に息子の頭が乗ってて
重たいと

お腹になにかを押し付けられる夢を見るとか。


実は現実も夢のようなもので
笑う門には福来る
が実際だと思う。



将来、未来を不安に思えば
不安な要素が現実に押し寄せる。

何事にも開き直って
できることしかできんし
なるようにしかならんし
だったら楽しもう♪と思ってると

絶対大変だと、想定だったはずのことが
スルッと向こうから逃げていく。

ずっと探しているうちは
探し物は見つからない。

本当に、そんなもの。


なんとかなるさー。
諦めよう。
自分の人生自体も
私はこんなもの、と
いい意味で諦める。

『欲望』という持ち物を捨てる。


すると、その持ち物を捨てた代わりに
何かの贈り物が
突然やって来るように思う。


欲望を持つことはいいと思う。

けど、持ち続けるもんじゃない。
欲望は、執着するもんでなしに
瞬間的にただ感じて
その都度、捨て行くものなのかもしれない。もちろん、何度も同じ欲望が浮かぶのが普通で、それも、その都度『感じる』のみで、捨てる。


持ち続けるのはゲームとして面白いのでゲームプレイヤーとしての自覚、意識がしっかりあるなら
それは必須なことだけどね。

でも、
自分の人生をいい意味であきらめて
欲望を手放して
その場を生きることで
まあ、あんまり、心が沈むことない
心が楽しい生活ができるってことで。

でも、不安も、揺れ揺れの感覚も好きなひとは
そんなことする必要ないと思うし
誰もがそうする必要は、まるでない。

だって、悩んでいるひとは

皆一様に、その悩んでいる状態を実は楽しんでいて
抜けようとなんて思ってもいないんだから。
それでいいと思うんだ。