子供のころの感覚② | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

自分の感じていることがわからないなんて
ありえないでしょう?

と思う人もいるかもしれないけど
そういう器質もあるのです。


私がまぎれもなくそう。


だから
何かの出来事があった時
近くの友達が「信じられない」「馬鹿じゃない」といえば
そういう考えを
自分に採用した。

自分に向けた非難ですら採用した。
私が悪い、と。


でも時たま
何かの批判の際に非常に心に引っ掛かるものがあった。
今思えば私はそのとき採用した気持ちと実際は違う事を感じていたのだろう。

しかし不快な思いを抱えたままにその考えの集団に属した時もあった。




「自分がないよね、あいつ。」
そんな批判の言葉がある。


私は今
そんな人たちを非難しないけど、まあ、やっぱ、八方美人は好きではない。


現在の私は
きっとある意味「自分がある」

何故かというと
ここ数年ずっと「自分が何を感じているか」に
フォーカスしながら生きてきたからだ。


自分の軸をしっかり持ちつつある。


誰かの考え、という衣を
脱いで
自分の考えというもので
内と外とをつなげてを統一した。

だから内(本当に感じていること)と外(実際の表現・意見)の繋がりの違和感がなくなったはず。

外から見てもその違和感ってきっとあったと思うんだ。
淀みというか。


私は
人から結構好かれるというか人から声をかけられるのだけど
おそらく理由は
何も考えてないからかもしれない。
からっぽで
尺がない。


デフォルトでは尺がないのかもしれない。
だから突然に声をかけられた時に
ポカーンとして相手を真っ白な目で見るらしい。

笑いながら
「その目!」
とよく言われていたこともある。

動物のようだといわれることも。


厳密にいうと
からっぽじゃないんだけどね。
でも
何を感じていると
正確に定義しなくても生きる事だってできた。